そうだ京都に住もう[中] 会社員を辞め、26歳で猟師になった女性

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そうだ京都に住もう[中] 会社員を辞め、26歳で猟師になった女性

大阪で会社員をしていた20代の女性が、現在は「NPO法人いのちの里京都村」の事務局長になり、京都・丹後を中心に狩猟女子として活躍している。京都市内で生まれ育ち、遊び場も街中だった林利栄子さんが、今では農山村のコミュニティの中に入り、都市部との橋渡しをしている。その経緯と思いを聞いてみた。

大阪でのOL生活が自分に向いていないと感じた

林さんは大学卒業後に、大阪で保険の営業をしていたが、生来、人とすぐに仲良くなってしまう性格で、営業中もすぐにお客さんと仲良くなってしまい、本来の目的である商品を売ることに対して罪悪感を抱くようになってしまったそうだ。

「カタチのないものや人によっては必要がないかもしれないものを売ることが、心の負担になってしまいました」。働き盛りなのに月曜日から金曜日まで「仕事したくないな」と思いながら暮らすのはもったいない。人と仲良くなることが役に立つ仕事をしたいと考えた。

家族に公務員が多く、地元で公務員に転職しようかと考え始めたときに、兄の知り合いである「いのちの里京都村」の理事に出会い、転職を進められた。「NPOが何かということもよく知らず、近寄りがたい存在だと思っていました。ただ田舎が好き、自然が好き、ということで興味を持ちました」。入ってみると、事務局員ではなく、事務局長という立場に驚いた。

2012年に発足した「NPO法人 いのちの里京都村」は、「過疎化・高齢化が進行した農山村の再生」という趣旨に賛同してもらえる都市部の企業を中心に働きかけて、農山村への支援をコーディネート、農山村と都市部の双方の利益に寄与することを目的にしている。林さんはできたばかりのNPOの事務局長にいきなりなってしまったそうだ。

自信をもって鹿肉を売るために狩猟免許を取った

林さんは、イベントでいのちの里京都村で開発した「京都もみじ(鹿まん)」を販売していたとき、子どもに「鹿を食べるのはかわいそう」と言われたことで「食べること」について自分が知らないことが多いと気づいた。「その子にとって、牛や豚は普通に食べられる『食品』だけど、鹿は『動物』だったんですね。当時の私はその子にきちんと説明することができなかったのが情けないと感じました」

鹿の肉を売る立場なら、現状をしっかり知っておかないと自信を持って売れない。京都市内で生まれ育ったので、それまで農山村に関する知識がなかったが「いのちの里京都村」の運営に携わるようになって、増えすぎた野生動物が田畑を荒らし、農山村の人たちが困っていることを知った。「なぜ狩猟が必要か」を自分の言葉で伝えたくて、狩猟免許を取ろうと決めた。

もう一つの理由は、NPO法人の職員は博識な人が多く、いのちの里京都村の理事たちもメディアでよく取材されていた。そんな人たちと比べて自分は何ができるのかと感じていた。「何も特技がない自分が事務局長と名乗るのが重荷でした。私も手に職を身につけ自信を持たなければと思いました。当時は女性猟師が珍しかったので、猟師になるのがいいのではないかと思いました」。知り合いのベテランの猟師に教えを請い、資格に挑戦した。その年の間に「個人で新聞に取り上げられる」を目標にしたら、12月28日に掲載された。ギリギリで目標達成できたことになる。

鹿肉をふるまっておいしさを知ってもらう

実は自分が撃った弾に倒れた鹿をみたときは涙が止まらなかったそうだ。「でも、これが猟師としての役目であり、目を背けてはいけないこと。だから無駄にしてはいけないと思いました」と命の重さを受け止め、食生活について考える活動も始めた。「食品の選択肢が増えて、なんでも簡単に手に入れることができる時代。だからこそ、自分が食べるものについてきちんと知って選ぶ必要があると思います」と語る。そのため獲った肉はすべて自家消費や、獣害や鹿肉に興味のある仲間においしく調理してふるまうイベントを企画している。【画像1】イベントでは会話も弾む(画像提供:林利栄子)

【画像1】イベントでは会話も弾む(画像提供:林利栄子)

猟で獲ってきた鹿肉は衛生面に問題があり、売買してはいけないため、イベントではふるまいとして提供している。それでも毎回多くの人たちが参加するそうだ。みんな「美味しい美味しい」と喜んでくれてリピーターになってくれる。普段食べている肉料理を鹿肉で調理し、もっと身近に感じてもらうことで鹿肉を普及させたいと考えている。「牛肉や豚肉のように鹿肉がスーパーに置かれるようになったらいいですね。鹿肉はカロリーが低かったり鉄分が豊富だったりするので、健康食として認識してもらえれば、カロリーの摂り過ぎが気になる人や、貧血気味の人の選択肢のひとつになると思います」

そうなるまでに重要なのはやっぱり安心して食べてもらえる供給ルートと衛生面での安心だ。現在、少しずつだが食肉加工のガイドラインが作成され始め、それが一般に広まっていけば、鹿肉に対するみんなの常識を変えてくれると期待している。ここ2年~3年でジビエ(野生の鳥獣肉)が盛り上がりを見せ、イベントでも京都もみじが200個も売れたこともあるそうだ。少しずつ状況が変化していると感じている。植物であれ動物であれ、食べ物が何かの命をもらっていると痛感するのにつれて、自分自身も食べ物の好き嫌いがなくなっていたことに、友人の指摘で気づいたそうだ。

京都にとどまらず、山村の魅力を伝えていきたい

林さんは山に入ると、自分も動物の1つだと実感するという。「撃たれた鹿が全速力で走り抜き、池に飛び込み、必死で泳ぐ姿を見たとき、『生きる』ということに感動しました」と話す。「以前は休みの日はお茶や買い物をしてお金を使うことが楽しみでした。今は仕事と遊びの境界線がなくなり、毎日自分のしたいことをしていることが幸せだと感じるようになりました」

現在、京都のみならず兵庫県の農山村にも誘われて仕事の幅を広げることになった。加えて半分は個人事業主として働くことにした。「不安は感じていません。何とかなると思っています。私の幸せは周りの人が幸せになってくれること。そのために何ができるかという考え方がすごくシンプルになってきたと思います」。林さんは初めて会う人でも、たわいのない話ですぐに盛り上がってしまうそうだ。そうやって山村のおじさんやおばさんとどんどん仲良くなっていけるのは貴重な財産だろう。地元でもない地域の人々から「おかえり」と言ってもらえるのが何よりも嬉しいと話す。

2年間の狩猟のインターンを終えて、これからは猟期以外の有害駆除活動にも参加できるようになった。農家民泊や試住など、山村を紹介していく仕事ももっと積極的に取り組んでいく予定だ。「いろいろな人との出会いが私を育ててくれていると思います。NPOの理事たち、Deまちで街づくりを研究している人たち、猟師の師匠、農家のおじさんやおばさんたち等々。空き家や高齢化など、いろいろな課題はありますが農山村部は面白いですよ」【画像2】狩猟では命の大切さを実感する(画像提供:林利栄子)

【画像2】狩猟では命の大切さを実感する(画像提供:林利栄子)

京都のカフェで会った林さんは、一見するとおしゃれな女子だ。しかしいったん仕事の話を始めるとエネルギーに満ちた言葉がどんどん出てくる。「この間は1日で200kmもクルマで走ってしまいました。受け入れてくれるならどこにでも出かけていきますよ」と力強く話してくれた。●取材協力

いのちの里京都村

・Deまち
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