さまざまな女たちのいさかいと共闘〜朝倉かすみ『少女奇譚 あたしたちは無敵』
“少女”の”奇譚”である。日本においては少女(下手すると幼女)に過剰な価値を付加する傾向があるが、汚れを知らないとされる女子を崇める心持ちは脈々と続いてきたものなのだろう(例えば巫女や斎宮など)。男子の場合も神聖さを感じさせる少年はもちろん存在するが(例えば萩尾望都先生や竹宮惠子先生のマンガの登場人物など)、やはり成長の過程で起こる変化が”胸がふくらむ””丸みを帯びた体つきになる”といったものとくらべて、”ひげが生える””すね毛が生える”では美しさという観点から分が悪いような気はする。
「女の敵は女」と「女の気持ちは女にしかわからない」はどちらも正解で、共存し得る真理だと思っている。本書には5つの短編が収められているが、その中の1編である「カワラケ」の娘と母。初潮を迎えた娘を母親が疎ましく思うという現象はよく聞く話だが、この物語においてもそれは見受けられる。主人公・藍玉は小学校6年生。井垣家の女性たちに特有の「カワラケ」になる年頃だ。カワラケの時期がやって来ると、「おほーばの家」にこもらなければならない。藍玉の母・翠玉もその母も、代々通過してきた道だ。翠玉はおほーばの家を娘のために快適な空間に改装する。そして、カワラケの兆候が出た娘にとっての心のよりどころとなる。しかし、いよいよカワラケが明けた藍玉に翠玉がかけた第一声は…。あるいは「へっちゃらイーナちゃん」の姉妹とその母親。父は小学校教師で、元教え子の母が19歳のときに結婚した。一家の家長である父(母からみれば夫)の機嫌を損ねないように、女たちは自分の気持ちを押し殺しながら暮らしている。危ういバランスで保たれていた家庭の平穏はしかし、母親の入院によって少しずつ歯車が狂っていき、ついに…。
この本で描かれるのは、女同士のいさかいと共闘。もちろん男女の間にもトラブルもあれば助け合いもあるわけだが、同じ性に生まれた者は条件が等しいからこそ違いが際立つ。女同士の関係は、心地よく温かで親密なものであるけれども、同時になあなあで生ぬるく即座に嫌悪に転じる可能性を秘めてもいる。やっかいなのは、いやなら「女とはつきあわなければいい」というものでもないところだ。同性だからこそわかり合えること、支え合えることもたくさんある。たとえ傷つけ合うこともあったとしても、一緒にいることの心強さは計り知れない。そりの合わない女友だち(母娘や姉妹などの家族)は勘弁してほしいけど、気の合う場合は最高というところか。本書ではさまざまな女たちの関係性が描かれるが、それぞれどんな結末を迎えるのか。ぜひ読んでその重みを感じていただきたい。
著者の朝倉かすみはこういった女性の機微を描くにはぴったりの作家。もともとちょっぴりの毒を巧妙にしのばせた作品を多く書かれていると思うが、本書ではその巧みさも苦みもアップしている。ときに残酷さも垣間見えるし面倒ではあるけれど、心優しくて強くもある女という性を、私たちは受け入れて生きていくしかない。くじけそうになったときに少女たちと昔少女だった人々をしゃんとさせてくれるのが、「あたしたちは無敵」という(思い込みと紙一重の)信念なのかも。
(松井ゆかり)
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