佐村河内守氏の素顔に迫った映画『FAKE』 森達也監督が語るドキュメンタリーの役割とは

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オウム真理教の内部に迫った映画『A』『A2』の森達也監督が、15年ぶりに発表した最新作『FAKE』(6月4日よりユーロスペースにて劇場公開)。本作は、2014年に「ゴーストライター騒動」で話題になった佐村河内守氏を追ったドキュメンタリーだ。

このたび、佐村河内氏の自宅でカメラを回し、当時のマスコミが伝えなかったその素顔に迫った森監督に話を聞くことができた。

先に述べると、今回のインタビュー記事では、「佐村河内氏は耳が聞こえているのか?」「作曲の能力はあるのか?」という質問は森監督にぶつけていない。佐村河内氏、当時の騒動を報道したマスコミ、社会、森監督……その何がFAKEで、何がFAKEじゃないのかは、今作を観た一人ひとりに深く考えてもらいたい。

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――鑑賞後にいろいろと考えさせられる、観た人と話したくなる作品でした。一方で、『FAKE』というタイトルもあって、「これはノンフィクションなのか?」と疑う人も少なくないと思いました。

森監督:もちろん今作に脚本はありませんが、ドキュメンタリーも映像作品なので、そういう意味ではドラマとそれほど変わりはないです。ドラマしか撮っていない黒沢清監督が、「役者にセリフを覚えさせて、それをどう喋るかをドキュメンタリーで撮っている気がする」と以前に何かの媒体で言っていたけれど、フィクションとノンフィクションの境目は常に曖昧です。分けられるものではない。

――ドキュメンタリーにも演出があるということでしょうか。

森監督:辞書で「ドキュメンタリー」を調べると、「実際にあった事柄について脚色を加えずに構成された映像」みたいに書いてあります。ならばそれは監視カメラの映像であって、作品ではありません。僕は被写体に大いに加担するし挑発します。場合によっては被写体から反抗されることもあります。被写体を刺激したり、誘導したり、あるいは自分が誘導されたり、撮る側と撮られる側の相互作用が生まれるのがドキュメンタリーの演出です。

――森監督は、以前から「ドキュメンタリーは嘘をつく」とおっしゃっていますよね。

森監督:確かに言っているけれど、ちょっと微妙です。「嘘」というと「やらせ」をイメージされるかもしれない。それとは違います。ドキュメンタリーに限らず表現は主観であり、その人の解釈なのだと言いたいのです。そうしたニュアンスを表す意味での「嘘」です。『ドキュメンタリーは嘘をつく』という本のタイトルは、編集者が決めました。僕としては抵抗がありました。まあでも今は、このくらい刺激的で挑発的にして正解だったと思っています。そもそも、真実と虚偽は簡単に二分できるものじゃないし、必ずグラデーションが存在する。まさしくフィクションとノンフィクションの境界のように。

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――今回はその対象が佐村河内守さんだったということですね。記者会見前後の騒動をどのようにご覧になっていましたか?

森監督:もともとは、それほど興味がありませんでした。ただ、騒動が過熱していた当時の、真実か虚偽か、善か悪か、敵か味方かなど安易に二分してしまう風潮がとても嫌でした。社会がそれを求めるからメディアも市場原理でこれに応え、結果としてどんどん加速していく。佐村河内さんを撮ることで、その違和感を表明することができればと思いました。佐村河内さんに関しては、メディアが報じるひとつの側面だけを見て理解したような気になっている社会が気持ち悪かった。だから、僕は僕の視点で彼を撮ってみたかったんです。

――映像を観る限り、佐村河内さんが社会に対する不信感を募らせている様子が伺えました。その中で、監督と佐村河内さんとの間に信頼関係があったからこそ完成した作品と言えるでしょうか?

森監督:信頼関係という言葉は安易に使いたくありません。信頼関係がなくても作品は成立しますし、人間関係において100%の信頼なんて存在しないと思います。向こうが僕のことをどう思っていたかも分かりません。佐村河内さん本人に対しては、撮影を開始する時に、「僕はあなたの名誉を回復する気はありません。僕は映画のためにあなたを利用します」と伝えてありました。

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――テレビ番組の在り方について持論を展開する場面がありましたが、この作品はテレビの企画でも成立したと思いますか?

森監督:絶対に無理とは思わないけれど、難しいでしょうね。テレビはみんなが望むことを放送するメディアです。おそらく、この作品にはみんながチャンネルを合わせたいと思わないでしょう。テレビ局の人はそう判断すると思います。さらにテレビの場合は、まず客観性や中立性などが求められます。ディレクターが被写体に関与し過ぎるのはNGです。

でも本当は、客観性や中立性など幻想です。情報はすべて視点であり、それは主観や解釈などと言い換えることができる。ところがテレビを含めて多くのマスメディアは、中立公正・不偏不党のドグマが示すように、これを認めることができない。いま「関与がNG」と僕は言ったけれど、これをより正確に言えば、関与を後から消しているだけです。だって関与しなければドキュメンタリーなど撮れないのだから。さらにテレビドキュメンタリーの場合は、新垣(隆)さんや神山(典士)さん(週刊文春で最初にゴーストライター疑惑を報じたノンフィクション作家)にインタビューする場面が必要になるでしょうね。中立を装わなくてはならないから。映画では彼らに出演を断られましたが、今作は佐村河内さんのドキュメンタリーであってジャーナリズムではないので、僕は必要ないと思いました。まあもっと直截に言えば、興味がないから撮りません。

――今回の騒動の発端となった週刊文春を始めとする“日本的なジャーナリズム”の在り方については、どのようにお考えでしょうか。

森監督:そういった報道は昔からありました。でも、週刊誌が報じるスキャンダルに対して、昔はここまで大騒動になっていませんでしたよね。つまり「水に落ちた犬は叩け」的な気分がとても強くなっている。これは高揚するセキュリティ意識と併走して起きる現象です。社会全体の「標的を探したい」という欲求が飽和してきているから、メディア側も視聴率や部数のためにそれに応じているように思います。

――ネットの発達もその要因のひとつだと思われますか?

森監督:既成メディアの競争原理が結果として煽られますからね。さらに要因としては、ネットというよりも“匿名性”です。東アジア全般がそうですが、日本は特に匿名掲示板の影響力が強い国らしい。以前オランダの社会学者から、「日本人はなぜ匿名のコメントにこれほど興味を示すのか」と訊かれました。「人生は短いのに、匿名の情報なんて読むひまがない」とも。確かにそう思います。

――監督ご自身はネットのコメントなどをご覧になるのでしょうか。

森監督:僕は結構チェックしてますよ。東日本大震災を題材にした『311』が公開された時にはさんざん酷い言葉を書かれました。特に気にしてませんけど。もちろんネット上で炎上するのが目的ではありませんが、少しくらいは荒れないと作品を発表する意味がないですよね。

――今作も観た人同士で話題が尽きない作品だと思います。本日はありがとうございました!

映画『FAKE』劇場予告編(YouTube)
https://youtu.be/GTrgVI-mDdA

映画『FAKE』公式サイト:
http://www.fakemovie.jp/

(C)2016「Fake」製作委員会

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よしだたつき

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PR会社出身のゆとり第一世代。 目標は「象を一撃で倒す文章の書き方」を習得することです。

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