タレント&キャラクターデザイナーの二足のわらじを履く理由は? 若槻千夏「難しい作業にも楽しさのかけらがある」

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現在もタレントとしてテレビを中心に活躍中の若槻千夏さんですが、クマをモチーフにしたキャラクター『KUMATAN(クマタン)』のデザイナーとしても一面を持っています。そんな若槻さんが、『サントリー 南アルプススパークリング』のWebキャンペーン「#スイッチしよう」に出演しています。

ここでは、タレントとキャラクターデザイナーの2つの顔をもつ若槻さんにインタビュー。一度タレント業を休止した時の心境や、『KUMATAN』に賭ける想いなどを語って頂きました。

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――若槻さんはまずグラビアでデビューされて、テレビのバラエティー番組でも活躍されました。

若槻千夏(以下、若槻):17歳で渋谷の109の交差点でスカウトされたのがきっかけで、19歳から20歳くらいでテレビのバラエティーに出るようになりました。もともとテレビに出ることが目標だったのですけれど、忙しくなって、若かったこともあって、「自分がやりたかったことはほんとうにこれだったんだろうか」と壁にぶつかったんです。テレビに出演することは楽しいことだけだと思っていたら、MCの人やほかに出演している芸人さんとのやりとりとか、レベルの高い人たちを目の前にして、ちっぽけな自分に気付いてしまったんですね。だから「自分はバラエティーに向いているんだろうか」と。こう見えて根が真面目で悩みやすいタイプなので(笑)。そういった小さい自分から「ちょっと変わりたいな」という気持ちがだんだん出てきたんですね。

――テレビの出演を一度やめて、他のことに挑戦したいとなったのですね。

若槻:事務所の人に22歳の時に「ちょっと1回お休みして、いろいろチャレンジしたい」といった話をしたんです。その頃に若い子が「好き」というレベルで洋服が好きっていうのがあって、「何かできる気がする」となって、古着の買い付けに行くことをその場で勢いで決めたんです。それで、芸能界を一度休みました。

――その時の周囲の反応はいかがでしたか?

若槻:やっぱりみんな反対しましたよね。会社に勤めている人もそうだと思うんですけれど、休むとか辞めるとかは人に迷惑をかけることなので。だから、中途半端な気持ちじゃないっていうのを伝えるのがすごく大変でしたね。

――どんなふうに反対されましたか?

若槻:当時バラエティー番組のレギュラーを8本くらいあったので、「何で辞めるの」とまず言われました。それを降りてまでやる成功率はあるのかと。「今頑張らないでどうするの?」とめちゃめちゃ言われました。だけど、私は逆に「戻ってきて、倍にしたらよくないですか」って思っちゃったんです。マイナスなことをめちゃめちゃ言われるんですけど、それをプラスに変えていかないとできない気がして。だから、ネガティブなことを言われても、びくともしなかったですね。

――そういった声を押し切ってまで、服の買付けに行こうと決意した瞬間はありましたか?

若槻:住んでいたマンションと車を売ったときです(笑)。「もう日本にはいれない」とまで自分を追い込んで。やっぱり大口叩いて帰った日の夜に悩むんですよ。だけど、「これはもう自分で気持ちを負けずに追い込んでいかないと駄目だ」と思って、マンションを解約して車を売って、もう何もない状況にしてやりましたね。

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――古着の買付けにはどれくらいの期間をかけたのでしょう?

若槻:アメリカに買付けに1年ぐらい行きましたね。自分に自信がない時期だったので、何かをきっかけに大きくなりたいと思っていて、何が確実か分からなかったですけど、一番興味があって好きな洋服、古着をいろいろ勉強して買いに行こうという心境でした。

――実際、イチから買付けをしてみた当時を振り返ってみていかがでしたか?

若槻:アメリカに行けば解決すると思っていたんですけれど、それまでタレント一本でずっとやっていたので、まったくの無知だったから「買付けって何?」とまた現実にぶつかりましたね。どうやって商売をするのかという問題にぶち当たった時に、「大人としてやり直さなければいけないんだ」と決意しました。それで、「1000着、古着を集めてビンテージショップをやりますと胸を張って言えるまでは日本に帰らない」となって、当時流行っていた『mixi』の「古着好き集まれ」(コミュニティ)の管理人さんにメールしたり、現地にバイヤーとして来た日本人の方や外国人の店員さんに話しかけたりして、いろいろな人に助けられつつ、やっと1年で古着を買付けするノウハウを学ぶことができました。

――それまでのタレント活動と、ここが違ったということを具体的に教えてください。

若槻:違いましたね。タレントをやっていると、周囲が何でも手配してくれますから。それがまったくない状態で、買付けに行ったので、ほんとうに「ああ、全然違うな」となりました。だから買付け以前の問題にぶち当たったりもしましたね。

――その中で、ご自身のことで新たな発見や知らない自分と向き合うといったことはありましたか?

若槻:それまでに競馬番組に出演していて、周りが賭け事をめちゃめちゃする人たちで、ギャンブラーみたいだなと思っていたんですけれど、ちょっと冷静な目で見ていたんですよ。「めちゃめちゃ賭けるな」と思っていたんですけど、アメリカに着いた時に、「私、めちゃめちゃ人生、ギャンブラーじゃん」と気付いたんですよね。そこではじめて自分の一面に気づいたというか。買付けをひとりで全部手配したときに「私、めちゃめちゃこういうの好きなんじゃん」と。自分でスケジュールを立てたり、明日の作業を何しようか考えたり、そういうことが好きだな、となって。それからちょっと口うるさくなりました(笑)。

――1年の買付けから帰国してから、どのように販売をしたのでしょう?

若槻:日本に帰ってきてから、ウェブストアを作って買付けした古着の販売をしました。そのタイミングでアパレル会社の社長さんから「洋服に興味があるそうなので、一度お話ししませんか」とお声がけを頂いたんですね。でも、急に誰かと組んでやってしまうと、これまでの1年も誰かと一緒にやっていたのではないかと思われるのがすごく悔しくて、買付けした古着が全部ストアで売れるまで「お話はストップさせてください」とお願いしたんです。

――ご自分の力だけでやろう、と。

若槻:もっと簡単なやり方は、多分あったと思うんですよ。いつも思うんですけど、頑固者だから結構遠回りするタイプなんですね。「あの時、人に頼っておけばよかったな。あの人が言ったことを信用しておけばよかったな」とか思うことがめちゃめちゃあるんですけど、自分で決めたことに突き進んでいかないと、やっぱりみんなに注目してもらえないというのはありますね。それで、いろいろなつながりができたので、後悔はしていません。

――遠回りしても、ゼロからスタートするという決意の根底にあったものは何だったのでしょう?

若槻:やっぱり名前を出していた部分もあるので「テレビで応援してくれていた人たちもいるんだな」とすごく実感が湧きましたし、その大切さにも気付いて、自分で「全部ゼロにしていこう」と思ったけれど、結局はいろいろな人の支えがあって新しいこともできたんだな、と。でも、中途半端にやるよりは、ズバっと決めてやった方が、後から人が応援してくれるんだなと思いました。

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――その後、ご自身のブランドを作って、『KUMATAN』というキャラクターがヒットしました。

若槻:さっきの話に出てきた社長さんがまた連絡してきて頂いて一緒に作ったのが『W♥C』です。デザイナー契約だったのですけれど、はじめての経験で「何をしたらいいんだろう」となって。アメリカの買付けに行った時の時間で作っていたキャラクターが『KUMATAN』というキャラクターです。友だちと一緒に作ったんですけど、暇すぎて作ったイラストだったんですよ(笑)。「このイラストをTシャツに入れてみようかな」と思って、ブランドを立ち上げるときに、『KUMATAN』をデザインに入れたら、ものすごい売れたんです。

――いま、若槻さんは『KUMATAN』というキャラクターの可能性に賭けていらっしゃるように見えます。

若槻:自分は服が好きと思って始めたんですけど、夢を突き通すっていうよりも、未来が大きいものにどんどん懸けてくという、ギャンブラーみたいなやり方をしていて(笑)。『KUMATAN』のキャラクターの将来性とか、ビジョンが明確に大きく見えたんですよ、「いつかアニメにしたいな」とか……。それで『W♥C』を辞めて、『KUMATAN』を本気でやろうと思って立ち上げたのが今の会社ですね。バラエティーを一度休んだことが第一の転換期なら、これが第二の転換期になりますね。

――今の仕事や、人生での最大の目標っていうのは何ですか?

若槻:最大の目標。『KUMATAN』を動かすことですね。映画でもアニメでもいいのですが、やっぱり平面のキャラクターなので、それを360度リアルに動かすのが目標。ものすごいハードル高いんですけど、長い人生頑張ろうみたいな(笑)。

――『KUMATAN』の動く姿を見せたい理由はどういったことになるのでしょう?

若槻:単純に、キャラクターを成功させた芸能人っているかなと考えたときに出てこなかったんですよ。もともと芸能をやっていて、キャラクターを作って、それが動いたりアニメになったりした人はいないなと思ったときに、めちゃめちゃやりがいを感じたんです。今またちょっとずつテレビの仕事も始めているのもその一つの理由で、両方できたらすごいと思ったんです。『KUMATAN』がアニメになったなら、声優さんが必要になってくるわけじゃないですか。それにまた私も癒着で入れるわけじゃないですか(笑)。そういうふうに、両方を頑張るっていいなっていう。

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――若槻さんが、生きる上で大事にしていることは何か教えてください。

若槻:「楽しく生きる」は、自分の中でのモットーだとは思いますね。めちゃめちゃ大変なときでも、「楽しい」が一番最初にあるからできることなんで、もちろん会社だからお金に関わっていかなきゃいけないんですけど、大変な作業の中から「楽しい」を見つけていく作業っていう感じですね。すごいつらかったり難しい作業だったり面倒くさい作業の中でも、絶対楽しいことのかけらが落ちているはずなんで、それを探すのは結構得意な方だと思っています。

――若槻さんにとっての自分らしさは何だと考えていらっしゃいますか?

若槻:ポジティブですね。あとネガティブな人をポジティブにしてあげられます(笑)。悪いことって考えてもしょうがなくないですか。だから、いいことだけ考えちゃうタイプなんで、ポジティブです!

――ありがとうございました!

サントリー 南アルプススパークリング『#スイッチしよう』 若槻千夏氏ソロインタビューver. – YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Zttk0MVcxUA&t=7s [リンク]

KUMATAN クマタン公式サイト
http://www.kumatan-wcjapan.com/ [リンク]

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ふじいりょう

乙女男子。2004年よりブログ『Parsleyの「添え物は添え物らしく」』を運営し、社会・カルチャー・ネット情報など幅広いテーマを縦横無尽に執筆する傍ら、ライターとしても様々なメディアで活動中。好物はホットケーキと女性ファッション誌。

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