アムロに憧れてパイロットを目指した。だけど、ほぼ毎日「あきらめよう」と思っていた…ーーレッドブル・エアレース千葉大会2連覇を達成したパイロット・室屋義秀氏の仕事論(前編)

アムロに憧れてパイロットを目指した。だけど、ほぼ毎日「あきらめよう」と思っていた…ーーレッドブル・エアレース千葉大会2連覇を達成したパイロット・室屋義秀氏の仕事論(前編) f:id:k_kushida:20170606094545j:plain

世界最高の飛行技術を持つレースパイロットたちが、最高時速370km、最大重力加速度10Gの極限の状況下でタイムを競う究極の三次元モータースポーツ。それがレッドブル・エアレースだ。大空を舞台に操縦技術の正確さ、知力、体力、精神力を競う究極の競技は「空のF1」とも呼ばれている。

この世界最高峰のレースに参加できる選ばれしトップパイロットは世界でわずか14人。その中でただ1人のアジア人が室屋義秀氏(44歳)だ。昨年(2016年)は千葉大会で見事初優勝を果たし、大きな注目を集めた。全8戦で争われる今シーズンでも第2戦のアメリカ・サンディエゴ戦で勝利を手にし、続く6月4日に行われた第3戦の千葉大会でも表彰台の真ん中に立った。今季連続優勝、千葉大会2連覇を達成したわけだが、母国での連続優勝はレッドブル・エアレース史上において過去に1人しか成し遂げていない偉業である。そしてこの勝利で総合ランキングトップに。室屋氏の究極の夢である年間総合チャンピオンが俄然、現実味を帯びてきた。

しかし、日本国内ではエアレースやエアショーの認知度は低く、競技人口も少ないだけに、これまでの道のりは決して平坦なものではないどころか、困難の連続だった。室屋氏は目の前に次々と立ちはだかる分厚く高い壁をどう乗り越えてきたのか。室屋氏を大空へと駆り立てるものとは、無謀とも思える夢を実現するために必要なものとはいったい何なのか。6月4日に開催されたエアレース千葉大会の模様と合わせてレポートする。f:id:k_kushida:20170606094420j:plain

▲レッドブル・エアレース2017千葉大会で今季2勝目を飾った室屋 義秀 氏

アムロ・レイにあこがれて

まずは室屋氏のこれまでの歩みを振り返ってみよう。室屋氏がパイロットという職業に憧れをもった最初の原点は小学校低学年の時に観た「機動戦士 ガンダム」だった。言わずと知れた、その後のアニメの歴史を変えたロボットアニメの金字塔である。主人公であるアムロ・レイに強烈なシンパシーを感じ、いつか自分もガンダムのパイロットになってこの手で操縦したいと思うようになった。ちょうどそんな時、旅客機の見学会に参加し、コックピットに座ったことで、ガンダムと飛行機が重なり「大空を自由に飛びたい」という思いがふつふつと胸の奥底から湧き上がってきた。かくして室屋少年はパイロットを目指すこととなった。

その夢は年齢を重ねても色褪せることはなかった。1991年、大学に入学するとグライダー部へ入部。18歳から本格的にパイロットの訓練を開始。20歳の時には単身アメリカへ渡り、飛行機操縦免許を取得。その後、アルバイトでお金を貯め、毎年2カ月間、アメリカでの飛行訓練を積み重ねた。同時に国内ではグライダーによる飛行訓練に励み、国内競技会では好成績を収めた。

着実にパイロットとしての経験を積み重ねていった室屋氏にその後の人生を決定づける契機が訪れる。1995年、但馬空港で開催された曲技飛行競技の世界大会「ブライトリング・ワールドカップ」。世界トップクラスのパイロットたちが大空で繰り広げる究極の操縦技術を観た時、全身に大きな衝撃が走った。俺も彼らのようになりたい──「大空を自由に飛びたい」という思いが「飛行機の操縦技術世界一」という確かな夢へと変わった瞬間だった。室屋氏、22歳の時だった。

困難の連続

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本格的にエアロバティックスパイロットへの道を歩き始めた室屋氏だったが、当時日本では曲技飛行競技大会は開催されておらず、競技人口もほぼいないと言っていいほど少なかった。しかも曲技飛行用の機体を購入するためには莫大な資金がいる。情報も資金も実績もないという完全な手探り状態の中、それでも室屋氏は必死に情報を収集し、 国内でグライダー教官として飛行技術を磨くかたわら日夜アルバイトで資金を稼ぎ、2年でなんとか訓練資金を調達するところまでこぎ着けた。

その後アメリカに飛び、世界有数のエアロバティックス教官に師事し本格的に訓練を開始。その甲斐あって、1997年(24歳)には初の競技会(スポーツマンクラス)や、アドバンスクラス世界選手権に日本代表チームの一員として参戦を果たした。翌年には国内でエアショー活動を開始。2002年(29歳)には本格的に世界レベルでのフライトを目指し、新しい機体の導入とともに競技志向型エアショーチーム「Team deepblues」を旗揚げし活動を開始。しかし、 設立後まもなく資金難に陥り解散の危機に。長く飛べない日々が続いた。

ここまでか……弱気の虫が頭をもたげたことも一度や二度ではなかった。そんな時、奇跡が起こる。リサイクルショップを全国展開していた「株式会社生活創庫」(当時)創業者の堀之内九一郎氏が支援を買って出たのである。これによりチームは解散の危機を免れ、活動を再開することができたのだ。

その後も地道な努力を積み重ねた室屋氏は2008年、アジア人初のレッドブル・エアレース・パイロットに抜擢。そして2016年、ついにレッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ、母国大会という大舞台で初優勝を果たす。22歳の時に目指した「操縦技術世界一」という夢を見事叶えた瞬間だった。

「25年かけてようやく目標を達成できたわけなのでうれしかったですね。この優勝で今までチーム全員で頑張ってきたことが間違いではなかったこということが証明できたので少し気分が楽になりました」

千葉大会で今季2連続優勝、2連覇達成

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そして2017年シーズンは第2戦のサンディエゴ、第3戦の千葉と連続優勝を果たした。昨年の千葉大会での室屋氏の優勝によって国内のエアレースへの興味関心はヒートアップ。今年の千葉大会では、予選(6月3日)、決勝(4日)の2日間でレース会場となった幕張海浜公園に集結した観客数は延べ9万人。室屋氏の優勝が決定した瞬間、広大な会場は、幕張の海岸全体が揺れるような熱狂のるつぼと化した。

しかし決して楽な勝利ではなかった。予選は4位。3度のフライトで争われる決勝の1回目、ラウンド14では先にフライトした選手のタイムを最後のセクターまで更新することができず、あわや初戦敗退かと思われた。しかしゴールした瞬間、ガッツポーズをしたのは室屋選手だった。対戦相手との差、わずか1000分の7秒。まさに薄氷の勝利でラウンド8へと駒を進めた。

続くラウンド8。先にフライトした室屋選手は途中エアゲートを規定の姿勢で通過できなかったという痛恨のミスによりプラス2秒のペナルティが課せられた。次に飛んだ対戦相手は無事ゴール。室屋は負けた。会場にいる誰もが肩を落とした。しかし対戦相手がゴールした直後、「審議」の表示が出さた。その結果、エアゲート通過中に機体を持ち上げたことによるペナルティ(プラス2秒)が課せられ、室屋選手は最後の戦い・4人で優勝を争うファイナル4への進出を決めた。

ファイナル4でも1番手でフライトした室屋選手は55.288秒というタイムで無事ゴール。予選トップ4のタイムは54秒台なのでお世辞にも好タイムとはいえない。あとは残りの3人がこのタイムを上回らないことを祈るだけだ。2番目に飛んだ選手は室屋選手から0.558秒遅れの55.846秒でゴール。これで3位表彰台は確定した。

残りの2人は昨年のワールドチャンピオンと何度も優勝経験をもつ強敵パイロットだったが、両者とも難易度が非常に高い千葉のレーストラックと強風という難しいコンディションに苦戦しペナルティを受けた。その結果、室屋氏の千葉大会2連覇、今季2度目の優勝が決定したのだ。

決勝後の記者会見で今回のレースを振り返る室屋氏の目は心なしか潤んでいるように思えた。

「まずはチーム、家族、スポンサー、このレースを日本に招致してくれたオーガナイザーに感謝したいですね。会場には予選・決勝の2日間で9万人というものすごく多くのファンが駆けつけてくれました。このファンの存在は大きなプレッシャーにもなりえますが、僕を後押ししてくれる力と捉えました。それがこの千葉で優勝することができた大きな理由だと思います」

この勝利で総合ランキングトップに立ち、最終目標である年間チャンピオンに1歩近づいた。しかし、室屋氏はあくまでも冷静だった。

「レッドブル・エアレースは全8戦で争われるので、この第3戦が終わってもまだ残り5戦もあります。だからこの先ポイントがどうなるか、まだまだわかりません。ファイナル4に残ることができればポイントは自然にたまっていくので、ポイントのことはあまり考えずにコンスタントにいいレースを続けていくことだけを考えて、残りのレースに臨みます」

後編では室屋氏がなぜ20年以上にもわたって多くの困難に負けず、無謀ともいえる夢に向かって挑み続けられてきたいのか。その理由に迫ります。

後編「困難に打ち勝つ秘訣」に続く

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