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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#50 冷えとり

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 年は明け、新春の挨拶も去年の出来事のように遠ざかり始めたが、春とは名ばかりの近日の寒さは、例年通りに、これからまだまだ増すのだろう。
私が住む沖縄でも、冬はやはり冬で、しっかりと寒い。気温こそ10℃を下回ることはあまり無いが、冬の大海原に船で出ている時に受ける北風のような冷風が冬じゅう続くので、体感はしっかり実際の気温マイナス5℃になる。
南国の島とはいえ、冬はちゃんとあるのだ。東京からの観光客が沖縄の方が寒いと漏らすこともあるくらいだ。南国だと油断した毛穴が、那覇空港から外に出た途端に慌てて閉じようとする様が目に浮かぶようである。
程度の差はあるが、日本全国冬の寒さを共有している中で、冷え切った身体について、しっかりと考えてみるのには良い機会だとしたい。

「冷えとり」については既に知れ渡っているのではないか。
 少なくとも健康法や、ヒーリングに意識が向いている層には広く知られているものだと思う。服部みれいさんの紹介なども後押しとなって、私の周囲の人たちも実践している人が見受けられる。
 内容は、そのままずばり「冷え」を取るわけだが、詳しくは知らなかった。天然素材の靴下を何重にもして履き、とにかく足元を冷やさないように注意している、というくらいの知識しかなかったので、いつの間にか家にあった、「これが本当の『冷えとり』手引書」(PHP研究所 進藤義晴・幸恵著)をまずは読んでみた。
五行説などの東洋医学の考えをベースにしながら、冷えを万病の元だとし、すなわち冷えをとることで排毒すれば、心身ともに健康を取り戻すというのが本筋である。
冷えをとるための実践法としては、足元を重点的に下半身をとにかく冷やさないことを提唱している。これは言わば、入浴時の半身浴を常態化する試みであり、上半身の体温に対してマイナス5℃という下半身(知らなかった!)を温めることによって、上半身と下半身との体温差を無くし、これによって血液と気の流れを良くし、自然治癒力や自己調整機能が高め、排毒を促進させるということだ。

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日常生活に常なる擬似半身浴状態をもたらしめる靴下重ね履きというわけだが、その本元である入浴時の実際の半身浴も勿論推奨されている。
 これは「冷えとり」とは別に半身浴健康法として既によく知れ渡っていることだろう。バスタブでの半身浴中の手持ち無沙汰を解消するための読書棚や、防水スマホ、防水スピーカーなどは、実際便利だし、半身浴での読書は私も既に好きな時間のひとつである。体は芯から温まり、汗をたっぷりかいてすっきりするので、排毒が実感できる。ただ忙しい平日には、推奨されている20分以上の半身浴はなかなか難しく、その効果を知りながらも毎日というわけにはいかないのが多くの人にとっての現実ではないだろうか。
 「冷えとり」では、半身浴の直後に、まずは靴下をしっかり重ねて履き、次に下半身を十分に保温するために厚手のパジャマなどを重ね、上半身は薄着になって、ベッドに入る事を良しとする。可能ならば、湯たんぽを足元に置き、就寝中も穏やかな半身浴状態を保持しようというわけだ。
 そこまでして足を温め続けなくてはいけないのか、とその徹底ぶりに驚き感じざるを得ないが、長年の経験によって培われた知見ゆえなのであろうから、ここは徹底してやってみた方がよさそうだ。
 とはいえ、何事もお試し期間があってもいいはずだ。まずは半身浴と就寝時の靴下重ね履きと湯たんぽくらいから始めるのが簡単そうだ。靴下は推奨されているのは、まず地肌に五本指の絹を履き、その上に綿を重ねていくのだが、あいにく絹は持ち合わせていないので毛と綿の混紡もので間に合わせることにした。湯たんぽは既に持っていた。
 もともと、ストレスが高まると匂いの強い汗などで排毒できていたので、今回に限ったことではないのだが、起床時の部屋はいつもよりも匂いが強いような気がした。寝つきと目覚めも最近の中では良かった。全てが冷えとりのおかげなのかは分からないが、少なくともしばらく続けてみようかという気にさせられる結果だった。

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前出の「冷えとり手引書」中の著者の体験エピソードとして印象深かったのは、40℃ほどの発熱時にも半身浴をたっぷり試したとあり、二度とも熱が翌日に下がったとあった。一般的には発熱時には入浴は避けるべきとされているのだが、発熱というのは体が冷えているのでそれを高めようという作用とみなし、ならばそれを補助しようという考えがあっての行為なのだ。
 理屈的には、なるほどと思う反面、全面的に納得できないような違和感がわずかに残るだが、その理由は私にも分からない。これは自分で体験するしかないだろう。
 靴下を注文する前に、少しだけ雰囲気を味わうつもりで、中綿入りのアンクルブーツを室内で履き続けて、上半身は薄着気味にして過ごしてみた。靴下自体は毛と綿の混紡を履いた。
 これだけで体がポカポカとなり、ちょっとした半身浴状態になった。確かに体全体が温かく、風邪を引く気がしないし、心と体がエネルギーに満ちてくるのを感じられた。もしかしたら絹の靴下と綿の靴下を重ね履きしなくても、これで足りるのではないかとさえ思えるほどに。アクリルなどの化繊ものは一番外側なら重ね履きも認められていて、それに類しているので、これでもいいのかもしれない。
 この靴下重ね履きは、夏でもやるようにと勧められていて、つまり夏も体が冷えているということだ。冷えているというのは、言うまでもなく、上半身と下半身との約5℃の温度差であるということ。それが夏でも起こるのだ。さすがに夏にアンクルブーツはないだろうから、もし冷えとりを続けるのであれば、いよいよ専用の靴下を買うべきかもしれない。しばらくこの冬は様子をみてみようと思う。
 しかし、この冷えとりを継続するには、常に足を何かで温めなくてはいけないということが生活全般に、つまり大きく言うなら人生に求められるということでもある。排毒は一度済ませればいいわけではなく、日常的に摂取してしまう毒素を随時排出することが最も心身に良いはずで、常に足元から下半身を温めておくことが足枷のように求められる。冷えとりの効果への評価とは別に、人間とはそのように出来ているのであろうか、という疑問が素朴に思い浮かぶ。もし、そのような持続的な保温を必要とするならば、私たちはちょっとした欠陥を持ってしまっているということになる。なぜレッグウォーマーのように、いっそ足首に毛がふさふさと生えていないのだろう?もしかしたら現在は進化の途上の未完成状態で、しばらくしたら子孫の足首にうっすら毛が伸びてくるのかもしれない。

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冷えとりの効果を期待しつつ、しばらく続けてみるつもりだが、その効果が素晴らしかった場合、靴下重ね履きの人生が始まるわけで、なるべく物を持たずに暮らしたいという私の必需品リストに靴下が大量に加わるかと思うと、それだけが気がかりである。
 少し話を戻して、そもそも毒というのは何であるかを考えてみたい。排毒も大切だが、毒を入れない、生まない暮らし方を日々実践することも大切なはずだ。出口だけでなく入り口にも気を配りたい。
 冷えとりの考え方では、毒というのは、物質的なものと精神的なものがあるとされ、放射能やカドミウムなどの物質的なものはもとより、精神的なものから生じる毒を入れないように、生まないようにするのが大切だと説く。
 精神的なものは、気のもつれ、つまり喜怒哀楽欲の五情が乱れることで、それに対応する五臓の機能が弱まり老廃物を排出できずに毒として体内に留まるという。簡単にいうなら、ストレスを溜めない生活や、精神を助成することも大切だということになる。それでも毒が溜まってしまったら、いよいよ冷えとりの出番というわけだ。
 昔から言われている、頭寒足熱の実践法としての「冷えとり」を常日頃から意識しておくだけでも随分と健康に影響するだろう。また「冷えとり」では、腹八分の食事も強く推奨されている。
頭寒足熱、腹八分。昔から伝えられている健康の秘訣を、改めて意識させ、具体的なやり方として現代に提案しているのが「冷えとり」の要諦だろう。私が専用靴下を注文する日はいよいよ近いかもしれない。

※『藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」』は、新月の日に更新されます。
「#51」は2018年2月16日(金)アップ予定。

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