「ファミコンのおかげ」が今の仕事につながる端々に | デイリーポータル Z 編集長 林雄司さん
1983年7月に発売されて国内の累計販売台数は約1935万台、テレビゲーム機として革新的成功をおさめた、ファミコンこと「ファミリーコンピュータ」。2016年11月に復刻発売された「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」も、発売直後から品薄状態が続いたことは記憶に新しい。
何よりファミコンは、「ウソ技(テク)」「クソゲー」「ゲームは一日一時間」「抱き合わせ」「借りパク」など、さまざまな社会現象を巻き起こした。ファミコンはテレビゲーム機の娯楽の枠を超えた生活の一部であり、その遊びをとおして、友だちと一緒に笑い合い、駆け引きをしたり、あるいはケンカもしただろう。ファミコンとともにあった原体験は、実は今を生きる私たちの人生観や仕事観に大いに影響を与えてるのではないか? そんな確信をもって、さまざまなシーンで活躍されているビジネスパーソンや著名人にお話をうかがっていく。
第1回にご登場いただくのは、インターネット黎明期から『webやぎの目』『死ぬかと思った』等で人気を集め、現在は『デイリーポータル Z』編集長である、林雄司さん。そのユニークなクリエイティビティの礎に、じつはファミコンを通じた成功体験がかかわっていた――。
林雄司さん プロフィール
1971年東京都練馬区生まれ。1996年より個人でウェブサイト「東京トイレマップ」「webやぎの目」などを開設。ウェブサイトの内容をまとめた「死ぬかと思った」「やぎの目ゴールデンベスト」などの著作がある。デイリーポータル Z ウェブマスター。
林 雄司 (@yaginome) | Twitter
「中山美穂のトキメキハイスクール」ほど大変な恋愛はなかった
――ファミコンはいつ頃に買われましたか?
高校1年生のときでした。1987年かな、遅いんですよ。アルバイトをして、自分のお金で買いました。うちは割と厳しい家庭だったので、ファミコンなんて買っちゃいけない雰囲気で。だから、アルバイトをして自分で買いました。抱き合わせで『テラクレスタ』がついていた気がします。
――お気に入りだったタイトルは?
「ファミスタ」ですね、すっごいやりました。それこそ年度ごとに買って。僕ヤクルトファンなんですけど、初代ファミスタだと一番弱いんですよ。しかもあまり友だちがいなかったんで、一人でずっとやってました(笑)。あとはディスクシステムのゲームですね。500円でゲームの書き換えができてたくさん遊べましたから。
その中でも思い出深いのは「中山美穂のトキメキハイスクール」でした。あのゲームには学びましたね、人生観というか、恋愛観? 女性と付き合うのは大変だということは学んだけど、あのゲームほど大変ではなかった(笑)。すぐ怒るんですよ、あのゲームの中山美穂。
なんか怒らせたらゲームオーバーになるんですけど、ロードになるとき一瞬真顔に戻るんです。だけど、その後ニヤってする。「え? 何それ」って。でも何か意図があるんじゃないかとか勘ぐって、「本当は怒ってないくせに」とか、深読みしてました。あとからきいた話ではあれ、ただ暗転処理のバグだったらしいですけどね。
それとあのゲーム、進めていくとリアルに電話をするイベントがあるんですよ。「私のメッセージを聞いてね」とか言って、本物の電話番号が出る。で、そこに電話をすると、中山美穂が出る。ゲームの展開を教えてくれるんですね。それが回線に気を遣ったのか、電話番号がどれもバラバラなんですよ。北海道だったり、九州だったり。「中山美穂どこにいるんだよ!」さっきまで09……と言ってたのに(笑)。あれはおかしかった。「逃げてるのかよ!」って。
――ファミコンは家のテレビで遊んでたんですか?
うちはテレビが2台あって、1台はゲーム専用として自分の部屋に置いてたんです。もう自分の王国でしたね、ゲームやり放題。徹夜まではしなかったけど、ずっとやってました。学校から帰ってきて、コートも脱がずにずっとやってるとか。みんなは模擬試験とかに行ってるのに、俺だけファミコンやってました。
とくに「ベストプレープロ野球」にハマってました。やり込んだ結果、監督をやるのも飽きて、監督をオートにして、選手の入れ替えをずっとやってました。選手を作って一晩走らせておくと、次の日結果が出るんです。何チームがどうなりましたって。それをずっとやってました。プロ野球名鑑を買ってきて、自分でパラメータ作って。データ入れてシミュレーションをずーっとやってました。
自己顕示欲が初めて満たされたファミ通の投稿
――ファミコンを通じて印象深かったエピソードについてきかせてください。
雑誌の『ファミコン通信』が好きで、読者ページに投稿してました。そしたら自分の描いた漫画が誌面に載ったんですよ! 投稿して初めて掲載されたのがファミ通、1000ガバスもらえました。「東京都 林雄司」って、本名で。ペンネームを使う気は一切なくて、今も自分の名前が出ないとやる気が起きないんです。自己顕示欲が満たされた初めての体験でした。これで「いける!」と思って、他の漫画賞とかにも作品を出したんですけど、一切ダメでしたね(笑)。
△ファミ通に投稿し、掲載されたという漫画「ブレネリ」
でも、その後インターネットが出てきたときに、「これで俺は誰の承認も得ずに力が出せる!」って思った。「インターネット最高!」って。誌面に載った8年後には、自分のホームページをやっていた。
あと、当時のファミ通は、文化的というか内輪ウケみたいな雰囲気が強かったと思います。読者ページに編集者が顔を出してやっていたり。そういう空気感って今のデイリーポータルに影響を与えているかもしれません。
――「ファミコンのおかげ」みたいな出来事はありますか?
僕、ファミコンが好きすぎて、大学の卒論はゲームを題材に書いたんですよ。コミュニケーション論専攻だったので、「メディアと人間」というテーマでした。要旨として、「ファミコンが面白いのは、万能感が得られるからだ」「コンピュータは人に万能感を与える道具である」と。征服欲とか達成感、自分ができないことができるっていう。インターネットがまさにそうですね、できないことができるっていう意味で。そう思うと、ファミコンで遊んだことの延長線上に今の仕事がつながっているんじゃないですかね。
「デイリーポータル Z」自体がファミコンみたい
――そういえばデイリーポータル Zもファミコン的ですよね。ファミコン本体がデイリーポータルというサイトで、そこにたくさんのカセットやディスクのようにライターさんたちがいて……。
いろいろなクリエイターが作った記事が、デイリーポータル Zというプラットフォームの中にある。読者によって記事の好き嫌いもありますしね。お金出してカセットを買って、「クソゲーだ!」ってなるのに比べれば、「記事ひとつ面白くないくらいなんだ」ってなる。
でも、デイリーポータル Zの場合、「こいつ面白くねえんじゃないの?」って声が寄せられる人は、かえって大事にしていますね。要は他人の気持ちを引っ掛けているってことですし、無視されるよりはずっといい。むしろ、無難なことに危機感を覚えるくらい。
「こいつは面白くない」ってなったら、ただ画面を閉じればいいだけの話なのに、わざわざそういう声を送って来るっていうのは、すごい労力を使っているわけですよ。だから、これはむしろいいことなのでは、と思うんです。
そもそもクソゲーってメタで楽しむものですよ。クソゲーはゲーム性そのものっていうより、笑ってツッコんで楽しむものじゃないですか。デイリーポータル Zのそんな記事も、ツッコみながら読んで欲しい。送る人と受ける人のコミュニケーションではなく、受ける人同士のコミュニケーションです。「ニコ生」なんかもそういう意味ではクソゲー文化に近いですよね。ネットで盛り上がるコミュニケーションの構造って、クソゲーを楽しんでいた当時と同じなのでは、って思ったりします。
取材・文:深田洋介
1975年生まれ、編集者。2003年に開設した投稿型サイト『思い出のファミコン』は、1600本を超える思い出コラムが寄せられる。2012年には同サイトを元にした書籍『ファミコンの思い出』(ナナロク社)を刊行。
http://famicom.memorial/
撮影・編集:鈴木健介
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