穂村弘が語る「将棋と短歌の共通点」
出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』!
第42回の今回は、新刊『世界中が夕焼け: 穂村弘の短歌の秘密』(新潮社/刊)を刊行した歌人の穂村弘さんと山田航さんです。
本書は、現代短歌の第一人者である穂村さんの作品に気鋭の若手である山田さんが解説文を寄せ、それに対してさらに穂村さんがコメントを返すという一風変わった形式となっています。共著で本を出すにあたり、このような形をとった理由はなんだったのでしょうか。
最終回の今回は、短歌の魅力とあわせて、お二人にお話を伺いました。
■「大昔の人ともリンクしている気分になれることも短歌の魅力(山田)
―お二人が短歌を作るようになったいきさつはどのようなものだったのでしょうか。
穂村「何をしていいかわからなかったんですよ(笑) 自然と特殊な言葉が次々に繋がってしまうので、小説の量になると読めたものじゃないんです。こうしてしゃべっている時も、カルピスみたいに水で割りながらしゃべっているんですよ。頭の中には原液があるんですけど、それをそのまましゃべると変になってしまう。
短歌の場合はかなり原液に近いまま表現しても何とかなるジャンルなので、向いているんじゃないかと思ったんです」
山田「中学生の時に寺山修司の作品に出会って、これはすごいと思ったんです。それで、真似て一首だけ作ってみたんです。それを学級日誌に書いたところ、クラスメイトの女の子に“山田君って詩人だね”って言われて。特にうれしくはなかったですけど…。
その後、しばらくは何もしていなかったんですけど、大学生の時に穂村さんの歌集に出会って、現代短歌のおもしろさに気づき、いろいろ読むようになりました。自分で短歌を作ろうと思ったきっかけは、穂村さんが『もうおうちへかえりましょう』というエッセイで永井祐や五島諭など、僕と同世代の歌人の作品を紹介していて、それが衝撃だったことです。その時初めて自分で作ってみたいと思いました」
―他の文学ジャンルにはない、短歌ならではの良さはどのあたりにあるとお考えですか?
穂村「作者と読者の他に、もう一つベクトルがあるところですかね。短歌の作者は必ずしも読者に向かって書いているわけじゃないんです。じゃあ何に向かって書いているのかというと、五七五七七の究極形というか完全形というか、大げさにいえば神様に向かって書いているところがある。
将棋とちょっと似ていて、将棋も完璧な将棋の最終形、それが解明されたら将棋自体がなくなってしまうような究極の形を目指すっていうベクトルと、眼の前の相手に勝つというベクトルの二面性があります。おそらく将棋指しはみんなどちらかのカラーを持っていて、相手に負けないという指し方をする人と、究極を目指して神様に向かって指す人がいる。
おそらく、勝率でいうと神様に向かって指している人の方が悪いと思います。ただ、見ている人は何となくそれを感じ取るので、勝率の高い人にファンが多いとも限らない。
短歌は対人的なものじゃないので将棋とは違うのかもしれませんが、小説や漫画や映画に比べると神様に向けて投げかけるドライブが強いと思います」
山田「暗唱ができることですかね。覚えやすいので、いくらでも記憶の中から引っ張って来れる。これが小説だと、どんなに好きでも一字一句覚えることはまずできないので。
僕は、本当に好きなものは一字一句すべて覚えていたいんです。それこそ、母音と子音の繋がりとか、ほんのわずかな違いも自分のものにしたい。そういう思いがあったので、定型の韻文っていう短歌の形は自分に合っていたんだと思います。
また、穂村さんがおっしゃっていた“究極の一首”という感覚は僕にもあります。
大昔から、ものすごい数の歌人たちが理想的な一首を目指し続けていて、時にはそういう大昔の人ともリンクしている気分になれることも短歌の魅力だと思いますね」
―本書を読んで、短歌を作ってみたいと思った人にアドバイスがありましたらお願いします。
穂村「何でもそうなんですけど、全然知らないジャンルでも一人好きな人が見つかると急に周りが見え出すじゃないですか。僕は自動車が全然わからなかったけど、一つ好きなデザインの車種を見つけると、急に他の車のことも見えるようになりました。だから、まずは一人好きな歌人を見つけてほしいですね。そして、好きな歌人を見つけるには一首好きな歌を見つければいいんです。そうすると世界が急に見えるようになります。
自分から能動的にできるっていうのは案外錯覚で、表現って意外とリアクションだと思うんですよ。好きな歌があって好きな歌人がいて、それが自分の中に入ってくると押し出される形で何かが出て行きます。何もないところにいきなり何か出すって実はすごく難しい気がしますね」
山田「いろいろ読むことが大切だと思います。僕も穂村さんの本を読んでいて“塚本邦雄がすごい”っていう話が出てきたので、それなら読んでみようということで読んだら実際にすごかったっていう経験はいくらでもあります。そのように自分のアンテナをどんどん広げて、よりたくさんの歌人と出会うことが大切なんじゃないかと思います」
―お二人が人生で影響を受けた本がありましたら三冊ほど教えていただけますか?
山田「まずは、野矢茂樹という人の書いた『無限論の教室』ですね。これは哲学というより数学の本なんですけど、それを物語形式でやさしく説明している入門書です。20歳くらいの時に読んで感動しましたね。自分は抽象的なことを考えるのが好きなんだな、と気付かされました。あとは穂村さんの『シンジケート』。僕が読んだのは2000年代に入ってからだったので新装版を読んだんですけど。初版がほしいです(穂村さん「あげますよ(笑)」と一言)。もう一冊は漫画で、『魔法陣グルグル』。これは小学生の時大好きでした」
穂村「僕は木村敏の『時間と自己』。あとは大島弓子の『綿の国星』と、もう一つはレイモンド・チャンドラーで清水俊二訳の『長いお別れ』ですね」
―最後に、読者の方々に向けてメッセージをお願いします。
穂村「この本は、元々山田さんがブログで好きに書いていたものがベースになっているから、作者として“この歌を取り上げてほしくなかった”っていう歌がたくさん入ってるんですよ(笑) 取り上げて欲しくないから歌集に入れなかったのに、わざわざ“これはこういうわけで歌集に入れなかったんだろう”っていうふうに解説されています。
そういう歌はこの本に載せないということもできたんですけど、あえて入れました。偶然性というか、他者性というか、外部に何かが宿ると思っているので、載せて欲しくない歌も入れています。それに対する山田さんの解説に僕は苦しい弁明をしたり、ああだこうだ言ってるんですけど、それが生々しい感じになっていておもしろいんじゃないかと思います」
山田「最近僕は穂村さんの過去を勝手に掘り起こすようなことばかりやっています(笑) そんなことをするのも、穂村さんがすでに歴史的な文学者だからです。齋藤茂吉なども、本人からしたら迷惑だと思うんですが、中学生の頃に書いた日記を掘り起こされたりしています。
100年後の国語教科書の短歌欄で一番大きく取り上げられているのは間違いなく俵万智と穂村弘。その意味で、歴史的作業として穂村弘を取り上げたいという気持ちが、このような本になったと思っています」
■取材後記
これまでほとんど接点がなかった短歌、ということで緊張して取材に臨んだが、お二方ともとても説明上手で現代短歌の歩みや技巧、作る際のコツまで、長い歴史の中のほんの一部とはいえ理解することができたように思う。
小説や詩とはまた違い、短歌からは言葉そのものの切れ味や毒、空気感がより色濃く漂ってくる。
その魅力を、本書からぜひ感じ取ってほしい。
(取材・記事/山田洋介)
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