記憶は誰のもの? 意識はどこから? 迫真の近未来ノワール

記憶は誰のもの? 意識はどこから? 迫真の近未来ノワール

 近未来、脳内の特定の切手サイズの素子に、保存・再生する技術が確立されていた。映像や音声だけでなく、味覚・嗅覚・触覚、さらには原体験者の当時の感情までも生々しく味わうことができるのだ。これを利用した擬憶体験(リメメント)は、新しいエンターテイメントとして浸透する。そのコンテンツ(MEMと呼ばれる)である原体験を提供する演者が、憶え手(メメンター)だ。主人公の宵野深菜(しょうのみな)もそのひとり。

 究極のメディアともいえる擬憶体験(リメメント)が登場したにもかかわらず、昔ながらの紙の本を読む者もいる。たとえば、深菜と同居している—-ふたりの関係には甘やかなものが匂わされる—-三崎真白(みさきましろ)だ。この物語の冒頭、彼女はA・E・ヴァン・ヴォークト『非(ナル)Aの世界』を手にしている。

 だんだんわかってくるのだが、『忘られのリメメント』は、『非(ナル)Aの世界』と照応するところが多い。『非(ナル)Aの世界』は、1945年に当時のアメリカSF界におけるリーディングマガジンである〈アスタウンディング〉に連載され、読者のあいだで大評判となった。異様な未来の様相を背景に、速いテンポの場面転換、次々と投入される謎とサスペンス、ヴァン・ヴォークトならではの豪腕ストーリーテリングが冴えわたっていた。『忘られのリメメント』も雑誌連載にあたって、サスペンスや謎解きというスタイルを意識したと、作者の三雲さんご本人が掲載誌〈SFマガジン〉のインタビュウであかしている。

 ストーリーテリングだけではない、脳の潜在能力の開発や複数の自分といったモチーフ、登場人物の死・復活さえ組みこんだ複雑なゲーム的展開も、『非(ナル)Aの世界』ばりだ。さすがに二十一世紀の作品なので、ヴァン・ヴォークトのジャンク感(良く言えば表現主義的ケレン)はなく、読み味はずっとスマートである。アニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』を髣髴とさせる近未来ノワールに仕上がっている。

 物語は、深菜が脱法MEM(殺人の体験を記録した悪趣味なコンテンツ)の捜査を依頼されるところからはじまる。リメメント技術をほぼ独占しているリギウス社CEO直々のオファーであり、深菜に断る選択肢は与えられていない。探偵でもない深菜に白羽の矢が立ったのは、殺人事件に朝来野唯(あさくのゆい)が関わっているからだ。唯は十四年間で七十四人を殺した、日本史上最悪のシリアルキラーであり、リメメント技術を実用化した研究者でもある。そして、表には出ていないことだが、かつて唯は医療施設NL(ニューリーフ)脳生理研究所で”完全なる擬憶体験(パーフェクト・リメメント)”による人格刷り込み実験をおこなった。深菜は、ほかならぬその被験者だった。

 深菜は、経験したすべてのできごとを忘れることができない、超記憶症候群(ハイパーサイメシア)という先天的疾患があった。それが人格刷り込みに好都合だったのだ。唯は自分の人格を深菜にコピーする。といっても、脳のすべてが上書きされるのではなく、深菜自身の人格も保持されている。つまり、深菜は、殺人者アサクノを心の奥に潜む恐怖の象徴として抱えながら生きているのだ。いつか、自分がアサクノに飲みこまれてしまうかもしれない。こうしたアイデンティティの不安は、唯だけのものではない。リメメント技術がさらに進化すれば、だれもがいやおうなく突きあたる問題だ。

 物語の起点では探偵役として登場した深菜だが、真白が連続殺人に巻きこまれたことで、被害者の関係者(警察にとっては容疑者のひとり)の立場になる。さらに、閉鎖されたはずのNL脳生理研究所で、新しい実験がおこなわれていることがわかる。複数の人格の転写である。この実験のコンセプトも、唯から引きつがれたものだった。唯はユングが提唱した集合的無意識に興味を持っていた。もし、そんなものが技術的に扱いうるならば、ひとりの人間が持つ人格の意味、そして死の意味すら変わってしまう。

 巷に出まわっている脱法MEMは、アサクノの殺人体験の記録ではなく、模倣者によるものだ—-というのが、リギウス社の見解であり、深菜も自ら脱法MEMを試してそう確信している。はたして模倣犯の正体は? そして、行方がわからなくなっている唯はどこにいて、いま起こっている事態とどう関わっているのか? 終盤に至るまで、先がまったく予想できない緊迫がつづく。

(牧眞司)

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