「文学者の立場は個人から個人へ向けて言葉を発する行為のみによって支えられる」――丸山健二の「怒れ、ニッポン!」第9回

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※撮影・丸山健二

怒れ、ニッポン!

果たして国家の意図の何が国民に浸透しているのだろうか。それより何より、添え物の観しかない政治家連中のあいだで真実と明晰に富んだ指標が生まれたことが一度でもあっただろうか。耳学問の知識と、言葉倒れの感激と、まだ滅亡にはほど遠い時代への讃美と、偽の愛国の旗印の下にある自尊心のみ。

政治家がまったく信用に値しない連中であることは、首相たちのすべてが官僚どもの作成した、当たり障りのない、それ故に空虚な作文にすぎない所信表明の原稿をそのまま読み上げているからだ。一番大切なことを自分流の言葉で語れず、国民に訴えることができない者にいったい何がやれるというのか。

今回の大震災とそれに伴う原発事故がもたらした激動は、もしかすると終わりの始まりなのかもしれない。結局のところ、国民は立脚点を失い、かなり理不尽な形で死に追いつかれてしまうのかもしれない。こうした途方もなく異常な現実を狂いのない目で見抜ける、際立った才能と性格の持ち主は何処に。

文学者の立場は個人から個人へ向けて言葉を発する行為のみによって支えられ、それ以外のアピールは言葉の重みを損なうことになりかねない。デモのような集団の力に頼るのは、純粋な文学者としての最大の武器を自ら鈍磨させることにもなりかねない。知識人や文化人と呼ばれる人たちはそれでもいい。

日本の支配層は密かに国家の終末と滅亡を願っているのか。かれらのしてきたことと、その結果を見るたびに、そうとしか思えない。かれらは自身をも含めた国民を苦境に陥れるというためだけに知恵を絞ってきたのか。そんな皮肉のひとつも言いたくなるほどの無能者ばかり。いや、目先の欲かきばかり。

戦災にせよ、天災にせよ、その先には必ずや復興という答えが待っている。果てしない苦役のごとき状況からいつまでも這い上がれず、そのまま滅亡の道を辿るということはまずあり得ない。それこそが時間の恐るべき力というものなのだ。だから、その復興を反省抜きで過剰に自慢するのはとても危険だ。

見せかけの経済的繁栄によってさんざん甘やかされてきた人々のすっかり曇ってしまった目にどんなに深刻な現実が映し出されようが、物事の確信や本質に迫ることは不可能だ。かれらが眼下に見ているのは、深刻な悲劇から生じた上っ面の感動もどきにすぎない。彼方に希望を見つけたと言ってみるだけ。

(つづく)

丸山健二氏プロフィール1943 年 12 月 23 日生まれ。小説家。長野県飯山市出身。1966 年「夏の流れ」で第 56 回芥川賞受賞。このときの芥川賞受賞の最年少記録は2004年の綿矢りさ氏受賞まで破られなかった。受賞後長野県へ移住。以降数々の作品が賞の候補作とな るが辞退。「孤高の作家」とも呼ばれる。作品執筆の傍ら、350坪の庭の作庭に一人で励む。Twitter:@maruyamakenji

※原稿は丸山健二氏によるツイートより

丸山健二×ガジェット通信

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