波乱含みの2011年ノーベル医学生理学賞

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サイエンスあれこれ

今回は神無久さんのブログ『サイエンスあれこれ』からご寄稿いただきました。

波乱含みの2011年ノーベル医学生理学賞

そもそも何らかの賞というは、常に万人が認めるその人に与えられるわけでもなく、何か釈然としないものがあっても、まずは素直におめでとうと言うのが、いわゆる大人の対応というものでしょう。ただそれがノーベル賞ともなると、そう悠然と構えてもいられないようです。一夜にして人生が変わる。たとえそれまでどれほど著名な研究者であっても、取るか取らないかで天と地の差がある。それほど名誉な賞がノーベル賞だからです。

今年のノーベル医学生理学賞は、すでに皆さんもご承知のように、その半分が自然免疫の発見に対してJules Hoffman氏(写真中)とBruce Beutler氏(写真左)の両氏に、残りの半分が自然免疫と獲得免疫を結びつける橋渡しとしての樹状細胞の発見に対して、Ralph Steinman氏(写真右)に贈られました。そして今回はどういうわけか、その3人ともが、何がしかのクレームの対象となってしまったのです。彼がもらうのはおかしい。彼よりもっとふさわしい人がいる……うんぬん。

まず最初のクレームは、皆さんもご記憶にあるように、受賞発表の直前に亡くなったRalph Steinman氏に、存命中の者にしか与えないというこれまでの慣例を破って、賞が与えられたことに対するものでした。ただし、これは亡くなったのがほんの数日前だったことから、最終的には存命中の受賞とみなすという解釈になったようです*1。したがって、慣例を破ったわけではないということになります。確かにこのような処置はある意味仕方のないことのように思います。なぜなら、選考段階ですでに亡くなっていたのならまだしも、亡くなりそうだからという理由で選考の候補からはずすというのも、おかしな話なので。

*1:「Ralph Steinman Remains Nobel Laureate」2011年10月03日『Nobelprize.org』
http://www.nobelprize.org/press/nobelfoundation/press_releases/2011/steinman.html

次に矢面に立たされたのが、自然免疫の引き金となるリポ多糖の受容体がToll様受容体4であると同定した*2 Bruce Beutler氏です。というのも、その報告の1年前にRuslan Medzhitov氏とその上司であるCharles A. Janeway Jr.氏(故人:1943-2003)が、Hoffman氏のグループによって自然免疫関連遺伝子として最初にハエで見つけられていたToll遺伝子の、ヒトにおける相同遺伝子としてToll様受容体4遺伝子を見つけ、ヒトの細胞内で自然免疫を活性化することを報告していたからです*3。

*2:「Defective LPS signaling in C3H/HeJ and C57BL/10ScCr mice: mutations in Tlr4 gene.」1998年12月11日『NCBI』
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/9851930

*3:「A human homologue of the Drosophila Toll protein signals activation of adaptive immunity.」1997年07月24日『NCBI』
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/9237759

特に、Janeway氏は、古くから自然免疫と獲得免疫の関連性に着目し、自然免疫の活性化が獲得免疫の活性化に必須であるとの仮説を立て*4、実際に上記論文でそれを実証したと考えられてきたことから、賞の選考における扱いが不当であるとして、26名の研究者による抗議*5 が『Nature』誌に掲載されました。ただ、Janeway氏の場合、先のSteinman氏と比べて、格段に早く亡くなっていたため、その系列の功績は、はなから勘案されなかった可能性があります。同じものを別の角度から、ほぼ同時に見つけたのに、はっきりと明暗を分けた結果となったようです。やはり長生きすることは、発見そのものと同じくらい重要なことのようです。

*4:「Approaching the asymptote? Evolution and revolution in immunology.」1989年『NCBI』
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/2700931

*5:「Nobels: Toll pioneers deserve recognition」2011年11月09日『nature』
http://www.nature.com/nature/journal/v479/n7372/full/479178a.html

最後の受賞者Hoffman氏は、かつての部下から反旗を翻されたようです。Bruno Lemaitre氏は、Hoffman氏の研究室で研究員として在職中、元々ハエの発生突然変異体だったtoll変異体がカビによる感染で死に易いことに気付き、ハエにおける自然免疫に重要な遺伝子であることを発見しました*6。Lemaitre氏によれば、当初研究室の誰も、さらには研究室のリーダーであるHoffman氏すら、Lemaitre氏の研究に全く関心がなく、研究はすべて彼一人で行ったというのです。

*6:「The dorsoventral regulatory gene cassette spatzle/Toll/cactus controls the potent antifungal response in Drosophila adults.」1986年09月20日『NCBI』
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/8808632

彼の主張は、彼の特設ウェブサイトに詳しく書かれていますが、Hoffman氏がこの研究の重要性に気付き始めると、手のひらを返したように、これをグループ全体による成果とし、Lemaitre氏の貢献を正当に評価しなかったという点にあるようです。ただ、これは決して成果を横取りされたというレベルではなく、どちらかというとよくある上司と部下のコミュニケーション不足による相互不信のようにも思えます。まあ、修行時代の成果というのは、上司によって大きく左右されると考え、あまり大きな期待はしないほうが無難ということでしょうか。

*7:Toll and Imd pathways in Drosophila immunity
http://www.behinddiscoveries.com/toll/

以上、今年のノーベル医学生理学賞に隠された悲喜こもごもの裏話をご紹介しましたが、個人的には大阪大学の審良静男氏が選から漏れてしまったことが一番悲しいですね。もし彼が受賞していれば、私はノーベル賞学者と一緒にクレジットされた論文があると、ご近所に自慢できるからです。まあ、クレジットされたといっても末席も末席ですが……すいません。自分が一番器の小さい人間でした。

執筆: この記事は神無久さんのブログ『サイエンスあれこれ』からご寄稿いただきました。

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