【映画を待つ間に読んだ、映画の本】第32回『ゴジラを飛ばした男/85歳の映像クリエイター 坂野義光』〜カルト・ムービー監督にして、ハリウッド・ゴジラの仕掛け人。
●ゴジラだらけの2016年夏。
こんなことは、前代未聞である。目下筆者の周囲は、右を向いても左を向いても「ゴジラ」「ゴジラが・・」「ゴジラの・・」と、とにもかくにもゴジラだらけ。ゴジラの話題が出ない日はない。庵野秀明総監督の新作『シン・ゴジラ』がヒットしていることは確かだが、2年前に公開されたギャレス・エドワーズ監督のハリウッド版『GODZILLA/ゴジラ』の時も、こんな現象は起きなかった。この2年間の間に、特撮ファン、怪獣マニアが急増したのか。はたまたアニメ・ファン、『新世紀エヴァンゲリオン』ファン、庵野マニアがにわかゴジラ支持者になったのか。こちとらもゴジラと聞けば黙っちゃおれんとばかりに、『シン・ゴジラ』を映画館で3回ほど鑑賞し、ネットやメルマガに記事を書いて、便乗商法よろしく微々たる原稿料を稼がせてもらったわけだが、根がひねくれ者だからか、世間がゴジラゴジラと騒ぐほど、自分の熱意は冷めていく。
もういいよ、ゴジラは・・。いささかシラけた(死語)気持ちで書店に入ると、うず高く積もったゴジラ関連書籍の山が。そしてその麓に1冊、ぽつねんと置かれたこの本を見て、俄然興味が湧いた。
『ゴジラを飛ばした男/85歳のクリエイター 坂野義光』坂野義光・著。
え?あの坂野監督の本?以前電子書籍として世に出た本が、このタイミングで紙の書籍となり、新章を書き足した上で再デビューしたらしい。面白そうだ。この本を手にとって、そそくさとレジに持って行ったのは、ハリウッド・ゴジラ=ギャレス・エドワーズ監督の『GODZILLA/ゴジラ』が成立するまでの経緯に興味があったからだ。
実を言うと、坂野監督とは面識がある。2011年の東京国際映画祭で行われたシンポジウムで一緒になり、そこでご挨拶した。当時既にハリウッドで2度目のゴジラ映画製作はオープンになっており、その日本側の仕掛け人が坂野監督であることも公表されていた。こちらとしても、製作決定に至ったプロセスを知りたいと思い「今度、ゆっくりとお話をうかがいたいのですが」と言うと、「話せないんだよ。契約で」と。それはそうだろうなあ。ハリウッド映画の契約書だから、さぞ拘束も多いことだろうと考え、ここは断念した。
●ハリウッド・ゴジラは、こうして実現した。
『ゴジラを飛ばした男』の冒頭に登場する『GODZILLA/ゴジラ』の製作に至るまでの経緯は、そもそもこれがIMAX用の大型映像化を目指して企画されたこと、資金難に見舞われるもののIMAXのデジタル化が急速に進み、坂野監督が2010年3月にレジェンダリー・ピクチャーズのトーマス・タル会長と出会い、レジェンダリーとワーナーの共同製作が決定。坂野の持つIMAX映画化権はレジェンダリーに譲渡し、その代わりにレジェンダリー版『GODZILLA/ゴジラ』で坂野はエグゼクティヴ・プロデューサーを務めることとなる。これに加えて、坂野が最初に東宝から許諾を得た、ゴジラと新怪獣デスラが登場するプロットの顛末など、断片的に類書や雑誌に出ていた事実が、当事者の口から順を追って語られるとあり、「なるほど、それでこうなったのか」と、霧が晴れた感じだ。
●黒澤、成瀬ら巨匠たちから学んだこと。
それよりも面白かったのが、坂野監督がいかにして映画界に入り、今やカルトムービーの座にある『ゴジラ対ヘドラ』を監督するに至ったか。いわば彼の人生が語られるあたりで、黒澤明『蜘蛛巣城』、成瀬巳喜男『妻として女として』、山本嘉次郎『東京の休日』などの助監督に就いた時のエピソードは、往年の撮影所の活気ある映画作りが垣間見えて、すこぶる楽しい。また一方でダイバーの免許を取得し、東宝撮影所に水中撮影班を組織したり、当時大プロデューサーである田中友幸が推進していた大型映像の仕事に絡み、大阪で開催された日本万国博で三菱未来館の総合プロデューサーとして、見事な大型映像を実現する。この仕事ぶりを評価した田中は、坂野にゴジラ映画新作の監督を任せるのであった。
●「ゴジラの次は、ガメラだと思ってね」
以後、高度成長が終焉を迎えた時代に作られた『ゴジラ対ヘドラ』演出上の苦心談、公害問題というテーマの扱い方、アニメーション場面の画をつげ義春にオファーするも断られるエピソード、そしてタイトルにもある「ゴジラを飛ばした」ことで、田中友幸が「二度と坂野には怪獣映画は撮らせない」と、インタビューで発言したことなどが、本書ではリアルに描かれている。『ゴジラ対ヘドラ』の舞台裏を知るには絶好の部分と言えよう。
だが本書は映画監督が人生を語った本と言うよりも、どちらかと言えば技術者としての実績や構想、展望、体験などを語った本というニュアンスが強いように感じる。それは坂野監督の実写劇映画が『ゴジラ対ヘドラ』しかなく、その後はドキュメンタリーや大型映像などに傾倒して行ったことが影響しているからだろう。映画監督の自伝や評伝の類いにつきものの、映画の撮影舞台裏や俳優たちとの邂逅などは、ほとんど出てこない。それでも坂野監督が大型映像への熱意が存分に語られ、その膨大な実績も詳細に綴られているあたり、異色の映画監督伝と言える。
本書は坂野監督が語ったことを、JUKE弘井が構成したものである。昨今この種の、著者以外に「構成」と称する人物がクレジットされる書籍が多く見られるが、本来当事者が「主観」として語るべきところを、構成者の「客観」が入り込むことは、イニシアティヴをどちらがとるかという点からも、あまり好ましくはない。また本書の中に『去年マリエンバッドで』なる珍タイトルの映画が登場するが、このあたり、著者、構成者、編集者の誰も間違いに気づかなかったのだろうか?と、ただただ苦笑。
2011年の東京国際映画祭でお会いした坂野監督から、当時1枚のペーパーを手渡された。 それには彼の経営する先端映像研究所の今後のラインアップとして、数本の企画が並んでいたが、その中に「GAMERA 3D」なるタイトルがあった。
「監督、これって・・」「ああ、ゴジラがハリウッドで3D映画になるから、次はガメラだと思ってね」「(ガメラの諸権利を有する)角川書店の許可は得たのですか?」「いや」。
さて、あの企画はその後どうなったのだろう?
(文/斉藤守彦)
■関連記事
【映画惹句は、言葉のサラダ。】第15回 猫も杓子もスピルバーグ!! だった時代。
【映画を待つ間に読んだ、映画の本】第32回『映画を撮りながら考えたこと』〜テレビの血、映画という筋肉。
【映画惹句は、言葉のサラダ。】第14回 『アベンジャーズ』以降のアメコミ映画の惹句を見ると、微妙な変化が見受けられる。
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。