「このまま死ぬのはあまりにもかわいそう」度重なる罪と動かぬ証拠! 幼妻が思わず夫を引き止めた真意とは ~ツッコみたくなる源氏物語の残念な男女~

「世の中には男と女しかいないのに」死後も続く執念にウンザリ

謎の病気によって一度は絶命した紫の上。その病の原因は、死霊となってさまよう六条御息所の物の怪でした。源氏は生き返ってくれたことが嬉しくてたまらない一方で、こんな状態ではまた死んでしまうのではと心配です。

ちょうど季節は梅雨に入り、蒸し暑さと湿気が快復を阻みます。また、あの物の怪も時々出現しては、何やら悲しげな訴えを続けるのでした。

「読経も祈祷も炎のように苦しい」と訴えていた六条の物の怪に、源氏は罪の軽くなる供養をしてあげますが、内心はこの重さにウンザリでした。生きている時も重かったけど、死んでなお執念を持ち続けているとは……。その根深さ、恐ろしさのあまり、彼女の娘の秋好中宮のお世話すらしたくない気分です。中宮は何も悪くないのですが。

でもそれもこれも結局は自分が招いたこと。世の中には男と女しかいないのに、そこに愛欲煩悩の渦巻く限り、こうした悲劇が起こるのだと思うとすべてが嫌になりそうです。

紫の上は相変わらず出家を望んでいました。源氏は「少しでも彼女が長生きしてくれるなら」『五戒』(在家信者のための儀式)を受けさせます。当時は出家するだけでも功徳が授けられ、病気が治ったり、寿命が伸びたりすると信じられていました。本格的な出家ではありませんが、少しでも病が軽くなるようにとの配慮です。

彼女の長い髪の一筋にハサミを入れ、お坊さんのありがたいお説教を受ける間も、源氏は紫の上にべったりとつきっきり。「一日でも長くこの人と一緒にいたい。そのためならどんなことでもする」。今の源氏には、愛する妻の延命する以外のことは何も考えられません。世間体も忘れ、看病に明け暮れるその顔には、やつれも見えるようになっていました。

「あまりにもかわいそう」夫の嘆きに回復を誓う妻

梅雨があけると本格的な暑さが訪れ、病み上がりの紫の上はますます弱ります。源氏はまた息絶えてしまうのかと、傍目にも痛々しいほど取り乱し嘆きます。

朦朧とした意識の中で夫の悲嘆の声を聞きながら、紫の上は思いました。「私はもう、いつ死んでも構わない。……でも私が死んだら殿はどうなってしまうの?こんなに悲しませた挙げ句に死んでしまうなんて、あまりにもかわいそうだわ」。

死病を超えた妻の胸に去来したのは、以前のような愛情ではなく、夫への憐れみとも言える同情でした。

現代では『絆』は「きずな」と読み、連帯の強さを肯定的に言うことが多いですが、当時は「ほだし」とも読み、自由を妨げる人間関係のしがらみを指す表現でたびたび登場します。夫婦の“きずな”は、妻にとっては“ほだし”でもあったのです。

それにしても、「私が死んだらこの人はどうなるのだろう」という思いは、まるで幼子を残して死ぬ母親のようです。雀の子を逃したと騒いでいた無邪気な少女が、自分を育てた夫をこんな風に思う日が来るとは。時の流れの無情さを感じます。

きずなと、ほだし。そのどちらの力も手伝って、紫の上は源氏のためにもう少し生きていようと決意しました。頑張って少しずつ薬やおかゆを食べるようになり、徐々に枕が上がるようになります。

「この暑い最中に快復の兆しが見えるとは!」と源氏は大喜び。でもまだまだ気が抜けない状態で、六条院に顔を出すようなこともまったくせず、紫の上の病状に一喜一憂していました。

度重なる罪……猫の夢が教えた“動かぬ証拠”

六条院では罪の上に罪が重ねられていました。源氏が六条院に戻ってこないのをいいことに、柏木はあれ以来、想いが募ってたまらなくなるとやってきて、女三の宮に迫ります。

彼女はそれを避けることも拒むこともできず、かといってすすんで受け入れているわけでもなく、いつもなし崩しに押し流されて終わるのです。

世間ではイケメン貴公子ともてはやされる柏木の美しい顔も、宮にとっては疎ましいばかり。光源氏を見慣れた彼女には別に大したものとも思えず、ただ自分に嫌なことをするわけのわからない人、というだけです。

嫌と思いつつ柏木を退けられない宮の胸中は漫画『あさきゆめみし』で次のように表現されています。「どうしてそんなことを聞くの……? 誰を好きだの愛しているだの なぜわたくしをそっとしておいてくれないの……?/こんなことはいや! なにも考えるのはいや……!/わたくしは今までのわたくしのままでよかったのに……」。

空蝉や藤壺の宮など、今まで一度は男の侵入を許したものの、その後は徹底した防衛に出た女性たちとは隔世の感がある三の宮。残念なことに、彼女を”今までのわたくしのまま”ではいられなくする変化が起こり始めます。妊娠の兆候が現れたのです。

柏木が一番最初に想いを遂げた後に見たあの猫の夢は、ズバリ妊娠を指していたのです。一方的に迫られた挙げ句、愛してもいない男の子供を身ごもるなんてと、宮はますます恐れおののきます。

何も知らない彼女の乳母たちはご懐妊に喜びながら、たまにしか来ない源氏を薄情だと責めます。宮の不調を知らされた源氏は、ようやく六条院に行く支度を始めました。

「こんなに元気になって」久々のラブラブ会話に夫感涙

紫の上は久しぶりに気分がよく、髪を洗って涼んでいました。長い髪は乾かすまでも大変で、まだ濡れた髪を広げています。病み上がりの彼女の肌は透き通るように白く、髪は黒々と清らかに広がって、神秘的な美しさです。

源氏は紫の上の体調がいいのを喜んで、久しぶりに庭の手入れなどもさせていました。池には蓮の花がいっぱいに咲いて、青々とした葉の上に露が玉のように輝いています。「見てごらん。蓮は自分だけ涼しそうだよ」との源氏の言葉に、体を起こして庭を見やる彼女の姿も、本当に久しぶりです。

「ここまで元気になって……本当に夢のようだ。私自身、もうだめか、もうだめかと何度思ったか」「それもひとときのことですわ。蓮葉に浮かぶ露のような、儚い命ですもの」「今から約束しておこう。来世でも同じ蓮の台に生まれ変わって、一緒にいようね」。

久々にラブラブなので、到底六条院に行きたい気分ではない源氏。でも朱雀院や帝の手前、あんまり宮放置しておくわけにもいきません。それに紫の上も珍しく安定しているし、これを逃すとまたしばらくは行けなくなるかも……と思い、重い腰を上げてようやく宮のお見舞いに向かいます。

突然の懐妊も喜びなし?身の程知らずな嫉妬に狂う間男

宮は“心の鬼”に責められて、源氏と顔を合わせることもはばかられ、話しかけられてもろくに返事もできません。“心の鬼”とは良心の呵責の意味ですが、源氏との間に冷泉帝を懐妊した藤壺の宮の時と同じ表現です。

今回も、源氏には宮がほったらかしをスネているようにしか見えませんが、乳母などから話を聞いてやっと懐妊したことを理解。「そうだったのか。結婚7年も経って珍しい」と思いつつ、他の妻たちにはそういうことはなかったのにと、どこか釈然としません。

子宝の恵まれず、そのことが悩みでもあった源氏ですが、ここへきて宮が「懐妊」と聞いても特に喜んでいない。意外なことだ、とは思っても、それ以上の興味関心をさっぱりもっていないのです。

葵の上が夕霧を妊娠した時は夫婦の不仲を忘れたかのように見舞ったり、娘の明石の女御の時は万が一のことがあったらと早々から心配しまくっていたのに。それくらい、宮のことはどうでもいいと思っているとも言えます。

それでも可憐な宮が、悪阻で不快そうにしているのはさすがにかわいそう。前回同様、すぐに帰るわけにも行かず、また数日滞在コースです。でもその間にもひっきりなしに二条院とやり取りし、緊密な連絡を欠かしません。今だったらスマホを常に手放さず、常にLINEの着信が表示されているような感じでしょうかね。

「この短時間にどうやったらあれだけ書くことがたまるのかしらね」と、宮の女房たちはブーブー。懐妊の真相を知る小侍従だけは、源氏に秘密がバレたらどうしようとドキドキしています。

というのも、久々に源氏が六条院に来たと聞いて、柏木は身の程知らずの嫉妬に狂っていたのです。思いの丈をぶちまけた彼の手紙を、小侍従は源氏のいない時にこっそり宮に見せました。

「嫌なものを見せないで。それじゃなくても気分が悪くてたまらないのに」「でも、この端の方だけでも。あまりにお気の毒なんですもの」と、手紙を開いたところで人のくる気配が。小侍従は慌てて宮に手紙を渡し、バタバタ出ていきます。

ドギマギしながら宮が手紙を読みかけた時、部屋に源氏が入ってきたので、彼女はとっさに手紙を敷物の下にすべりこませました。

「もう帰るの?」思わず引き止めたその真意は

あなたの悪阻はさほど心配なさそうなので、二条院に帰ろうと思います。まだ紫の上は不安定で、心配で。いろいろ悪い方に取る人もいるでしょうが、その言葉を信じたりしないでね」。もう帰ろうとしてる!!

いつもなら宮はこんな時にも天然発言などをして、源氏を死ぬほど笑わせたりしてくれたのですが、今やすっかり暗く沈んで、ろくに顔を見ようともしません。まあ、直前に間男の手紙を敷物の下に隠したばかりなので、無理もないですが……。

打って変わった宮の様子を、源氏は「やっぱり構ってくれないとスネているんだろう」と受け取り、すぐには帰らず宮とここでおしゃべりしつつお昼寝。夕方になってひぐらしがカナカナと鳴き出した声で、ようやく目を覚まします。

「すっかり夕方だ。暗くならないうちに帰ろう」と着替え出した源氏に、宮は「月待ちて、とも言いますのに……」。夕方は道がわかりにくいからせめて月が出てから帰って、その間だけでも一緒にいたいわ、という古い和歌を引用して引き止めます。

源氏に秘密がバレるのを心底恐れながら、どうして宮はわざわざ引き止めるような言葉を発したのか。早く帰ってほしいんじゃないのか?とも思えますが、少しこの辺を掘り下げてみましょう。

源氏が帰ってしまえば、また柏木がやってくる。朱雀院や源氏といった、お父さん的な男性の庇護下でしか過ごしたことのなかった宮にとって、柏木は一方的に猛烈な嵐のように襲いかかり、否応なく今までの自分を塗り替えていくわけのわからない存在です。

彼の激しい手紙、そしてあの嫌な逢瀬がまたやってくると思うと、父のように守ってくれる源氏を頼りたくなってしまったのでしょう。少なくとも源氏がいる間は、柏木はやってこれませんからね。

源氏は子供のように言う宮が愛おしくなり、仕方なく「それではもう一晩だけ」と泊まっていくことを決めます。しかし皮肉なことに、この引き止めの一夜こそが、宮と柏木をさらなる悲劇に追い込むきっかけになるのでした。

簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/

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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか

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