将棋と家族の40年の物語〜桂望実『僕は金になる』
ネットなどで最初にうまい言い回しを思いついた人(見知らぬ人だけど)にはつねづね畏敬の念を抱いているが、ここ最近のヒットは「見る将」。まだそんなに定着度合いは高くないかもしれないものの、”ルールや戦法などはまったくわからないけど、将棋(棋士)を見るのは好き”という状態を、簡潔に表現してもらえるのはありがたいので(「ツンデレ」以来の感謝を捧げたい)。
私の見る将歴は長い。子どもの頃の日曜午前は必ず父親が将棋番組を見ていたからに違いない。ルールを知らなくても、盤上の攻防がどちらに有利なのかなどはわからなくても、棋士と棋士の真剣勝負には思わず目を引きつけられるものがあった。まして、自分でも将棋を指せる人間だったら、どれほど魅了されることか。本書の主人公もその家族たちも、どうしようもなく将棋に囚われた者ばかりだ。本書は手に汗握る将棋小説であり、胸を打つ家族小説でもある。
物語の冒頭、小池守は中学2年生だ。両親が離婚したのは2年前。守は母親に引き取られ、父親と姉のりか子は別の土地でふたりで暮らしている。看護士をしている母親と守はいわゆる常識人であり、他方定職にも就いていない父親と基本的な生活習慣もおぼつかないりか子ははみ出し者タイプだ。さて、父親は働いてもいないのにどのように生計を立てているのか。近所の将棋サロン的な場でりか子に賭け将棋を指させて、その上がりで暮らしているのだ。りか子は日常生活においてはダメダメな面ばかりだが、将棋はめっぽう強い。かたや、守はすべてにおいて平均的。抜きん出た得意科目もなく、身体能力も芸術的センスも普通(ついでに「性格も普通」とは、周囲の守評)。将棋に関してだけはずば抜けた才能を持ち対局中には脚光を浴びる姉を、守はうらやましいと思い続けていた。
本書は、離れて暮らしているためしょっちゅう顔を合わせるわけではないけれどもたまに再会を果たす守・りか子・父親(母親は含まれない。最初のうち、守は母親に隠れてりか子たちと会っていた)の、約40年にわたる物語だ。人間は自分にない資質に憧れるものであり、それを持つ相手が家族だった場合にはよけいに切なさが募りがち。著者はそのことを細やかに、かつ明るいユーモアをもって描いている。わかりやすい才能に人々の注目が集まるのは、当然といえば当然のこと。しかし、特別な才能があれば絶対的に幸せなわけではないし、華々しい長所がない人間がもれなく不幸ということでもない。守は自分のことを、特に文句も言わず学校や会社に通い続けるばかりの平凡な存在だと思っているが、世間一般ではできて当たり前とされているそういったことがこなせない人間もたくさんいるのだ。弟の目には非凡な才能にあふれて輝いて見えるりか子が守に、「守はちゃんとしていて凄いのに、特別な人に憧れているんだね。私は普通の人に憧れているんだけどね。皮肉なもんだね」ともらす場面には胸を打たれる。
おそらく多くの人々が圧倒的な才能というものを持てたらと一度は夢見るのではないかと思うけれども(そしてその中の大多数にとっては叶わない夢だけれども)、どんな人の人生にも価値があることを著者は読者に示してくれる。この小説が心温まる内容になっているのは、守の周りの人々(特に父親)の人柄によるものが大きい。父親はりか子の勝負強さに乗っかって生活しているくらいだからもちろんりか子の棋力を高く買っているが、その一方で守の真っ当さを心から評価している。どんなに学歴や収入が高くても、思いやりの心がない人間はアウトだろう。そして守もまた、姉や父親(それに母親)のことを大切に思っている。若い頃は多少親への反発心めいたものもあったようだけれども、卑屈になることなく育った。そんな守だからこそ、「私お義父さんのファンだからさ」と言えるような妻と出会えたのかもしれない。守自身は自分の平凡さをコンプレックスに感じていたかもしれないが、こんな息子に育ってくれれば万々歳といえよう(守は昭和54年の時点で中2、平成29年には「六十歳が定年」の会社で「定年まで八年」となっているから52歳。私とほぼ同年代であるため、個人的に親近感が)。
タイトルの『僕は金になる』の「金」とは、”かね”ではなく”きん”。将棋の駒の「歩(ふ)」が、敵の陣地に入ると「と金」となってパワーアップすることにちなんでいるのだろう。「歩→と金」の駒の魅力が語られるシーンもぐっとくる(この祐一さんというキャラクターがまたよい)。ぜひお読みになられますよう。
著者の桂望実さんは、2003年に『死日記』(小学館文庫)で「作家への道!」優秀賞を受賞され、作家デビュー。幅広い作風でいわゆる「白桂」「黒桂」的な分類をすることも可能ではないかと考えているが、本書のような「白」グループの作品がより好きかなと思う。せっかくだからもう1作くらいガチの将棋ものを書いていただきたいなと、見る将歴40年オーバーからのお願いです(あっ、そうなると「黒」な将棋小説もいいかも!)。
(松井ゆかり)
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