【20代の不格好経験】仕事への慢心から気が緩み、遅刻癖が再発。社長に怒鳴られて…~株式会社チカク代表取締役社長 梶原健司さん

今、ビジネスシーンで輝いている20代、30代のリーダーたち。そんな彼らにも、大きな失敗をして苦しんだり、壁にぶつかってもがいたりした経験があり、それらを乗り越えたからこそ、今のキャリアがあるのです。この連載記事は、そんな「失敗談」をリレー形式でご紹介。どんな失敗経験が、どのような糧になったのか、インタビューします。

リレー第21回:株式会社チカク代表取締役社長 梶原健司さん

株式会社ソラコム代表取締役社長 玉川憲さんよりご紹介)

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(プロフィール)

1976年兵庫県淡路島生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業後、1999年に米アップルの日本法人に入社。ビジネスプランニング、プロダクトマーケティング、ソフトウェア・インターネットサービス製品担当、新規事業立ち上げ、セールス責任者などを経験し、2011年に退職。2014年に株式会社チカクを創業。スマートフォンで撮影した動画や写真を実家のテレビに送るサービス「まごチャンネル」を展開する。

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▲スマートフォンで撮影した動画や写真を、インターネット環境がなくてもご実家のテレビに送れる「まごチャンネル」。離れて暮らす祖父母宅のテレビに、孫専用のチャンネルを追加し、テレビを観るように簡単、気軽に孫の様子を見ることができる。「離れて暮らしているけれど孫の姿が見たい」という祖父母世代のニーズと、「孫を見せたいけれどなかなか行ける機会がない」という子ども世代のニーズ両方を叶えるサービスと好評。

12年間でさまざまな役割を経験。部署が変わるごとに失敗と挫折を繰り返してきた

1997年にCMなどで放映されていた、アップルコンピュータの広告キャンペーン「Think different.」に感銘を受けて、大学卒業後の1999年にアップルの日本法人に新卒入社。以後、2011年に退職するまでにさまざまな仕事を経験しました。

入社当初は、まだスティーブ・ジョブズがアップルに戻って来て間もない頃で、業績低迷期から抜け出せておらず、当時の主力製品である「Mac」もグローバルPC市場でシェアわずか2%というニッチなプロダクトでした。

実は、内定をいただいた当初は3年でアップルを辞める予定を立てていました。3年間がむしゃらに働き、いろいろなことを経験したのちに起業しようと考えていたのですが、その後iMacが人気を集め、iPodが発売されiPhoneが出て、そしてiPadが出て…と業績は急激に右肩上がりに。「こんな面白い会社はほかにはない!」と辞めるタイミングを失い、結局12年間もお世話になりました。

その間、さまざまな部署でさまざまな役割を経験しましたが、どれも未経験の仕事ばかりだったので配属当初は失敗ばかり。その都度、大きな挫折感を覚えましたが、できないながらも「なにくそ!」ともがき、何度も挑戦してはやり抜いてきました。こうして一つひとつの仕事に愚直に取り組み、壁を乗り越えてきましたが、今、これらの経験がすべて活きていると強く実感しています。

プロ集団の中に新人が一人…何をしていいのかすら、わからない

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入社後、最初に配属されたのは、プロダクトマーケティング部門。アップルは「プロダクト命」の会社。その会社のマーケティング全般を担当するという、全社的にも非常に重要な部署です。

アップルは新卒採用をほとんど行っておらず、人材確保は中途採用が中心。私のときも、新卒入社者は2名のみ。従って、プロダクトマーケティング部門は私以外全員中途入社者。しかも、スタンフォードのMBAホルダーや、外資系コンサルティング会社出身の精鋭ばかりが集まっていました。そんな部署に、何のはずみかたった一人送り込まれてしまい、最初の「挫折」を味わいます。「何が」わからないのではなく、「何も」わからなかったのです。

プロダクトマーケティング部門では、ビジネスプランニングを担当。日本における製品の価格設定や需給予測、製品全般のビジネス計画を立てていく部署ですが、当然ながら知識は全くありません。

当時は新卒向けの導入プログラムなどはなく、OJTで仕事を覚えるしかありませんでした。しかし、周りは全員、この道のプロフェッショナル。皆、自分の目標を達成するためにまい進していて、いい意味で「われ関せず」。急に入ってきた新人のことなど、誰も助けてはくれません。自分はここにいるべきではない人材なのでは…と落ち込みました。

しかし、それでも何か仕事をしなければなりません。困り果てた私が取ったのは、「わからないことがあったら、無理やりにでも周りに聞く」という方法。先輩方にとっては本当に迷惑だったと思いますが、わからない用語があれば聞き、知りたい情報があれば聞き…を繰り返しました。入社するまでWordもExcelも触ったことがなかったので、「Excelのフォントサイズの変え方」まで聞いていましたね。今思えば、MBAホルダーになんて質問していたんだ!と恥ずかしくなります(笑)。

それでも皆、助けを求めれば手を差し伸べてくれました。「これがわからないので教えてほしい」と具体的に助けを請えば、プロだからこそ、一から真剣に教えてくれた。ありがたかったですね。

また、新人ということで、さまざまな重要な会議に「議事録係」として参加できたこともラッキーでした。

会議の内容を、ただひたすら記録するという役割ですが、当然ながら初めは何を言っているのかチンプンカンプン。しかし、回を重ねるごとにおぼろげながら内容がつかめるようになっていきました。アップルが重視していた「サプライチェーンマネジメント」の仕組みや重要性についても、ここで覚えましたね。議事録係で得た知識を仕事でも活用し、少しずつ仕事が回せるようになり、徐々に自信もついていきました。

とはいえ、その後も役割が変わるごとに何度も挫折感を味わいました。2年目に新製品の日本市場でのローンチを担当した際、米国本社に2週間ほど出張したのですが、英語での議論が全くできず、ほとんど役に立つことなく帰国する羽目になったり、プレゼン資料作りが苦手で本社向けレビューの資料がうまく作れず、当時の社長に怒られたり…。

それでも、「なにくそ!」と奮起し、努力し続けられたのは、上司に恵まれていたから。いつも見守られているという雰囲気があったし、言葉に出さずとも「実力はまだ足りないかもしれないけれど、期待しているよ」という姿勢を常に示してくれていたのです。その期待に何とか応えたい!と思えたから、失敗したり挫折感を覚えたりしても、上を向くことができました。

仕事ができるようになって気が緩み…社長から厳しい一喝

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しかし、仕事にも慣れた入社5年目の頃、大きな失敗をしでかしてしまいます。

当時私は部下を持っていませんでしたが、元オラクル専務からアップルに移ってこられたばかりの山元賢治社長の直下で働いていました。今考えると、ある程度仕事ができるようになって、慢心していたんでしょうね。朝10時までには出社しなければならないのに、11時やお昼過ぎに出社する日がざらにあったんです。

もともと朝が弱く、早起きが苦手なタイプ。「寝坊するのは体質だ」などと言い訳しつつ、ズルズル出社時間が遅れる…という状態でした。当時は良くも悪くも「われ関せず」の社風でしたから、誰にとがめられることもありませんでしたし、「仕事では成果を挙げているのだから、これぐらいいいだろう」などと思っていました。

ある日、山元さんの本社向けプレゼン資料の準備を夜通しオフィスで行った、徹夜明けの朝7時前ぐらいのこと。オフィスに出社してきた山元さんから、すぐに社長室に呼び出されました。「何事だろう…」と社長室を訪ね、扉を閉めたとたん、「バカヤロー!」と思い切り怒鳴られたんです。

それまでは、朝いつも席にいない私のことを「本社とのテレカン(teleconference)などだろう」と思っていたところ、周りのメンバーから私の遅刻癖をついに聞いたとのこと。梶原には期待をかけている。もっと成長してもらいたいし、いずれはマネージャーも任せたい。なのに、ビジネスパーソンとしてあまりに基本的なことができていない。そんなところでつまずいているなんて、情けないぞ――と。

自分の生活態度を叱ってくれたのは、この時の山元さんが初めて。5年目にもなって、何て恥ずかしいことをしているんだと心から反省させられました。

そして、翌日から朝7時に出社するようになりました。「朝起きられないのは体質だ」なんて言っていたのに、怒られたとたんに早く起きられるようになるという…現金ですよね(笑)。

でも、山元さんは6時半にはもう出勤しているのです。前日、どんなに遅くまで飲んでいたとしても、翌朝この時間には必ず出社し、バリバリ仕事している。「この人みたいになりたい!」と奮起させられました。

あまりに恥ずかしすぎる失敗経験ですが、この経験があったから心を入れ替え、初心に戻れたし、マネージャーとしての考え方、動き方、ふるまいなどをたたき込んでいただきました。その後も何度もチャンスをいただき、さまざまな部署の責任者を経験。最終的には部長職まで任せていただきました。感謝してもし切れませんね。

「クールでイノベーティブ」にこだわりすぎて、2年間、事業テーマが定まらず

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そして、さまざまな経験と学びを得て、2011年にアップルを退職。35歳のときでした。

きっかけは、東日本大震災です。当時、ビルの51階にあるオフィスにいて、あまりの激しい揺れに「ビルが折れて死ぬんじゃないか」と本気で覚悟しました。この経験から、人生は限りがあるし、「心・技・体」そろって働ける時間はさらに限られる。いったん立ち止まり、これからのキャリアをじっくり考えてみようと思ったのです。

また、2011年はスティーブ・ジョブズが亡くなった年でもあります。ジョブズが作った「Think different.」キャンペーンに感銘を受けて入社してから12年、勝手な個人の感想ではありますが、彼が亡くなったことでさらに「一区切り感」を覚えたというのもあります。

そこから今の会社を立ち上げるまでの約2年は、次のキャリアを模索する日々でした。起業しようとは決めていたものの、何をすればいいのか思いつかなかったのです。

当時の私は、「アップル出身なんだから、何かクールでイノベーティブなものを期待されているに違いない」と思い込んでいました。でも、その「クールでイノベーティブなもの」がどうしても思いつかず、悶々としていました。

そんなある日、急に「アップルにたまたま長くいただけで、自分自身はクールでもイノベーティブでもない。誰もそんなことは期待していないし、自分が何をしようが誰も気に留めていない」と我に返ったんです。そして改めて、「個人として解決したいと思う問題は何か?」と考えた時に、「まごチャンネル」のアイディアが浮かびました。

実は、アップル時代に似たようなことを個人でやっていました。私の実家は兵庫県の淡路島で、なかなか頻繁には帰省できない。でも子どもの顔は親に見せてあげたくて、PCを実家のテレビにつないで、子どもの画像や動画をオンラインストレージ経由で送っていたんです。親が喜んでいるから、ほかの「孫に会いたくてもなかなか会えないおじいさん、おばあさん」のニーズも満たせるのでは?と思いつきました。

そこから、地道にユーザー層へのヒアリングを重ね、デモを行い、クラウドファンディングを経て2016年春から販売スタート。現在では47都道府県すべてに導入されてご活用いただき、「まごチャンネルなしの生活は考えられない」との声もいただけるようになりました。

アップルであらゆる部署の知見を得たから、会社立ち上げもスムーズだった

特に大きなトラブルや失敗もなくここまで来られたのは、アップルでの経験があったからこそ。12年の間に、マーケティング、ビジネスデベロップメント、そして営業企画、新規事業立ち上げなどさまざまな仕事を経験しました。また、グローバルプロジェクトやiPodの営業側の責任者を務める中で、ロジスティクスやファイナンス、サポート部門など、全社のあらゆる部門と緊密に連動しながら仕事をすることができ、知見を深められたことも、経営者として会社を運営する上で非常に役立っています。

今後はもっとたくさんの方に「まごチャンネル」の存在を知っていただき、ご活用いただきたいし、海外市場も視野に入れています。「離れて暮らしているけれど孫の姿が見たい」「孫を見せたいけれどなかなか帰省できない」というニーズは、日本だけのものではないはず。せっかくグローバルカンパニーにいたのだから、その経験を活かしてグローバルに展開したいと、真剣に考えています。世界中のおじいさん、おばあさんを、可愛い孫の画像で笑顔にできたら、本当に嬉しいですね。

「この世にどんな差を残したいのか?」という視点を持てば、仕事がもっと楽しくなる

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私が尊敬する人に、シリコンバレーで活躍している古賀洋吉さんという人がいます。同じ年なのですが、彼がブログやTwitterで発信している言葉はどれも心に刺さるものばかり。

その中の一つに、こんなものがあります。

「自分は誰か?それは、自分が生まれた世界と、生まれなかった世界の差によって定義される。柱につけた身長を刻む傷、他人の心に残る言葉やツイート、なんでもいい。死後に残った差の集合体が自分だ。よい差を残せると良いな」

この言葉に出会ったとき、とても素敵な考え方だと感動させられました。そして「まごチャンネル」を普及拡大していくことが、この言葉に対する自分なりの答えだと思っています。

これからの時代、「AIが人間の仕事を奪う」などと言われています。一部では真実なのかもしれませんが、一方で機械ではなく自分にこそできるもの、「自分自身がこの世界でどんな差を残せるのか」が求められる時代になっていく…とも感じています。

どんな差でも、いいのです。そして、世界に対してでもいいし、もっと身近な、自分の周りにいる親しい人たちに対してでもいい。ただ毎日をなんとなく生きるのではなく、「自分は何を残していきたいのか?」に常に向き合うようにすれば、行動範囲が広がり、人生がさらに豊かになると思います。

キャリアも同じで、「自分は社会に対して何を残していきたいのか?」を叶える一つの手段だと思っています。もちろん、仕事をする上での根本には「生活費を稼いでご飯を食べていく」という側面がありますが、プラスアルファとしてこの考えも持っておくと、苦しいことがあっても差を残すために頑張れるようになるでしょう。そして、頑張って壁を乗り越え、実力が付けば、さらに大きな差を残せるようになり、仕事がどんどん面白くなっていく…と私は思います。

EDIT&WRITING:伊藤理子 PHOTO:中恵美子

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