4回の勤務先倒産。波乱があったからこそ見えた“自分の道”ーーシンデレラシューズ・松本社長「痛い靴ゼロへの挑戦」《下》
靴メーカー勤務などを経て、働く女性の悩みの種である“痛い靴”をなくそうと起業、アナログなフィッティングと最新のITを組み合わせた独自のアプローチで課題解決を目指している松本久美さん。インタビュー最終回では、松本さんが今日まで続けてきた挑戦の数々と、お手本のない“自分の道”を切り開くためのヒントを聞きました。(《中》編はこちら)
【プロフィール】
松本 久美(まつもと・くみ)
1977年大阪市生まれ。大阪モード学園ファッションデザイン学科卒業後、地場の靴メーカーに就職。デザインや生産管理などに通算13年間携わる。この間に勤務先が4回倒産するなど不安定だった業界に限界を感じてIT企業の営業職に転じ、その後知人らの起業に触発されて「靴」をテーマにした事業での独立を決意する。大手企業による起業支援プログラムに選ばれた2015年、東京で「株式会社シンデレラ」を設立して代表取締役に。「シンデレラシューズ」の名称でフィッティングサロンを開くかたわら、ITの活用で靴と人のマッチングを効率化するサービスの開発を進めている。
オンラインショップ担当でITに目覚める
-ファッションデザインを学んでいた学生時代の靴好きが高じて、卒業後すぐ靴メーカーへ就職されたとのこと。当時は珍しい進路だったそうですね。
はい。そもそも靴メーカーからの求人がなく、自分で調べた会社に「働きたい」と手紙を書いて採用してもらいました。1990年代半ば、当時は三原康裕さん(ファッションブランド「ミハラヤスヒロ」のデザイナー)が靴のインディーズブランドを立ち上げて、新たな試みとして注目されていました。通っていた学校でも靴に関する学科はまだなく、私はデザイン系の学校から靴づくりの世界に進んだ、はしりの世代にあたります。
それから靴のデザイナーとして通算7年、作り手として6年ほど働き、デザイン画や型紙を起こすところから縫製、仕上げ、生産管理、営業まで一通りを経験しました。1ミリ単位でこだわり抜いたデザインの靴がバイヤーの目に留まり、著名なセレクトショップに置いてもらったこともあります。
-何でもできる10年選手なら、社内でもリーダー格になりそうですね。
実は、靴作りに携わっていた13年間のうちに、私は勤務先の倒産を4度経験しています。レディースシューズのメーカーはスニーカーなどと違い、世界的なブランドでも企業規模がそれほど大きくありません。特に日本の場合は歴史的な経緯もあって、従業員が10人に満たないような家族経営のメーカーがほとんどを占めています。景気のいいとき・悪いときの差が激しく、ある朝出社したら社長一家の姿がなく、前日まで工場にあった機械が全部消えていたこともありました。“夜逃げ”ですね。
ずっと生活が安定しない状況で疲労感もつのり、30歳を過ぎたところで「靴から離れよう」と決めました。それから2年半ほどは外回りの営業職として、通信会社がアプリで提供するサービスの加盟店開拓をしていました。まったく畑違いの世界をあえて選んだのは、靴業界にいたころオンラインショップを任され、ウェブサイトを修正する費用の高さに驚いたことがきっかけです。漠然とですが「これからはIT関係のビジネスが分かっていないと怖い」と感じていたんですね。
波乱から生まれた独立志向。業界を離れて見えたアイデア
-起業はいつごろ考えだしたのですか。
靴メーカーにいたときから「会社の都合で仕事を失いたくない、独立したい」という思いはありました。ただ「靴を作る・売る」という手持ちのスキルでそのまま開業しようとすると仕入れや設備投資の費用が大きくなるので、リスクを考えると踏み切れませんでした。
いつかは会社を興すつもりだったので、通信会社で働きだしたときも正社員ではなく派遣社員を選び、プライベートではスタイリストの依頼を受けたり、料理を教えたりしていました。でもこうした副業は、私にはあまり面白くなかった。好きなことを選んだはずなのに、実際にやってみるとワクワクしなかったんです。
そこでいろいろ調べてみたところ、団体や企業、自治体などが開くさまざまなビジネスコンテストやハッカソンがあると分かり、試しに行ってみると、起業という同じ志を持つ友人ができました。また周囲の知人の中には、将来の「ユニコーン」と目されるような、急成長中のスタートアップに転職する人もいました。彼らを見ていて「得意分野とITを組み合わせれば大きなチャンスがつかめる」と気づき、もう一度考えてみたのですが、私が本当に好きなのは、やっぱり「靴」でした。
靴を作る立場から離れ、純粋に履く側に戻ったことで、初めて得られた実感もありました。ヒールの高い靴で長時間歩く外回りを続けているうちに「みんな、これほどつらい思いをしているのか」「痛みから解放されれば、もっと靴を楽しめるようになるはず」という思いが強くなっていたのです。
【写真】フィッティングサービスを行う一方、元デザイナーとして自身の靴にもこだわりが。取材当日に履いていたパンプスも、チェック柄入りのスエード地をあしらった珍しいタイプ
-3年前に設立した会社で、靴のフィッティングサロンと、ITを使った「バーチャルシューフィッティング」の開発という2つの事業(〈中〉参照)を始めた背景に、そうした事情があったのですね。「やりたいこと」と「ビジネス」の間で悩むことはなかったですか。
ビジネスとして成り立つかどうかは、たいていやってみないと分からないのですが、基本的に「自分がいちばん居心地よく感じる条件」で仕事をするようにしています。そのほうが力を出せることもありますが、私が居心地のよくないところで無理をしていたら、付き合う周りの人たちやお客さまも、きっとしんどいだろうと思うからです。
起業支援プログラムで賞をいただいたのを機に、経営に詳しい方とお話しすることも増えて「こうすればもっと儲かる」というアドバイスもよく受けます(笑)。ただ、どれほどよいチャンスに見えても、心底納得できないことには手を出さないようにしています。
「心がザワザワする選択」は避ける
-求人のない職場を開拓するところから始まり、職種や業界も変えながらご自身でキャリアを築いてこられました。後悔のない決断をするために心がけていることはありますか。
普段から「ひとり会議」を重ねて、深く考える習慣を持つようにしています。
ひとり会議というのは、何かやりたいことを思いついたり、イヤなことがあったりしたときに、その気持ちをまずノートに書き出し、奥底にある自分の本心や、本当にやりたいことを確かめる作業です。「書くなりしゃべるなり、いったん外に出さないと自分の気持ちは分からない」という話を高校時代に聞いて、それからずっとひとり会議専用のノートを持っています。
-ノートに、気になることを書き出すのですね。
ええ。例えば転職。「今と違う会社に移りたい」として、まずその気持ちをはっきり書く。「環境が変わるのが怖い」とか「給与が下がるんじゃないか」とか、きっといろんな不安もありますよね。それも書きます。家賃も払えないくらい落ち込むリスクがあるならその回避策もまとめるし、逆に現在の給与が高いとしても「いまの場所に居続けたとき10年、20年でどういうことが起こるのか」を書きます。
先々のリスクも挙げた上で「どっち行きたいの、私」と問いかければ、本当に好きな道を感情で選ぶことができます。私はもともと不安を感じやすい性格ではあるのですが、メリットが高いほうではなく、本当に好きなほうに行く選択を繰り返して現在に至ります。選んだ道の途中で失敗したこともありますが、後悔はまったくないですね。
大事なのは、たとえ客観的な条件がどれほどよくても、好きではない道や「心がザワザワする選択」を絶対に選ばないことだと思います。
-「いつでも好きな道を選ぶ」と覚悟していれば、思わぬ展開も楽しめそうです。
そうですね。私が起業したとき掲げた「痛い靴をなくす」というミッションをこれから追い求めていく中で、それを実現する具体的な事業の中身は、どんどん別なものに変わっていくような気がしています。事業が変わり、周囲の環境が変わり、見える風景が変われば、それに合わせて別な夢が生まれるのも自然なこと。好きなことをずっと突き詰めていった先で、もし最初のミッションとは別なことをするようになったとしても、気にすることはないのかなって。そう思います。
撮影協力:31VENTURES Clipニホンバシ
WRITING/PHOTO:相馬大輔
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