なつかしい喫茶店の思い出〜中島京子『樽とタタン』〜中島京子『樽とタタン』
喫茶店はいつからカフェと呼ばれるようになったんだっけと考えて、もしかしたらこのふたつは別物かもしれないなと思う。私が子どもの頃にコーヒー好きの母に連れられて行った喫茶店では、多くの大人がたばこを吸い(うちの母もだった)、子どものためのプリンやクリームソーダには真っ赤に着色された缶詰のサクランボがのっていた。このような場、このような食べ物を提供する店をカフェとは呼ばないだろう。
『樽とタタン』は、昭和の香り漂う喫茶店(しかし、たばこは外の喫煙スペースで)が舞台となっている。主人公・タタンは重度の引っ込み思案だった女の子で、幼稚園も一日で退園してしまった。さすがに小学校には通わないわけにいかず、しかし入学式の翌日から数週間は登校拒否、その後母親が彼女を学校まで送り届けて下校時にまた迎えに来るという方法を続けていた。ある日疲れ切った母親がタタンを連れて喫茶店に入る。人見知りの娘が店のマスターや常連客と顔見知りであることに気づき、不審がる母親。実はタタンは、小学校に入学する少し前まで面倒を見てくれていた祖母と一緒にちょくちょくこの店を訪れていたのだ。この店でなら自宅にいるようにくつろげるタタン。その後看護師である母親は勤めていた病院を辞め、タタンが落ち着くまでいったん家庭に入った。そして徐々に娘が小学校に慣れた頃、別の病院に職を見つけてきた。そしてどういう約束事によるものか、タタンは放課後になると坂の下にある喫茶店に預けられるようになったのである。
ちなみに、主人公の「タタン」という名前は、常連客のひとりである小説家のおじいさんがつけたニックネーム。その喫茶店に置かれていた大きな赤い樽(コーヒー豆が入っていた樽に、店の装飾用として赤いペンキを塗ったもの)に空いていた丸い穴から入り込んでじっとしている彼女の姿から着想を得たようだ。バターと砂糖でキャラメリゼしたりんごを敷き詰めてその上からタルト生地をかぶせて焼いたフランスのお菓子である、タルト・タタンにかけているのだろう。カフェならともかく、ほとんどの喫茶店ではそんなしゃれたデザートにお目にかかれない気がするけれども。
本書は連作短編集。三歳から十二歳までの「九年間暮らしたその町について、覚えていることはあまり多くないが、その大半があの喫茶店での出来事なのは、どうしてなのか」と、町を離れて三十年以上たってタタンは思い返す。心に浮かんでくるのは、時に常連客の駆け落ちであり、時に数回訪れただけの客が語る”自分が百年先の未来からやって来た”という打ち明け話だったり。タタンが出会った大人たちとの交流と、彼女の心の成長が丁寧に描かれる。タタンは他の子どもたちより大人になるのが早かったのではないだろうか(もちろん、三歳から十二歳は十分子どもだが)。人間関係は学校だけで完結するものではなく、世の中にはいろんな人々が存在する。そのことに早く気づける人間ほど、生きるのが楽になるような気がしてならない。タタンは幼稚園や小学校ではあまりうまくやれなかったかもしれないが、喫茶店では適度に大切にされ適度に放っておかれるという状態で過ごすことで、もっと広い世界を見る目を持つことができたのだと思う。
そう、喫茶店というのは、ほどよい距離感を保てる場所だった。1964年東京都生まれの著者・中島京子さんとはほぼ同じ時代の空気を吸ってきたと思うので、喫茶店に対するイメージはかなり似通っている気がする。こういうお店も、今だってあるところにはあるのだと思う。喫茶店の雰囲気を味わいながら、『樽とタタン』を読んだりできたら最高ではないか。私も感じのいいお店を探してみようかな…と思いつつ、ネックになるのはさほどコーヒーが好きではないことなのだが。
(松井ゆかり)
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