スーツやネクタイはいったん“封印”ーー郷に入っては郷に従う“企業間留学”とは?

本業のかたわら行う「副業」や、いくつかの仕事を同時並行する「複業」が話題となる中、いまの会社や仕事に不満はなくても「一度別の企業で働いてみたい」と感じているビジネスパーソンは少なくないでしょう。従来、フルタイムでそうした経験をするには関連企業への出向や転籍の対象者に選ばれるか、自分で転職して所属を変える決断が必要でした。しかしここへ来て登場したのが、希望する若手社員を期間限定で他社へ送り出す「レンタル移籍」の制度。「パワフルなスタートアップの姿勢を学んできてほしい」といった狙いから、大企業を中心に広まりつつあるようです。情報セキュリティー会社のトレンドマイクロ株式会社(東京都渋谷区)に新卒入社5年目の27歳・中村俊一さんは地域特化型のSNSサービス「PIAZZA」を運営するベンチャー、PIAZZA株式会社(東京都中央区)に2017年5月から半年間勤務。そこで得たものについて、今回レンタル移籍をコーディネートした株式会社ローンディール(東京都世田谷区)の原田未来社長(下写真)が聞きました。

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企業間の「レンタル移籍」とは?

もとの企業に在籍したまま、期間を定めて他社で働く仕組み。働く本人が豊富な経験を積めるほか、送り出す企業は社員に多様なキャリアの選択肢を用意でき、受け入れる企業は即戦力の人材を迎えられるメリットがある。現在は、大企業からベンチャー企業へ移籍するケースが多い。

もとの職場から離れずに“対極の仕事”

原田社長:中村さんがレンタル移籍の話を上司から打診されたのは、去年(2017年)の年明けごろでしたね。「半年間、ほかの会社で働ける」と聞いて最初にどう思いましたか。

中村さん:トレンドマイクロは中途採用の多い会社で、いったん転職した方の再入社も珍しくありません。まわりの雰囲気がオープンなこともあり、しばらく別の職場で働いてみるという選択に、あまり戸惑いは感じませんでした。私自身は転職を考えたことがなかったので、いまの勤務先から離れてしまわないかたちで新しい経験ができるレンタル移籍は、とても魅力的な仕組みだと感じました。

原田社長:中村さんは大学時代文系で、入社してからは技術系の仕事が多いですよね。

中村さん:はい。2013年に今の会社に入り、企業のITインフラのセキュリティー対策を行うエンジニアを3年ほど経験した後、現在は顧客企業からの技術的な問い合わせに対応するプリセールス(技術営業)を担当しています。何かひとつの職種を究めたいというよりは「経験してこなかった仕事にも積極的にチャレンジしたい」という気持ちが強いタイプだと思います。

原田社長:移籍先のポストが多くのベンチャーから、業種も職種も豊富に挙がっている中で「地域密着型のローカルSNSを広めていく外勤営業」を選んだのはなぜですか。

中村さん:社外の方とコミュニケーションをとる共通点はありますが、技術的な問い合わせに答えるプリセールスと、こちらから出向いてサービスを広めていく外勤営業は、ほとんど対極のような仕事です。なので、そのぶん大きな経験値を積めると考えて選びました。あとは事前の面接で、「会社の雰囲気が自分に合いそう」と安心できたのも理由です。

「自由にやって」と言われて試行錯誤

原田社長:ここまでのキャリアを踏まえ、さらに新しい経験を積んでいくための選択だったのですね。「外部で得たものを職場に還元できる人」という信用があったからこそ、中村さんに声がかかったのでしょう。実際にPIAZZAに行って働いてみて、どうでしたか。

中村さん:グループ全体で5,000人以上いる企業から、10人に満たない規模の会社に来てすぐ気づいたのは、仕事の進め方がまったく違うことでした。私の上司になった矢野晃平さんはPIAZZAの社長で、ご自身も多忙。私には「アプリの認知拡大を、自由なやり方で、好きなようにやってほしい」と、営業活動をいきなり全部任せてくれました。細かく管理されるのではなく、何でも自分で考えてやっていくという環境は本当に新鮮でした。

原田社長:そうした新しい環境には、すぐ慣れましたか。

中村さん:実際の動き方はすぐ自分で工夫していき、手応えも感じるようになりました。難しかったのは、判断の部分です。業務報告や相談を社長にすると「もっと自分で考えて判断して」と言われるときもあれば「もう少し早く相談してほしかった」と言われるときもある。なので、自分で決めるべきか相談すべきか、相談するなら社長をどのタイミングでつかまえるかと、手を動かしながらいつも考えていました。半年の間ずっと、これがいちばん大変でした。

原田社長:自分で考えて決めることについて、何かアドバイスがありましたか。

中村さん:そうですね。矢野社長からは、決まり事の多い大企業だから・自由なベンチャーだからという区別ではなく1人の後輩として接していただき、どこでも通用するような仕事術を教わりました。「将来から逆算して、現在の自分の方向性が正しいか確かめる」「1日の終わりに、その日の時間の使い方がベストだったか振り返る」といったアドバイスは、もとの職場に戻った今でも実践しています。

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写真:「中村さん(左)と原田社長は、レンタル移籍の終了後も連絡を取り合う仲」

変えたファッション、増やしたフォロワー

原田社長:すでに製品を知っている人から問い合わせを受けるプリセールスと違って、PIAZZAでは会社やサービスを1から紹介する営業活動だったと思います。自分で考える中で、実際にはどんな工夫をしたのですか。

中村さん:PIAZZAは「地域の情報交換を通じてコミュニティーを育てるSNS」なので、支持を広げるカギとなるユーザー層は、比較的新しい住宅地に住み、地域の催しなどへ積極的に関わっているような方々です。そうした場に飛び込んでも周囲に溶け込めるよう、まず仕事着をビジネスカジュアルに切り替えて、スーツやネクタイはいったん“封印”しました。

営業先リストをつくるときにはネットで企業理念などを読み込み、コミュニティーづくりに熱心なところをピックアップしていました。全部任せていただけたのでPIAZZAの代表アドレスで受信したメールも見られて、何が求められている会社なのかリアルに知ることができましたし、移籍後2カ月足らずなのに私1人で必要書類を全部そろえ、競争入札に参加したこともあります。

原田社長:貴重な経験をしましたね。それまでほとんど触れていなかったFacebookを本格的に使いだしたという話も聞きました。

中村さん:はい。それまでFacebookの友達がほぼゼロだったのが、レンタル移籍の間に一気に増えました(笑)。SNSを提案する立場として使いこなしておきたいという狙いもありましたが、結果として「知り合い同士」というヨコのネットワークを通じてビジネスを進めていくコツもつかめた気がします。

移籍期間の「ビフォーアフター」、上司の評価は?

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写真:「スーツ姿に戻った中村さん(左)の飛躍を、原田社長も期待している」

原田社長:半年間の経験は長かったですか、短かったですか?

中村さん:レンタル移籍の期間を終えたときの感想は「まだ半年しか経っていないのか」。毎日多くの刺激が得られ、本当に濃密な時間を過ごせたと感謝しています。

原田社長:レンタル移籍の前後で、仕事に取り組む姿勢に変化はありましたか。

中村さん:社内ブログに書き込む回数がかなり増えました。業務をスムーズに進めるため、いま何をしているのかという状況を自分自身が把握するだけでなく、なるべく周囲とシェアするようになりました。

原田社長:そうした意識はいったん身につけば忘れないし、どこに行っても役立つ強みですね。

レンタル移籍から戻ってきてどう変わったか、中村さんの上司の方に私が聞いたときは、別のところにも注目していました。いまの中村さんは「仕事のオンオフを以前ほどはっきり区別しなくなった」そうですね。業務時間外でも、常にアンテナを張っておくことで新しいアイデアの種を見つけられる確率も高まります。ただ、こういうことは人に言われてやることではないので、今回のレンタル移籍を通じてこういう行動や習慣の部分で変化が起こったことは、私としてもうれしく思います。

私はこの3年弱の間に、中村さんを含めて13人のレンタル移籍をお手伝いしてきました。その経験から言えるのは「戻ってからが本番」ということ。自社と異なる文化を持つ会社で学んだことは、そのまま使える分かりやすいノウハウとは限りません。だからこそ、自分がどんな強みを得たのかをよく知り、戻った職場で発揮させる方法を見つけてほしいのです。中村さんには「こうすればうまくいく」というモデルになってほしい。今後にも期待しています。

WRITING/PHOTO:相馬大輔

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