使わないともったいない(small G)
今回はsmall Gさんのブログ『small G』からご寄稿いただきました。
使わないともったいない(small G)
なんで折角時間をかけて習ったものを使わないのかといつも不思議に思います。
これ、何時も嫁さんとも議論のネタになるんですが学校で習得した数学や科学、語学なんかの知識が実生活と完全に乖離しているという誤解。何ででしょうかね?
中学で三年、高校で三年習う英語。小学校から高校までで12年習う算数、数学教育。同様に国語や社会の学習をただテストのためだけに記憶するのであれば、多くの人にとって当然それは驚くほどつまらないものになるでしょう。
例えば言葉は物事を理解するための道具であり、それが外国語であればコミュニケーションの基本として外国の本を読んだり、人と話し合ったり、文章を書いて連絡を取るための基本ツールですし、習得した外国語の数だけ世界が拡がることになります。
数学であれば物事を計量的に見て正しく見て判断するための基本ツールとして人に騙されたりしないためにも、人を説得するためにも無くてはならないものですしね。
やっぱり程度の差こそあれ、数学が出来ないということは世の中で生きていく上で本当に不利だと思います。
家を買う時のローンの計算にしても詐欺師が語りかけてくる時のスキームの嘘の発見も商売をするときの売掛の計算も全て程度の差こそあれ基本的な数学の知識は必要ですし。
国語もありとあらゆる場面で日常的に使われ、その人の”人となり”を表すだけでなく、感謝、反省、挨拶、感想、公文書、読書等々一つでも欠けたら生きていくことが大変になってきます。
理科の延長にある化学も物理も地学も実はそれが解っていれば本当にいろんな場所で”おお!”という瞬間があるのですが、テストのためだけにあると考えたらそれはそれは無味乾燥の・・・となってしまいます。
医者になって実際に仕事する段になって思うのは「本当に」今まで学んできたことは何一つ無駄と思えることはね~な~っていうのが偽らざる実感です。どの科目で学んだことも日常生活で使いますから。
日常の医師という仕事を離れても、車の整備や家の補修などでも普通に使う種々の知識のベースは本当に小・中・高と学んだことの応用ばかり。学校教育は偉大です。
勉強は高校や大学に行くための道具では無いっていうのを子供の頃に具体例を挙げて、未来のイメージをしっかり子供達に焼き付けておかないと、長い時間を過ごす学校というところは面白くもなんとも無いんではないかなって思うんですけどね。
嫁さんとアメリカで時々口論になっていたのはこういうことでした。
今はそういう事も無くなっちゃいましたね。w
執筆: この記事はsmall Gさんのブログ『small G』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2016年6月2日時点のものです。
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