過去に復讐される男のサスペンス『ホール』

過去に復讐される男のサスペンス『ホール』

 過去は取り戻せない。

 過ぎてしまった時間に刻み込まれた自分の行いは、いつか巡りめぐって我が身を縛ることになるかもしれない。それがわかっているから、過去を振り返るとき人は見悶えするような悔恨の念に駆られることがある。しかし、時間の流れを遡ることはできない。

 ピョン・ヘヨン『ホール』(書肆侃侃房)は、過去に復讐される男を主人公とした、息詰まるサスペンスである。主人公のオギは、大学で地図学を教えている人物で、名前の明かされない妻と二人暮らしをしている。親族は他に妻の母である義母がいるだけだ。物語はオギが病院で目覚めるところから始まる。交通事故に遭って、長い昏睡の果てに目覚めたのだ。運転席にいたのはオギで、助手席に座っていた妻は死亡していた。彼の怪我もひどく、手足を動かすどころか、顔面を損傷してしまったために言葉を発することもできない。オギは娘を失って悲嘆にくれる義母の世話を受けつつ、病院でリハビリテーションに務めるが、いっこうに進展しない。やがて退院し、妻のいない家に帰ることになる。

 主人公がひどい身体損傷を受けることから話が始まるサスペンスというと、ウィリアム・アイリッシュ『黒いカーテン』やセバスチャン・ジャプリゾ『シンデレラの罠』といった古典的名作を思い出す。それらの作品では主人公の記憶が事故によって失われることが物語の鍵になっていたのだが、本作の場合はそこまでの混迷は見られない。オギは身体が動かないことに絶望しつつも早く社会復帰を果たしたいと回復を望む。その渇望の烈しさに目を奪われて初めは意識することがないのだが、話が進展するにつれて彼が意図的に語り落としていることが過去にはあるのではないか、という疑念が読者の中には生じていくはずである。その語りのずらし方に技があるので詳述は避ける。読み終えたとき、同じアイリッシュでも『黒いカーテン』ではなくコーネル・ウールリッチ名義の『恐怖の冥路』に近い印象を覚えた。物語の形式はまったく異なるのだが、過去のある時点に間違いがあるために登場人物がそこから先に進めなくなってしまうという点が共通するのである。

 帯にはスティーヴン・キングの長篇を原作にした映画との類似が指摘されている。だが、ミステリー・ファンなら別の作品を連想するのではあるまいか。オーストラリアの作家、パトリシア・カーロン『ささやく壁』(扶桑社ミステリー)だ。主人公は全身麻痺で意識も回復していないと思われている女性だが、実は目や耳の感覚を取り戻している。身動きとれない彼女が自分の家の中で進行している密事に気づいてしまい、なんとか止めようとして苦闘するという物語である。同作に、某恐怖小説(江戸川乱歩選のあのアンソロジーに入っているアレ)の要素を一つまみ加えると『ホール』になる。

 作者がどこまでミステリーというジャンルを意識して本作を書いたのかはよくわからない。ミステリーならばモノを置いて後の手がかりにするような箇所にヘヨンはシンボルを残して読者に全体の構図を読み取らせようとする。純然たる謎解き小説にはならないのだが、いくつかのシンボルによって示された図柄が重なりあっていき、もしかするとそうなのかもしれないというような道筋が作られていく後半の過程には知的興奮を起こさせるものがある。人はなぜそういう行動を取るのか、ということについての小説なので、人物配置が頭に入ってその顔が思い浮かべられるようになると、彼らの心理が知りたくて気持ちがうずうずしてくるはずだ。そういう小説はミステリーと読んでいっこうに差し支えないと思う。たとえばこんな一文に私は強く心惹かれるのである。

—-(前略)義母は多くを知っている。知っていることを隠さない。ひょっとしたら、妻が知っていると信じたことを、そっくり知ったのかもしれない。問題はオギが、妻が一体何を知っていたのかをよく知らないということだ。

 うむ、うずうずする。

 もしかすると思った以上にミステリーを意識しているかもしれない、と感じたのは文中に意外な作品についての言及があったからである。ダシール・ハメット『マルタの鷹』(ハヤカワ・ミステリ文庫)だ。読み始める前、巻末の参考文献一覧にこの書名を見つけたときからどういう形でサム・スペードの物語が関わってくるかが気になった。結論から言うと、作中で言及されるのは『マルタの鷹』に出てくる文章でも、もっとも謎めいたくだりとされるフリットクラフトのエピソードだ。危うく生命に関わる事故に遭うところだった男が突如失踪し、それまでとはまったく関係ない人生を送り始めた、というもので、スペードがどういう意図でこの話をして聞かせるのかは『マルタの鷹』を読んでもよくわからないところがある。ただし、ヘヨンがここを引いてきた意図は、人間の行動の不思議さを描いたものだからだろうという気はする。過去に縛られた形で現在を生きるしかない人間が、その鎖から突如解放されたらどうなるか、という仮定としてこの寓話は語られるのである。

 題名が「穴」であることからもわかるとおり、連続する人生に強制的な形で空隙を作ったらどうなるか、という話でもある。オギが地図学専攻というのも「穴」に関わっている。バビロニアの世界地図の真ん中に空いている穴は図像学的な意味を持つものではなく、コンパスの針が置かれた跡だという。その穴にオギは強く魅了されるのである。意味を持たないということが唯一の意味である穴。交通事故という形で人生の空隙にはまりこむことになるオギは、おそらくバビロニアの地図に空いた穴を見たときから、そこに囚われる運命だったのだ。

 ヘヨンは韓国の作家で、これまでに『アオイガーデン』(クオン)が邦訳されている。緊迫感の漂う作品ばかりを収めた実に不穏な作品集だ。本国では韓国日報文学賞、李孝石文学賞など多くの賞に輝いており、『ホール』の英訳版で二〇一七年度のシャーリイ・ジャクスン賞を獲得した。

『くじ』や『ずっとお城で暮らしてる』などの作者の名を冠した賞は二〇〇七年に設立された、心理サスペンス、ホラー、ダーク・ファンタジーなどを対象とするものだ。その年の一月一日から十二月三十一日までに刊行された作品の中から候補作が選ばれ、翌年のリーダーコンという集まりで受賞作が発表される。アジア圏の作家で最初に受賞したのは小川洋子で、第二回にあたる二〇〇八年にDiving Poolという短篇集が選ばれている。実際にその英訳版を手に取ったわけではないのだが、ネット書店で確認した限りで書くならばこれは、芥川受賞作の「妊娠カレンダー」と、同作を表題とする短篇集に収録された「ドミトリイ」、第二作品集の『冷めない紅茶』(現在は第一作品集『完璧な病室』に吸収)に入っている「ダイヴィング・プール」の三篇で構成された本である。

 小川以降では、二〇一二年に鈴木光司『エッジ』が長篇部門で選ばれたのが二番目、ヘヨンはアジア圏では三人目になり、韓国語作家では初の栄誉ということになる。シャーリイ・ジャクソンの名にふさわしい、読んだ者の心にさざ波を立てずにはおかない小説だ。この作家の小説をもっと読みたい。読んで不安になりたい。

(杉江松恋)

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