「栄光の人生を歩みながらも、ひとりの女としては幸せになれなかった」手を取りあうことも叶わぬ永遠の別れ……最愛の人の死にすべてが喪の色に染まる春 ~ツッコみたくなる源氏物語の残念な男女~

やたらに嫉妬するのを止めた紫の上の変化

ちい姫が二条院にやってきた後、袴着の式が立派に行われました。源氏の愛娘としてお客さんにもお祝いされ、姫の前途は洋々です。明石は生母ながら遠慮して、女房たちの衣装を新調することでお祝いに代えます。すぐに年が改まり、源氏32歳の正月です。

姫が来てから最も変化したのは紫の上でしょう。むやみに嫉妬しなくなりました。正月の慌ただしさも落ち着いたある夕べ、おしゃれをして大堰へ出かける源氏。催馬楽(流行歌)の歌詞を引いて、「引き止めるあちらの人が居なければ、歌の通り”明日帰ってくる”夫を待つのだけれど…」と紫の上。源氏はにっこりして「あちらが気を悪くしようとも、必ず明日帰るよ」。以前に比べてやり取りに余裕が出た印象です。

気張って出ていく源氏を見送るのは、紫の上にとって愉快なことではないのですが、無邪気にまつわりつく姫を見ては愛おしい。姫を見るたびに「あちらはどんなに姫のことばかり考えているだろう。私だって姫が可愛くてならないのに」と、明石の寂しさを思いやらずにはいられません。

ここで紫の上は、姫をあやすためにおっぱいを含ませたりしています。珍しいおっぱいが出て来る描写、その2。今回は性的な意味合いではなく、姫を心から慈しむ紫の上の母性的な象徴です。女房たちはそれを見て「本当のお子様だったらよかったのに」と話し合ったりしていました。

ご飯を食べるのは特別?源氏と恋愛と食事の事情

明石は大堰で風雅に暮らしていました。「子どもを取ったら用無し」のような扱いをするのはあまりに気の毒だと、源氏は常よりも明石を気遣っています。源氏から見て、会うたびごとに美しくなっていくのが明石という女。袴着が立派に行われたことに安心しつつも、姫のことを案じて沈みがちな彼女を慰め、2人は濃やかな合奏(源氏も唸るほどの腕前)や語り合いをして過ごします。

明石の特別さを裏付ける描写がもう一つ、源氏の食事についてです。源氏は普通、愛人宅でご飯などを食べたりしないが、大堰では数日間滞在するので、果物や軽い食事を摂ることもあると記されています。

朝帰りの源氏が二条院で朝ごはんを食べるシーンは前半に出てきているのですが、出かけた先の女性と何かを食べているところは見かけません。源氏としては、ご飯を食べるという生活感の出る行為を、恋愛モードではしたくないのかもしれませんね。デートでランチやディナーに行くのが当たり前の時代の人間としてはちょっと興味深いところです。

いくら源氏でも数日間飲まず食わずでは身が持たないので、食事をするのは必然だとも思いますが、明石を家族の一人として、生活感が出る面を安心して見せられる相手と思っているのもよくわかります。

明石もそのあたりは上手く受け止めており、今は「二条で見慣れた女と飽きられるより、こうして来ていただくほうがいいわ」という気持ち。その分、姫のことだけは気がかりで、こっそり偵察もさせています。

父の入道からは「姫の今後は一切神仏にお任せせよ」と言われたのですが、そんなこと言っても心配だもの。報告からはちょっと心配なことも、安心できるようなことも耳にし、一喜一憂していました。

紫の上と明石に次いで、源氏に大事にされているのは花散里です。二条東院にいる分、源氏が頻繁に様子を見に来てくれるのが強みで、その扱いは紫の上に劣らない立派なもの。でも夜泊まるようなことはなく、2人がセックスレスであることが暗に示されています。

花散里の下では女房などの使用人もよくまとまり、感じよくきちんとして、女主としての手腕を発揮しています。本人は「自分はこれで十分」とある意味で諦めて、落ち着いています。紫の上も明石の君も魅力的だけど、何かと気を使わないといけない。そこへ来て、我を張らず穏やかな花散里は無条件にくつろげる貴重な女性です。源氏は彼女の内心の諦めを知っているのかどうなのか、ちょっと気になります。

義父の死、最愛の人の危篤…天変地異が示す警告

その頃、義父・左大臣(太政大臣)死去。若い時から源氏を支えてくれたもう一人のお父さん。長年政治に携わり、温厚篤実で知られた国家の重鎮でした。逝年66歳でした。当時であれば十分長生きなのでしょうが、年齢だけ見ると若いなあと思いますね。

冷泉帝は今年で14歳。年よりもしっかりしているが、やはり相談役はどうしても必要です。「お義父さんが太政大臣なら安心」と悠長にしていた源氏にも、国を支える責任が一挙にのしかかって来るようです。

更に、年明けから天変地異が立て続けに起こり、世の中が落ち着きません。その報告が次々と帝に奏上されます。異常気象や彗星などは全て国家に危機を知らせるもの。源氏は心ひそかに「冷泉帝は実は私の子、そのことではないか」と慄いています。

時を同じくして、源氏との間に冷泉帝をもうけた最愛の人、藤壺の宮は病に臥していました。3月頃には重体となり、帝も最期のお見舞に。母子の最後の対面です。

宮は37歳。当時の考え方では女性の重い厄年でした。「今年は死から逃れられないと感じていました。寿命を伸ばす祈祷などをするのも嫌で…。また昔話などお聞かせしたいと思っていたのに、それも叶わなくなりそうです…」

宮はここ何ヶ月も体調が悪かったのに無理をして、勤行をした疲れが溜まったらしく、今はみかんのような果物さえも食べられない。息が苦しくて、うまく話もできないのですが、37には見えない若々しい美貌は残っています。

桐壺院が亡くなった時はまだ幼くてよくわからなかった冷泉帝も、弱りきった母を見て嘆き悲しみ「どうしてもっと早く気づいてあげられなかったのか」と後悔。それでも、身分の高い人の常で長くとどまることもできず、泣く泣く宮中へ帰られます。

源氏は、公人としては義父に次ぐ宮の危篤を悲しみ、いつもの持病と油断していたのを後悔しています。一方、心の中では最愛の人と、愛を告げることなく別れることが辛くてならない。ありとあらゆる神仏にかけて祈り、宮の命をこの世に引き留めようと努力します。

「幸せとは何なのか」手を取りあうことも叶わぬ永遠の別れ

源氏は大臣としての立場でお見舞いに来、宮の言葉も御簾越しに女房を介して伝えられます。「桐壺院のご遺言を守り、陛下の後見をしてくださってありがとう。感謝の意を伝える機会もあろうかとのんびり構えていましたが、今となっては残念です…」

宮の直々の声が源氏の耳にもかすかに聞こえてきます。最初の出会いから今までが一気にフラッシュバックし、涙が止まらず返事もできない源氏。それでも(他の人が見たらなんと気弱な男と思うだろう)と思うあたりがメンツを気にする彼らしいです。

涙にむせびながら「取るに足らぬ私ですが、陛下のご後見だけはでき得る限り一生懸命に努力してまいりました。太政大臣も亡くなられた直後に、宮様までもがこのような……心が乱れてどう申し上げてよいか……」源氏が言い終わらないうちに、宮は灯火が消えるように亡くなります。桜の季節でした。

病にあえぎながら、宮が最後に思ったことは、自分の気持ちに正直に生きることを許されなかった生涯の嘆きでした。「私は皇女として生まれ、女御、中宮、女院と女性として最高の位を極めた。世間の人はみな私を幸せな女だと思うのだろう。でも、本当に愛する人を避け通した人生だった……」

2人は最後の最後まで御簾越しに、公の立場上の応答しかできませんでした。顔を見ることも、手を取ることも、「愛している」と伝えることもできない永遠の別れ。源氏の声を聞きながら息を引き取ったのが、せめてもの慰めでしょうか。”幸せとは何なのか”が、源氏物語全編を貫く大きな問いなのですが、源氏の最愛の人はその問いかけを残して死んでいきました。

源氏は宮の死に打ちのめされつつ、葬儀を執り行います。宮と太政大臣という大物が立て続けに世を去っていきましたが、2人とも奢ったところがなかった点、そのために貴族達はもちろん、下々の民草まで広く死を悼んだ点が共通しています。簡単に言えば「多くの人に愛された素晴らしい人物が死んだ」という感じですね。花見の宴もなく、誰も彼もが喪服を身に着けた暗い春です。

源氏は念誦堂に引きこもり、宮のために念仏をあげる日々。桜を見ては「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」、夕日を見ては「入り日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがへる」。どんな景色を見ても、喪の色を思うばかりです。

それも、すべては聞く人もない独り言。ただただ宮のことが思われて、源氏はひとり泣き暮らすのでした。源氏は悲しいとすべてを放り出して引きこもって泣くタイプですが、そういうときのためにも自分だけのスペースは必要だったのでしょうね。

宮が最後の最後まで案じたのは、息子・冷泉帝の出生の秘密でした。本人がなにも知らないままでいるのを不憫に思い、死んでもそのことが気がかりでならないだろうと。母の死の悲しみと、天変地異の不安にさいまれる少年帝に、ついに真実を知る機会が訪れます。

簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/

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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか

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