アラフィフ世代に直球を投げ込む朝倉かすみ『平場の月』

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アラフィフ世代に直球を投げ込む朝倉かすみ『平場の月』

 特定の年齢層にとりわけ訴えかける名作というものがある。『かいけつゾロリ』シリーズはやはり小学生が読んでこそという気がするし(大人が読んでもおもしろいけど)、ライトノベルの類は中高生あたりの読者がボリュームゾーンであろう(10代だけに読ませておくのはもったいないと思うものも多くあるが)。そこで『平場の月』である。若い人が読んでも「大人っていろいろあるんだなあ」と感じ入るだろうし、もっと年配の人が読んでも「このくらいの歳の頃いろいろあったなあ」としみじみすると思うが、いわゆるアラフィフ(自分含む)が読んだらもうダイレクト。直球かつ剛速球が心の真ん中に投げ込まれた感じ。

 物語の冒頭、主人公・青砥健将は花屋にいた。思い浮かべていたのは、病院の売店で働いていた中学の同級生・須藤葉子と再会したときのこと。青砥は五十路を迎えて体の不調を感じるようになり、「念のため」病院に足を向けたのだった。ひどい胸焼けと頻繁なげっぷが気になるということで受診した結果、「念のため」日を改めての内視鏡検査となり、そこで見つかった腫瘍は病理検査に出されることになった。自分もそうなのだが、健康診断系のことってほんとうに気が進まないものだ。診察や検査そのものも面倒だし、何より結果を待つまでの間の憂鬱さが、これのせいでかえって体調悪くなってしまうんじゃないかというくらいに気が重い。若い頃はそんなことはなかった。検査結果はオールA、学生時代にもこんな立派な成績表などはもらったことがないというくらいだったのに。多くの50代にとって、健康問題は切実なテーマといえよう。

 さらにそのくらいの世代には、老後の蓄え的な心配もある。青砥と須藤はそれぞれバツイチ。青砥には息子がふたりいるが、すでに独立している。6年前に父親が亡くなった後、母親の近くで暮らそうと地元に戻ったが、ほどなく離婚。3年前に母親が卒中で倒れたのを機に、地元の印刷会社に転職。現在は母親を施設に入れ、自分は実家でひとり暮らし。須藤の方はもうちょっと波瀾万丈だ。大手証券会社に勤めていた須藤は、会社の同期の夫だった男といわゆる略奪婚をした後、その相手と10年ほどで死別。その後出会った年下の美容室の男に貢ぐように。会社員時代の蓄えや亡夫からの相続分をほぼ使い果たし、持ち家を売って男との仲も精算して地元に戻った。青砥も裕福とはいえないが、須藤はさらに深刻で、常にお金の心配をしながら生活している様子がうかがえる。

 そんなふたりが再び出会った。実は、中学時代に青砥は須藤に告白したことがある。そのときはあっさりふられた青砥だったが、お互いにさまざまな経験を経てきた後でふたりの気持ちは少しずつ近づいていく。現在の状態を「ちょうどよくしあわせ」と感じる須藤と、「おれも、まぁ、そんなような感じっちゃ感じだ、いま」と同意する青砥が、「景気づけ合いっこ」するためにときどき「互助会」を催すようになり…。

 二人の行く末に大きく関わる事実は、早々に明かされる。だから、手放しのハッピーエンドは約束されていないことを知りながら、読者はこの小説を読み進めることになる。もともと持っていないのと、いったんは手にしていたのに失ったのとでは、後者の方がこたえる気がするのは私だけではないだろう。人生の後半へきて心を通い合わせるようになった相手が、自分の手をすり抜けていくつらさは、想像するだに胸がふさがれる。それでも、どんなにつらい思いをすることになったとしても、出会えてよかったともいえるだろう。命が尽きるまでの何十年か、何度も思い出して心を温めることのできる記憶の数々は、再会しなければ手に入れることはできなかった。もう昔のようないくつもの選択肢はなくても、はつらつとした若さはなくなっても、愛する人と別れることになってすら、胸に小さな灯をともしながら残りの人生を生きていくことは可能なのである。平場にも月は昇る。多くのものを失ってなお生きる人々の頭上にも、輝く光は存在するのだ。

(松井ゆかり)

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