そこはかとなくおかしい短編集〜長嶋有『私に付け足されるもの』
人間関係において、”好きなものが同じ者同士より、きらいなものが同じ者同士の方がうまくいく”というもの言いをたまに耳にすることがある。一理あるとは思うものの、好きなものが同じであるのってやはり乙なものではないだろうか。例えば、長嶋有の小説を読んだ人と出会えたとしたら、「こういうとこ、おもしろかったよね〜」と語り合えたらいいなと思うし。
エッセイにおける腰の入った脱力ぶり(矛盾した言い方だが)にくらべると、長嶋さんの小説はやはり力は抜けているといえどより繊細に感じられる。本書には12編の短編(5ページほどの超短編も)が収録されているが、いずれの主人公もそこはかとなく笑える人物たちで味わい深い。
私が特に好きな作品は「Mr. セメントによろしく」と「先駆者の最後の黒」。「Mr. セメントによろしく」は語り手がうさぎの爪切りについて「実家にあったなあ、この爪切り」と語り、立花マリがそれを見ないまま工具箱をあさりつつ「へえ」と返事する場面から始まる。少し読み進めると、語り手の優衣とマリが一緒に無人の「立花模型店」に忍び込んでいることがわかる。名字から推察されるように「立花模型店」はマリの実家が経営していた店なのだが、先月父親が亡くなったことにより在庫ごと売り出されることに。弟の和人が勝手に手続きを進めたことが、マリは気に入らない。そこで和人の出張中に、在庫のプラモデルを作れる分だけ「作っちま」うことで意趣返しをしようというのだ。マリとともに店に忍び込み、プラモデルを物色する優衣。主人公が友だちにくっついていって、模型を選び、不慣れながら作り始めるというだけの物語ではある。が、いつの間にか自分の「価値観」や「嗜好」を意識させられたり、友人の知らなかった一面を発見したりと、優衣にとっても思いもよらなかった展開となっていく。
「先駆者の最後の黒」は、弟の十郎が失踪したかもという連絡をアパートの大家から受けて、恋人の匡とふたりで部屋を訪れる姉が主人公。こちらは(人間がひとり失踪するという事実はゆゆしき事態ではあるものの)オタクという存在が醸し出す、本来なら悲哀と紙一重になりかねないおかしみが明るく描かれている。そう、この作品はとにかくおかしい。ベータとVHSのくだり(若い読者にはもうまったくピンとこない内容なのかもしれないが)など、まだまだ読んでいたい気持ちにさせられる。長嶋有という作家の面目躍如といっても過言ではないのでは。
さて、本書の短編には共通項がある。それは各話の主人公が全員女性で、かつ彼女たちの願望を描いた作品ということだ。出版社のサイトの内容紹介によれば、「トラに襲われたい。くっつけたい。あきらめたい。地面を掘りたい。移動したい。いなくなってほしい。一緒に日食が見たい。これは、くだらないのに難しい、願望の話」とのこと。個人的には願望そのものに関しては共感できるものとそうでないものがあるが、登場人物たちがツッコミを入れるポイントについては随所で「こういう風に思うことあるわ!」と感じさせられた。そして、個々の願望も叶えられたものと叶わなかったものがあったが、彼女たちは概ね満足しているようにみえる。少なくとも不幸にはみえない。毎日毎日スカーレット・オハラ的な激動の人生を送っている人も世界のどこかにはいるのかもしれないけど、日常を生きるのってだいたいこんな感じだよなと妙に納得させられる。
(松井ゆかり)
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