北アイルランド一匹狼刑事シリーズ第二弾『サイレンズ・イン・ザ・ストリート』

北アイルランド一匹狼刑事シリーズ第二弾『サイレンズ・イン・ザ・ストリート』

 出勤時、すべての警察官が車の底に爆弾がとりつけられていないか確認する。そしてけっこうな頻度で実際に爆弾を発見してしまい、失禁しながら処理班を呼ぶことになる。

 それがエイドリアン・マッキンティ『サイレンズ・イン・ザ・ストリート』(ハヤカワ・ミステリ文庫)の舞台となる、1980年代北アイルランドの状況だ。

 警察官のアルコール依存症率は高く、年金をもらうまで勤める人員の率は極めて低い。テロリストに殺されなければ、自分で自分を殺してしまうからだ。将来ある者は尻に帆掛けてグレートブリテン島に逃げていく。そんな土地で王立アルスター警察隊(つまり刑事警察)に奉職するのが本書の主人公、ショーン・ダフィ警部補だ。ショーン・ダフィ、変わり者である。警察官のほとんどがプロテスタントなのに、彼だけがカソリック信者なのだ。カソリックなのに過激派のIRA(アイルランド共和軍)に身を投じなかった男。だからIRAからは命を狙われる立場にある。ついでに、プロテスタントしかいない地域に住んでいるへそ曲がりである。だから何かがあるとプロテスタント系の過激派UDA(アルスター防衛同盟)からも命を狙われる。

 一匹狼の主人公がいい? ならばショーン・ダフィを好きになるしかないだろう。いつでもどこでも、誰からでも命を狙われる可能性のある男。おまけに女にはもてるし、新しめのポップ・ミュージックはだいたい嫌いだ。

—-家に戻り、バグルスのアルバム《ラジオ・スターの悲劇》をかけた。慈善バザーで二ペンスで買ったものだ。ウォッカとライムジュースをパイントグラスに注ぎ、飲みながら聴いた。どうしようもないアルバムだ。

 おうおう、トレヴァー・ホーンになんてことを。この後もうすぐ到来するユーロビートの時代になったら、きっと四方八方に唾を吐き散らすことになるだろう。

 そんな男、ショーン・ダフィが登場する北アイルランドの警察小説シリーズ、『コールド・コールド・グラウンド』に次ぐ第二作である。

 この連作を一口で言うならば「殺人事件捜査の優先度がとても低い警察小説」である。日常的に無差別殺人が起き、どんどん犠牲者が出ているからだ。前作でもあっさりテロリストの仕業ということで片付けられそうになった事件を、ショーンが食い下がって捜査実行させる場面があった。今回の物語は、ショーンと部下のマクラバン(クラビー)巡査が、トランク詰めにされた切断死体を発見することから始まる。繰り返すが、死体そのものはまったく珍しくない。この死体には特殊なところがあることが早い段階でわかっていた。いったん冷凍された上でどこかに保管されていたらしいのだ。それも特段驚くべきことではない。だが、決定的におかしなことがあった。死因は毒殺だったのである。

 とすれば話は変わってくる。異常事態だ。犯人が誰であるにしろ、北アイルランドでは毒物よりも銃火器のほうがはるかに手に入れやすいのだから。使われたのはトウアズキという珍しい植物から抽出された毒物だという。かくしてショーンたちは、このうちにはトウアズキが植わっていませんか、と行く先々で温室を覗くことになる。

 この欄で『コールド・コールド・グラウンド』を紹介した際、「目まぐるしく事件の見え方が変わっていく警察小説」であり、主人公のショーンが独断専行型、かつコリン・デクスターの生んだ名探偵モース警部のように、考えがひらめくままに行動をしていくので、捜査進行が極めて危なっかしいことになる、と書いた。その猪突猛進は、今回やや控えめである。しかし、ヘニング・マンケル『殺人者の顔』で初登場したクルト・ヴァランダーが、シリーズ第二巻の『リガの犬たち』で前作を上回るとんでもないことをやらかしたように、本書の主人公も捜査の進め方が独創的であるがゆえに窮地に追い込まれる。今回抱える事件は二つ。一つは前述した、毒殺バラバラ事件だ。もう一つは、イギリス軍のために働いていた男が自宅の敷地内で撃ち殺されたというもの。二つの事件の間につながりは薄く、部下たちは、余計なことに首をつっこんだせいで仕事が増えてしかたないっす、とぶうぶう言うが、なぜかショーンは両方の事件を並行して捜査することにこだわり続ける。当然ながらその間につながりがあるのか、ないのか、ということが焦点になってくるのである。

 前作ほどの飛躍はないものの、ひねりのきいた展開が楽しめる。ストーリー展開とは直接関係がないが、本シリーズの魅力は北アイルランド人たちの方言が反映された訳文にもある。とりあえず返事は「あい」。どの程度原文に忠実な訳なのかは判断できないけど、そののんびりした口調と緊迫した状況(どんどん人が死ぬ)との落差がおもしろい。翻訳小説を読んでいて腹が痛くなる機会はそれほどないが、本書の302ページでは思わず手がとまるほどに笑わせてもらった。武藤陽生がいい仕事をしているので、ご期待ください。

 二作目になり、北アイルランドを舞台として、実在の出来事を絡めた物語を描く、というシリーズの性格はさらに際立ってきた。今回、作中で起きる最大の事件はフォークランド紛争だ。1982年3月、大西洋上に浮かぶフォークランド諸島をめぐってイギリスとアルゼンチンの間に起きた戦争で、双方に多くの死者を出すことになった。それが勃発してしまうのである。遠いフォークランドで揉め事が起きて何が困るかといえば、内乱鎮圧のために派遣されていた軍隊がそっちに行ってしまうことだ。ますます手薄になって治安が乱れ放題、というざわざわした状況下でショーンは捜査を続けざるをえなくなる。その雰囲気も読みどころである。

 これで二冊目。来春刊行予定の第三作は島田荘司にも影響を受けた密室殺人ものらしい。果たして、マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー『密室』を越えた不可能犯罪捜査小説になれるか。

(杉江松恋)

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