「ラッキーをラッキーで終わらせない」専業主婦だった私が社長になって感じること
坂口もとこ
メニュー・フードプランナー
Motti&BentonFoodConsulting株式会社代表取締役
一般社団法人 日本フードビジネスコンサルタント協会 理事
株式会社サンミュージックプロダクション 文化人所属
会社員を経て、製パン、料理の各種スクールにて学び、野菜ソムリエプロ・パンアドバイザー資格取得(日本野菜ソムリエ協会認定)。少人数の料理教室開催、イベントでの講師、講演活動、料理書籍出版。2016年にMotti&BentonFoodConsulting株式会社を設立。現在は、食に関わる商品開発やメニュー開発を中心に、食のブランディングのコンサルタントとして実践プロデュース業務に力を注ぐ。
CAから専業主婦へ。ママ友に背中を押されて始めた料理教室
——CAになった経緯は?
実は、CAになろうとは思っていなかったんです。
短大時代に英語の学校にも通っていて、その学費のためにレストランのアルバイトを始めたのですが、そこで、元・全日本空輸株式会社(以下ANA)のグランドホステスだった店長さんと出会ったのが大きなきっかけです。
アルバイトをはじめてしばらく経ち、就職活動を始めたころに、店長さんから「あなたはサービス業が向いているわよ!」と、CAの試験を受けるよう強く薦められたのです。そのころ銀行や商社などから内定もいただいていましたが、急遽ANAの入社試験を受けたところ合格し、入社しました。入社後は英語力を買われて、国際線に配属されファーストクラスでの接客なども含めて、じつに多くの経験をしました。
——結婚を機に退職したとのことですが、海外を飛び回っていたCAから専業主婦となり、生活は一変しましたよね。後悔はありませんでしたか?
後悔という気持ちは起こらなかったですね。私はいつも直感で行動して生きているもので(笑)。
ただ、学校を卒業してからずっと、一カ月に10日しか日本にいないような生活だったので、専業主婦になって自分が一般のことをあまりにも分かっていない事に気づきました。そこで自宅近くの宅配便の集配所で朝5時に起きて集荷の仕分け業務のアルバイトをしたり、簿記の資格をとろうと税理士事務所でもアルバイトをしました。そして息子を妊娠したことをきっかけに、完全なる専業主婦になりました。
——本当に直感で行動されていますね(笑)。完全なる専業主婦時代はどんな風に過ごしていたのですか?
息子が幼稚園年中になるころまでの4〜5年の期間ですが、専業主婦という自覚はあまりなく、充実した毎日でした。CA時代にさまざまな食文化に触れる機会も多かったので、料理に対する興味が深く、前々から趣味だったパン作りや料理を学ぶことに没頭していました。パンの専門学校や料理教室に通えたのもCA 時代の貯蓄があったからです。
——では、どういった経緯でご自身で料理教室を始められたのでしょうか?
息子の幼稚園のバザーなどで手作りのパンを振る舞うたびに、「教えてほしい」と言われることが多かったのですが、うちのキッチンには教えるための広いスペースも道具も揃っていないため断り続けていました。すると、あるママ友に「コンパクトなキッチンでもこんな料理やパンが作れるのは、最大のアピールポイントだよ」と言われたんです。この言葉に背中を押されて、友人3人に対してパンと料理のレッスンをしたのが始まりです。その友人がクチコミでひろめてくれたおかげで、翌週には一気に4〜5クラスに増えました。料理教室を始めた当初は、知り合いからお金をもらうのも気になり、レッスン料は赤字にならないよう材料費だけ。ただ、私は極めたい性格なので、レッスンに使う道具や皿を揃え、スキルもさらに磨いていたら、「こんなにちゃんとしてくれるなら、レッスン料を上げてください」と生徒さんのほうから言い出してくれました。
少しずつ収益につながるようになったのは、私の気持ちに対して、生徒さんが応援したいと思ってくれた結果なのだと思います。この時、期待される以上のことを返せば、必ず次につながるということを実感しました。
自己研鑽と食のプロとして広がる個人の仕事
——個人の仕事は、どのように広がっていったのですか?
料理教室開催と並行して、さらなる学びのために、とある料理研究家の教室に生徒として通っていたのですが、先生から「アシスタントにならない?」と声をかけていただいたんです。そこから、レッスン、イベント、撮影など、多くの仕事のアシスタントを経験しました。特に撮影は、スタッフみんなの英知が集まる瞬間を感じられ、たまらなく好きになりました。このころに出会った編集者さんが、後に個人の仕事で関わるようになったり、良い経験になりました。
また野菜ソムリエとパンアドバイザーという資格も取得し、このあたりから「パンと野菜」をテーマにした仕事のオファーが来るようになり、外へぐっと広がっていった感があります。
——個人として仕事を受けるようになって、意識が変わったりしましたか?
大きな意識改革の転機となったのは、『野菜ソムリエのベジ鍋』(小学館 刊)というレシピ本の制作に料理担当の一人として参加した事でした。撮影時に、アドバイザーとして参加されていた大先輩の方から、フードコーディネートの知識をたくさん教えていただきました。当時、私なりにプロ意識を持っていたつもりでしたが、現場慣れしているプロの目から見ると、私には至らないことが多過ぎたのです。もっとプロの仕事をしなければ、と心に誓いました。
書店にレシピ本が並んだ時は、家族のほか生徒さんもとても喜んでくれました。自分が活躍することで生徒さんが喜んでくれる、そのことにうれしさを感じました。
その後、ご縁をいただいて個人でもレシピ本を何冊か出していますが、この時の誓いを忘れないように心がけてのぞんでいます。
——いろんな人の影響を受けて、次の仕事につなげているんですね。
私は本当に人に恵まれているんだと思います。ただ、人に対する恩義は強い方かもしれません。人から大事にされているから、人を大事にしたいというか。
料理教室の時と同じで、期待される以上のことをどこまで返せるかということも、常に考えるようにしています。
起業、そして今後のメニュー・フードプランナーとしての目標
——食のプロとして個人の仕事が増えてきたから、起業をしたのですか?
いくつか理由はありますが、主な理由としては、個人で受けられる仕事に限界を感じたことです。会社組織のさまざまなプロジェクトとの関わりが増えていくにつれ、料理研究家という個人の肩書ではなく、もっと広い意味で食を提案する仕事がしたくなりました。プロフェッショナルとして役割をもって、社会に価値ある仕事を成立させたいと思うようになったのです。
——起業にあたって、苦労したことはありますか?
起業するための事務的な手続き、会社経営に関しての学び、事務所開設に関わる資金調達などですね。資金が少ない中での初めての起業でしたので。壁にぶちあたってもがいていると、知人が中小企業診断士の先生を紹介してくれました。これがとてもよいご縁で、いろいろと相談に乗ってもらい、国や自治体の創業支援制度を利用するための事業計画書の作成なども手伝っていただきました。
あと、これは苦労というよりも「覚悟」ですが、起業した際に、四葉のクローバーのネックレスをお守りとして買いました。こう見えて緊張しやすいんです。会社の代表となるとそうは言っていられないので、緊張するような場面では必ずこれを身につけています。——起業の前に準備したことはありますか?
会社経営や食のコンサルタントとしての基本の業務などを学ぶため、コンサルティング会社に入り、実際の業務を経験しました。さまざまな事例を学び、情報をインプットし、時間があれば業務のマニュアルテキストや、業務に関わる書物も読み込みました。また、仕事をするうえで自分に足りないものは「現場」であると感じていたので、自宅での料理教室が終わった後にビストロでアルバイトもしました。
——徹底的に現場主義なんですね(笑)
現場じゃないとわからないことはたくさんありますから。あえてシェフが一人で切り盛りしている小さいお店を選んで入り、とにかくシェフの手元をよく観察しました。スペースがない上に一人で作業するとなると、段取りやら仕込みやら学ぶことが多くあるのです。そこでの経験は、後のコンサル業にとても生きています。息子が海外留学中の1カ月間は、北海道の美瑛にある三ツ星フレンチグループのレストランで、洗い場や仕込みなどを行いましたよ。三ツ星のサービスや仕込みを目の前で見られたことは、とっても勉強になりました。その時、40歳を超えて初めて寮生活も体験しました。若い子たちに混じって(笑)。
——アグレッシブですね!
実のところ、根は臆病で恐れてばかりいる性格なんですが、興味や好奇心がそれよりも強くなった時、前しか見えなくなってしまうのかも(笑)。
この先の人生では、今が一番若いのだから、年齢で枠を狭めずに今後もいろいろとチャレンジしたいと思っています。
——起業家として今後の目標は何ですか?
設立した会社の事業内容には、「飲食店や調理家電・機器メーカーのメニュー開発」「旅館や飲食店のフードコンサルティング」「法人レベルでメニュー開発やコンサルティングができる人材の育成」の3つの柱があります。特に3番目の人材育成については、これから力を注いでいこうと思っている事業です。
今は、アパレルなど異業種の会社がフードビジネスに参入するケースが増えています。当然ながら、その会社にはフードの専門家はいません。そう考えるとメニュー開発業のニーズは結構あると思っています。しかし、個人でレシピ開発の仕事をしている人で、それだけで食べている人はごく僅か。だからこそ、料理の仕事で経済的に自立をしたい方にプロとしてのメニューをつくるスキルを共有し、アイディアや発想などクリエイティブなものへの価値を高める文化や風土、「道」を作りたいのです。同じ道を歩む仲間が増え、チームとして共に働ける日が来たら嬉しく思います。
会社の規模を少しずつ大きくしていって食産業界に地道に根を張っていくこと、生み出したメニューやアイディアが世の中の誰かの役に立てたと感じられる仕事をすること、かつての私のように料理を考案・作成することで生計を立てたいと思っている人に道を切り開くこと、この3つが今後の目標ですね。
幸運なことに多くの人に引きあげてもらって、今の私がいます。ただ、ラッキーをラッキーで終わらせない。甘んじることなく、自覚して、自分が受けた恩恵は余す事無く世の中に還元していければと思っています。
Motti&BentonFoodConsulting株式会社 取材・文:タナカトウコ 撮影: 平山諭
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