経済が崩壊するっていうこと@ジンバブエ。
今回はKenさんのブログ『Tokyo Life』からご寄稿いただきました。
経済が崩壊するっていうこと@ジンバブエ。
ジンバブエの首都、ハラレに滞在しています。
この街は、アフリカにあるたくさんの発展途上国の首都とは違う特徴がひとつあります。アフリカの多くの国が破綻国家とか“後発”発展途上国とか言われ、ジンバブエも今でこそそのカテゴリーに入れられてしまってますが、ジンバブエ、そしてハラレは、一度はそのカテゴリーを脱し、中進国だった時代がある場所なのです。
1980年の独立以降、80年代から90年代にかけては、宗主国イギリスが残した都市基盤や行政機構がほぼそのまま残され、ヨーロッパ系市民も居残り、農業、鉱業、製造業、サービス業がバランスよく栄える国でした。周辺国が干ばつ被害に遭っていても、整った灌漑(かんがい)設備による近代農業で穀物を輸出し、“アフリカのブレッド・バスケット(パン籠)”と呼ばれていました。首都ハラレは緑深く、中心部は碁盤の目状に道路が整備され、およそ一般的に思い浮かべる“アフリカ”とは思えない街並だったはずです。むしろ、オーストラリアやニュージーランドに近い趣だったはず。
それがやがて雲行きがおかしくなり、失政と腐敗が国をむしばみ、2000年代に入って急降下、2008年〜2009年頃にかの有名な天文学的ハイパーインフレに陥って最終的に破綻しました。
私が初めてハラレに滞在したのは2009年4月。ハイパーインフレの結果、自国通貨ジンバブエ・ドルが破棄され、米ドル等を使う外貨経済に移り変わろうとする頃でした。最悪の時期は終わり、最低限の物資は再度出回り始めた頃でしたが、ショッピングモールらしき場所は閑散として廃きょのようで、市内はどこも薄汚れて荒れていました。
街灯は折れ曲がり、道路は穴だらけ、信号も切れているところが多い。商店はどこも古びて閉まっているところが多く、開いていても品数は限定的。電気の供給が不安定になり停電が多発、上水道も供給されなくなるところが増え、火事になっても消防車も来ない。街角に立ってぐるっと辺りを見回してみると、あらゆるものが何かしら破れ、折れ、さび、はがれ、割れ、色あせていて、ピシッと新しいものがひとつもないという状態でした。
市内で一、二のホテルに行ってみると、元は立派なロビーだったと分かるものの設備の古さが目立ち、床や壁も色あせ、あちらこちらがギシギシときしみ、頑張って清掃してもそれだけでは追いつかない老朽化が隠せない状態でした。高いビルに行ってもエレベーターが全部まともに動いているところはまずないし、やむを得ずヒィヒィ言いながら階段を上っていると、フロアごと打ち捨てられて廃きょになっている階があったりしました。
病院は建物だけはそれなりに立派でしたが、薄汚れてお世辞にも清潔とは言えず、なにより医者がいません。私はただ検査を受けに行っただけなのですが、それさえまともにできない(こともあろうに私が提出した検便の検体を病院側が紛失したんですよ!)。
国外に逃避するだけの資金がある、逃避しても仕事を得られる能力がある人から国を出て行ってしまっており、医者などというのはその代表格。医療も崩壊に近い状態になりました。ヨーロッパに逃避した人も少なくなかったそうですが、内陸国で陸続きの国がいくつもあるアフリカ、そんなに裕福でなくてもジンバブエを見限って南アフリカ等の周辺国に移動した人が多く、1200万人といわれた国民のうち、一説には400万人が国を出たといいます。
貧しい国にはストリートチルドレンや乞食が付きものですが、経済が動いていないので乞食さえいないという状況でした。天文学的インフレで政府はまともな予算を組むことさえできず、2010年になってやっと米ドルで予算案を作成する始末。それもとりあえず公務員に月100ドルずつ払う、という程度のお粗末なものでした。
浄水場は停電のうえに必要な水処理用の化学薬品を購入できず、さらには老朽化した配管の修理もできず、きれいな水の供給が不十分になりコレラが流行しました。コレラなんて健康な大人であれば死ぬような病気じゃなく、脱水症状を防ぐブドウ糖液の点滴くらいできれば何とかなるはずなのですが、病院が機能していないので4000人以上が犠牲に。母子保健も悪化し乳幼児死亡率が上昇、もともとHIVの感染率がそれなりにある地域なのにARV(抗レトロウィルス薬)も入手できず、平均寿命が40歳前後に落ち込むという悲惨な状況になっていました。
* * *
あれから約3年。
製造業や農業の再興はまだまだですが、とりあえずお金は回り始め、人が戻ってきて、あの廃きょだったショッピングモールの駐車場は満車、週末には渋滞ができるほどになりました。
『自転車世界一周取材中』 *1 の“チャリダーマン”こと周藤さんがジンバブエの報告を書いておられて(「アフリカ諸国との格の違いを見せつけられたジンバブエの現状」*2 )、今はまさにその報告のとおりなのですが、彼が“中心街にあるショッピングセンターと真新しいビル”と書いているものも実は途中で建設が止まって何年も放置されて、最近になってやっと工事がちょっとずつ再開されてなんとか見られるような姿になったもののようですし、品ぞろえのよい自転車屋があったという“Arundel Village Center”も、つい最近新装開店したもののはずです。
*1:『自転車世界一周取材中』
http://shuutak.com/
*2:「アフリカ諸国との格の違いを見せつけられたジンバブエの現状」 2012年03月10日 『GIGAZINE』
http://gigazine.net/news/20120310-zimbabwe-us-dollar/
まだまだ医療はどうしようもなく、水も電気も不安定で、道路も穴ぼこだらけですが、店舗の改装や新規オープンも増え、やっと徐々になんとかなりはじめたという印象です。
(ちなみに、チャリダーマンさんとはハラレ市内でお会いして一緒に食事して、これまでの自転車旅の話など聞いたんですよ。興味深かったです)
* * *
結局、経済なんです。
少子高齢化、人口減社会の日本では、「もはや経済成長を追い求めず、貧しくても心豊かな生活を実現する社会にパラダイムシフトを」とか、縮み指向な意見を聞くようになりましたが、そんなのは幻想だと思うのです。
ジンバブエほど酷いことにならないとしても、経済が傾くというのはどういうことか、その一端をハラレで見ることができます。福祉や教育は真っ先に壊れてしまう。新しいものはうまれなくなる。生活に精一杯で深い思索は減る。それで心豊かにいられるでしょうか。
金さえ回り始めれば、相当のことは片付く。“お金で買えないもの” “お金に換算できない豊かさ”があるのは分かりますが、それもまずはお金が回っているから言えることだったりする。世の中、清貧を実践できる聖人ばかりではなく、心豊かな生活には元手が必要なのです。人に優しくするにも元手がいるのです。
ジンバブエは中進国の時代があり、経済を崩壊させた時期があり、今また徐々に息を吹き返しつつある状況です。極端な事例であることには違いないですが、数学やってて関数の性質を知りたいときに“0”や“∞”を入力してみると参考になるように、ジンバブエの事例は、経済の浮沈によって自分たちの生活がどう変わるのかを示唆してくれます。
経済成長をGDPで測るのがよいのか、一人当たりGDPで測るのか、GNIなり購買力平価なりを見るのが良いのか、そんなことはよく分からないのですけれど、でもとにかくお金は回していかないといけない、そんな当たり前のことに気付くジンバブエ滞在です。
執筆: この記事はKenさんのブログ『Tokyo Life』からご寄稿いただきました。
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