1円たりとも無駄な出費は許さない! | JAL再生を手がけた経営再建のプロ・オリバーさん(2)

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倒産してしまったり、倒産の危機に瀕しても不死鳥のように蘇る会社は少なからず存在します。その裏には必ずといっていいほど企業再生を専門とする仕事人の姿があります。そんな数々の企業を蘇らせてきたオリバーさんに、企業再生の仕事について語っていただく当連載。前回はJAL再建の話や、企業再生支援機構で東北の水産加工会社・A社の支援を決める過程、初年度からA社を黒字化にしたことなどをうかがいました。今回はいかにしてA社を黒字化に導いたのか、その具体的手法を語っていただきました。

オリバー・ボルツァー

1979年ドイツ・ミュンヘン生まれ。1984年日本に移住、インターナショナルスクールに入学。高校時代にスラッシュドット・ジャパン(現・スラド)の管理人に。卒業後はドイツ国立ミュンヘン大学情報学部へ入学。大学院を卒業後は戦略系コンサルティングファームなどを経て、2010年1月、32歳の時に企業再生支援機構に転籍出向。JALや水産加工会社再生を手がける。その後、投資ファンドでスカイマークの買収などに関わった後、2016年、実家の会社「SKWイーストアジア株式会社」にオーナー兼CFOに就任。

基本方針を決めて再生計画に沿って進める

──A社の経営の立て直しは具体的にどのように進めていったのですか?

まずはA社がもっている事業的資産を元に、基本方針を決めて、事業再生計画を立てます。基本方針は工場を集約して商品数を減らし、ブランド力を生かしてマーケティングと営業をしっかり行うといった内容でした。そのために必要となる資金は機構から出資します。あとは何をいつまでにやるかという事業再生計画に沿って、現場に入って実行していきます。言い出しっぺが言うだけじゃなくて、言った通りに最後まで自分でやりきるということです。

──現場にはどういう立場で入ったのですか?

A社には2011年10月頃に、事実上の副社長という立場で入りました。ちなみに新しい社長は、再建の資金を共同出資してもらった地元の優良企業から出向していただきました。経験豊富で非常に高い経営手腕をもつ方で、地域のためにA社は潰してはいけないという熱い思いをもっていました。その方には主に管理の方を、実際の再生の実務は私が担当しました。

──オリバーさんの勤務形態はどのようなものだったのでしょうか?

とにかく機構としても徹底して経費削減を行う必要があったため、安いビジネスホテル暮らしの生活でした。月曜日の始発の東京駅6時28分発の新幹線に乗って10時に東北某市のA社に到着。そこから5日間仕事をして金曜日のA社最寄り駅発の東京行き最終の20時30分の新幹線で帰るという具合です。その方がウィークリーマンションを借りるよりも安かったのです。

長靴を履いて自ら現場へ

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──具体的な業務について教えてください。

そもそも現場での仕事を理解していないと事業改善もへったくれもないので、新入社員が最初の研修でやるような、包丁を持って魚を切るところからスタートしました。また、朝5時に港に行って、せりの様子を見学していました。私は水産加工業の経験はないので、もちろん魚の目利きなどはできません。でも、目利きに失敗した結果増える、廃棄する魚の数や取り引き先からのクレームの数を測ることはできる。つまり、目利き力がなくても結果は測れるので、それによって今日工場でさばいた魚が昨日よりいいのか悪いのかを把握することは可能になり、数値目標を作ることができます。このように水産加工に関しては素人の私でも現状の良し悪しが判断できる仕組みを必死で考えていました。

現状把握のため、徹底的に数値を取ることは工場でも行っていました。毎日オリバーという名前入りの誰よりもでかい白いゴム長靴を履いて、ストップウォッチを持って工場に入り、生産性を測っていました。計測していたことは、1分間で生産できる商品数や、捨てられたゴミの量など。工場では長らくいろいろな業務を行っているのですが、現状を正しく把握しなければ、そのやり方の良し悪し、また、先月に比べてよくなっているのか悪くなっているのかがわかりません。それを判断するための指標を作るために計測から始めたわけです。

また、現場にはみんなが気づいていない宝が埋まっているはずだから、それを発掘しようという気概もありました。

営業マンと一緒に取引先をめぐり頭を下げる

──そのほかに実際に実施した改善・改革は?

1つはこれまでの取り引きを全部見直して、赤字の取り引きをやめたことです。でも最初は難しかったですよ。社員に「赤字の商売はやめましょう」と言っても「昔からこうやってきたからこれでいいんだ」とか「断れないからこうやるしかないんだ」という説明になっていない答えが多かった。「断ったら何が困るんですか?」と聞いたら「この取引先との商売がなくなる」と。「赤字ならなくなっても困らないじゃないですか」と反論すると、「この店に商品が置けなくなってお客さんが困る」と。でも「赤字商売を続けて会社自体がなくなったら商品が買える店がなくなって、より多くのお客さんが困るでしょう」と、とことん理屈で反論しました。

そうやって赤字取り引きをやめさせることにしたのですが、私自身も営業マンと一緒にひたすら取り引き先の会社へ行って、頭を下げて、卸値の値上げをお願いしました。「実は10年やってきてずっと赤字だったんです。もうこれ以上は耐えられないので値上げを了承していただけないのであれば、取り引きは中止させていただきます」と言うと、「ええ! 何でもっと早く言ってくれなかったの。その商品、大好きだし、そういうことなら値上げもしょうがないね」と多くの取り引き先は理解してくれました。しかし、やはり値上げは無理という会社もあって、そういう会社とは取り引きを停止しました。

──そもそもなぜ、ずっと赤字の商売を続けていたのでしょうか?

多くの窮境に陥る会社というのは売り上げ至上主義で、経営が苦しくなればなるほど利益を上げるのではなく、とにかく日銭を稼ぐことが至上目的になるのです。そんなことを続けていたら経営が立ち行かなくなるのは当然なので、立派な利益を取れるまで卸値を上げて、赤字の取り引きは全部やめると宣言したわけです。

売り上げ至上主義の営業からは「売り上げが下がる!」と猛反発を食らいました。しかし、大事なのは利益であって、利益を得られない売り上げなど意味がないと説明し、それまで営業内で毎日の売り上げと利益を共有していたのですが、一時的にですが利益のみにしました。これにも猛反発を食らったのですが、根気よく説明することで徐々に売り上げよりも利益が大事だということをわからせたのです。

支出を1円単位ですべてチェック

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もう1つは経費の全面的な見直し、いわゆるコストカットです。何となく昔から買っているもの、例えば誰も読んでいない新聞の購読など、無駄な出費が多すぎたので、徹底的にカットしていきました。損益がある程度合っている会社は多少の無駄は必要だし、無駄を省く手間を考えるとデメリットの方が多くなることもありますが、倒産寸前の会社の場合、徹底した経費削減をやらないと死んじゃうわけですから。A社も一度リセットすることで機構から新しい資金が注入されるのですが、それを使い果たしたら追加でお金は入ってきません。短い期間内に自力で生きていけるようにならないといけないので、無駄な経費の全面的カットを実行したというわけです。

また、出費の稟議も1円から全部確認して、不要なものは通しませんでした。売り上げ高100億円までの製造業の会社なら、やろうと思えば1人で全部チェックできるんですよ。これができるのは私のような外から来た人間だけ。しかも私は機構という最大株主から来た、全面的な権限をもった副社長。やろうと思ったことは何でもできるわけです。

と言っても、必要な物でも買わないとか、質を落として我慢しろというわけではなく、本当に不要なものは買わないとか、同じような物をより安く買うというレベルです。それで十分なんですよ。

例えるなら、最初は持ち上げただけでドバドバ水が落ちるタオルという状態でしたが、最後の方は絞っても絞ってもなかなか水が出てこないような状態にまで無駄の削減ができました。

攻めの改革も矢継ぎ早に

──利益を上げるための改革という意味ではどのようなことをしたのですか?

事業内容は同じままで赤字を減らし、経費を削減するだけではいつか限界が来ます。なので、新しく前向きなことも仕込まなければなりません。そこでただ魚を切って売るだけではなく、新しい商品を開発して、商品数を増やしました。

新商品の開発に関しては、ただ作れるものを作って売るのではなく、売れるものを考えて、もしくは探してきて作るというやり方に変えました。成功体験があるがゆえに昔のやり方にとらわれるわけですが、そこから離れて、発想の転換を促したということです。

また、利益率を伸ばすため、営業面での改革も必須でした。いい商品を作ったら、利益が出るように売らなければいけません。そのために営業は非常に重要なポジションでした。売り方も、従来の売れて当然みたいな売り方ではなく、全国を飛び回って現地バイヤーと直接顔を合わせて売り込んでいくというスタイルに変えました。そのために営業マンの新規採用も行いました。

その時、業界の昔ながらの慣習にとらわれずゼロから一緒に新しい会社を作るような気持ちで働いてほしかったので、あえて異業種から採用することにしました。

──異業種から、ましてや地方勤務となると採用に苦労したのでは?

そうですね。当然ながら採用広告を出しても、あえて地方、しかも歴史ある水産加工メーカーに入ろうという方は中々いませんでした。たとえ私生活で地方移住に興味があっても、仕事上では旧来のやり方や地元のしがらみが多くて、せっかくの自分の実力を発揮できず、仕事がおもしろくないだろうという懸念を抱いてしまうからです。そのため、転職を考える大多数の人はそもそも、地方勤務が選択肢にすらなってないと思います。

そこで、転職エージェントからプロフィールの合う候補者に積極的に声をかけていただくことで、彼らが当初考えてもいなかった業界へのUターン・Iターンを含めた転職を実現いただきました。

その代表格がYさんです。これまでカラオケ店の店長やホテルのマネージャーなどを経験してきた営業とマーケティングのプロで、面接時にこれまでやってきたことや実績を聞いた結果、必ずA社の再生に貢献してくれると確信したので、ぜひ幹部として来ていただきたいと伝えると、ぜひやってみたいと答えてくれました。この会社をゼロから再生してやるという気概のある人だったので、神奈川県からA社のある東北に移住。入社後は最初から営業部隊の切り込み隊長として先頭に立って現場を率いて、営業、販促、新商品の開発、マーケティングなど、すべてガラッと変えて、利益拡大に大いに貢献してくれたのです。

Yさん以外にも、水産業界出身者以外の各職種のプロを採用しました。特に幹部としてA社に来ていただいた方には、しがらみに囚われずに徹底的に仕事を遂行するようにお願いしました。実際に現場で矢面に立ち、長年勤めている従業員からの反発をモロに受けるのは彼らですので、その耐性はどうしても必要になりますが、理屈が通るものである限り、経営サイドとして徹底的にバックアップしました。彼らの視点や経験は非常に新鮮で貴重でしたね。各自がいた会社で行っていたやり方を提案していただき、いいと思ったものはどんどん取り入れました。結果が出ると、会社も末端まで大きく変わりました。当時採用した多くの方が、私がいなくなった数年後の今もA社で活躍してキャリアを磨かれています。

オーナー経営者の企業でも、変化を起こすべく外から経験と実績をもつ優秀な人をせっかく採用したものの、オーナーが古参の社員に中途半端に配慮するため実力を発揮できず、新しく入社した人も元からいた社員も不幸になる例が多いと思います。

情報共有とフィードバックでモチベーションアップ

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もう1つ、実施した重要な改善策は情報の共有化です。経営がうまくいってない多くの会社は業績を社員に伝えません。赤字とは、仕入れ値や自分たちの人件費も含めてコストの方が売り上げよりも多くなることですよね。そうなるのは、お客様が商品やサービスの価値を認めてくれないからです。その結果として会社は消えてなくなる。その大原則を社員に意識させることが重要です。

そして自分のやったことが会社の経営にどれだけのインパクトをもつのかを知ることが大事で、同じ仕事をやるのでもフィードバックがあるのとないのとではモチベーションが全然違うと思うんですよね。自分が一所懸命働いた結果を知ることができれば当事者意識がもて、モチベーションがアップします。また、赤字部門は改善しなければいけないし、黒字部門は伸ばさなければいけません。このような理由から、会社の業績を社員に対してオープンにしたのです。

例えば工場にも歩留まりや当日の出来高など、業績に直結する指標があります。その毎月の結果を工場の入り口に張り出しました。例えば歩留まりがよかったらニコチャンマークを貼ったりしました。そのうちニコチャンマークに愛称がついて、「今月は○○くん笑ってたわね」とか「○○くん泣かせちゃったわね」という会話が工場内で生まれました。社員1人ひとりのモチベーションが上がっただけでなく、雰囲気もいい方向に変わったわけです。

“嫁ぎ先”を見つけて“縁談”をまとめる

──その結果初年度で黒字化を達成できたわけですね。経営的に軌道に乗った後は?

機構としての企業再生のゴールは、再び自分で稼げる力を身につけた会社を、今後さらに育てていける“嫁ぎ先”を見つけて引き継ぐことです。その嫁ぎ先は、機構と共同出資をしていた地元の優良企業に委ねることに決まりました。スタートから2年半が経過した2013年の夏頃でした。

この段階で私のミッションも終了し、東京に戻りました。通常の企業再生のスケジュールは、1年目で再生の土台を作って、2年目で将来の種を仕込んで、3年目で花開き、4年目で育ち、5年目で嫁ぎ先を見つける……というのが基本です。5年かけずに3年目で嫁ぎ先を見つけられたので、理想通り順調に終わりました。

その会社は今でも地元で元気に操業していますよ。地元の同業種の会社の中でも調子がいい方だと聞いています。その会社の商品を東京で見かけることも増えましたしね。

【つづく】

見事A社の再生を成し遂げたオリバーさん。しかしそれまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。その時、オリバーさんはどのような思いで仕事に取り組んでいたのでしょうか。次回(2月27日掲載予定)は再生に至るまでの数々の試練、事業再生という仕事にかける思いについて語っていただきます。

文:山下久猛 撮影:守谷美峰


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