「ジョブズはあえてリスクをおかす人だった」 孫正義×ルース大使 対談全文(前編)
先日亡くなったアップル創業者スティーブ・ジョブズ氏と「一緒に仕事をしたことがある」という共通点を持つソフトバンクの孫正義社長と米国のジョン・ルース駐日大使が2011年10月15日、対談した。これはアメリカ国務省のwebサイト「ConnectUSA」が主催するオープンキャンパス「時代を創る二つの作法vol.2」で行われたもの。海外留学や起業をテーマにしたこの対談で孫氏は、若い頃、ジョブズ氏が「『Apple II』を発表し、まさにヒーローになろうとしている」現場に立ち会った興奮を語ると、ルース大使はジョブズ氏と同じ年齢で、シリコンバレーで同社が成長する様子を目にしたと述べた。ルース大使によると、ジョブズ氏は「大きなビジョンを持っており、『あえてリスクを冒す』人だった」という。
以下、対談を全文書き起こして紹介する。
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http://live.nicovideo.jp/watch/lv66635936?po=news&ref=news#0:11:07
■日本では海外留学する学生が減少傾向
司会: それでは、大変お待たせいたしました。いよいよトークセッションのスタートです。さっそく登場してもらいましょう。1980年にスタンフォード大学法科大学院を卒業後、カリフォルニアのシリコンバレーで25年に渡り弁護士として活躍。数々の革新的な企業をサポートし、全米最大のハイテク専門法律事務所のトップも務めました。2009年8月に駐日アメリカ大使に就任。着任してからこれまでに全国40の都道府県を訪れ、去年8月にはアメリカ政府代表として初めて広島平和記念式典に出席しました。東日本大震災の後は被災地を何度も訪れ、アメリカによる震災対応の先頭に立っています。「日本の若者たちにグローバルな視野を持ってもらいたい。それこそが日本の未来とこれからの日米関係の鍵を握ると信じています」。皆様、大きな拍手でお迎えください。ジョン・ルース、アメリカ合衆国大使です。
会場: (ルース氏登壇。拍手が起こる)。
司会: :続いて、もう一方ゲストをお迎えしましょう。佐賀県生まれの福岡育ち。16歳の時に単身アメリカに渡り、1980年にカリフォルニア大学バークレー校を卒業。翌年、現在のソフトバンク株式会社を設立します。94年に株式公開。96年には「Yahoo!JAPAN」を設立し次々とビジネスを展開していきます。そしてインターネット接続サービス「Yahoo!BB」、更には携帯電話事業にも進出し、iPhoneの販売にいち早く乗り出すなど、IT業界の変革の中心となってきました。現在は、東日本大震災の被災地復興支援にも力を入れて取り組まれています。それでは皆様、大きな拍手でお迎えください。ソフトバンク株式会社代表取締役社長・孫正義さんです。
会場: (孫氏登壇。拍手が起こる)。
ジョン・ルース氏(以下、ルース): まず、私の方から開口一番、こちらから孫正義さんに今日お越しいただいたことを本当に心から御礼申し上げたいと思います。これは稀なイベントでありまして、あまりこのような場に出ていらっしゃらないと思いますけれども、私にとりましてもアメリカ政府としても、この「ConnectUSA」のイベントに参加して下さったこと、本当嬉しく思います。まず、孫さんに対しては福岡ソフトバンクホークスの優勝を称えたいと思います。私のチームでありますサンフランスシスコ・ジャイアンツは、残念ながらとてもそこまで行けなかったので、代わりにソフトバンクホークスを応援しております。今日話される内容として海外留学、そしてアントレプレナーシップ、そして東北地方の復興において、とりわけ若い人たちに対して何ができるかというのは、まさに孫さんがロールモデル(ひな型)となりますので、ご自身がここにいるというのは本当に意義あることであります。またMC(司会)の方にマイクを戻したいと思います。非常に活発な会話ができることを楽しみにしています。
孫正義(以下、孫): ありがとうございます。私も楽しみにしています。
司会: それでは、ここからお2人の対談を3つのテーマに沿って進めて参りたいと思います。1つ目のテーマは「海外留学」です。今回のイベントでは会場にお越しの皆さんに、事前にアンケートを行いました。まずはその結果からご紹介したいと思います。「留学経験はあるかどうか」という質問に対して、このような結果となりました。「経験がある」31%、「留学経験は無いが興味はある」63%、「考えたことはない」6%となっています。「経験はないけれども興味はある」という人もかなり多く、「経験ある」という人と合わせると9割を超えるという結果になっています。ご自身もアメリカ留学の経験がおありの孫さん、この結果をどんな風にご覧になりますでしょうか。
孫: 私は驚いております。今日のお客様の中に、これだけ関心度が高いという結果が、海外留学に関して出ました。ただ悲しいと思うこともあるんです。というのもこれ(スクリーンに映し出された表)をご覧ください。ある調査の結果なんですけれども、日本の学生で海外留学をしている人数が相当減ってきている。特に、中国・韓国の留学生と比べて減っているということを指し示しております。これは1つ心配の材料だと思います。日本の若い世代の方々が、もうそこまで海外留学をしたいという積極性が無いということです。そういうことは大使、顕著ですか。
ルース: はい。非常にこのトレンドというか趨勢は落胆するものであります。この数年の間を見てまいりますと、日本の学生がアメリカに留学のためにやってくる数が非常に落ち込んでおりますので、この問題に非常に深い関心を持っております。この表を見て示されているように、中国・韓国・インドそして多くのヨーロッパ諸国からの留学生は非常に増えているわけです。
孫: では、そのアメリカがもうエキサイティングでない国になったという魅力が無くなったわけではなく、日本人が海外留学の情熱を失っているということですか。
ルース: 日本の各地を巡って、そして大学に訪れているんですけれども、学生は非常に深い関心を持っております。彼らとしても、いわゆるグローバルな視点でもって考えるための動機付けというのがあると思います。ただいくつかのハードルがあって、それらがあるために海外留学をしようという非常に大きな決断を下すことがなかなかできないでいるということだと思います。その話には今夜突っ込んで入っていきたいと思いますけれども、私どもの今日ここに参加されている方が、孫さんご自身どのようにして海外留学をするという決断を下したか、どういう影響があったかお話ください。
孫: それでは、私について少しお話をしましょう。もう少し髪の毛があった時の写真ですが・・・。
会場: (スクリーンに若き日の孫氏の写真が映し出される)。
ルース: 私、今日はここでは見せませんけども、私ももっと毛がある写真はありますよ。
孫: これも同じようなルックスがあったという1つの共通項でしょうか。この写真は私が16歳の時だと思います。アメリカで勉強する前にちょうど韓国を訪れたんですね。私の祖母と共に韓国に行ったと。あれは初めて韓国に足を踏み入れた時のことです。もちろんアメリカも見たかった。そして私の先祖の血というものを見てみたい。それを海外留学、アメリカで留学して勉強する前に見てみたいと思ったんです。しかし私にとって、この若い学生という立場で外の世界に何かがある、外国に違う文化、違う言葉、ライフスタイルもまったく異なる、すべてのことがエキサイティングで楽しみなものでした。私が見るもの感じるものすべて、日本のものは普通のものだったのですから、普通とは違う変わったものが、私の脳に私の考え方に刺激となるわけです。私の生き方だとかビジョンに大きな刺激を与えてくれる、開眼するような体験だったと思います。
ルース: 当然、全然生活が変わったわけですね。人生変わったんですね。
■「プーチンとも英語でしゃべった」英語は交流のためのツール
孫: そうです。海外留学、アメリカで勉強しなかったらまったく違った私になったと思います。いま今日のここに私はいなかったと思います。何らかの刺激をもらった。私の人生の方向というものが変わった、非常にエキサイティングなものになったと思います。つまり「英語を勉強する」だとか「大学で教科書を開いて勉強する」、そういうことではないんです。私の状況というものが変わったんですね。
ルース: これは、私が多く言ってきていることでありますが、私は学生時代、まったく違う決断を下しました。私はとにかく、「これこそ自分の進む道」だと思っていた道を邁進するために、海外留学をする時間が無いという風に思ったわけであります。今から大学時代を振り返ってみると、本当に最大の間違いであったという風に思います。
孫: 大学で勉強し過ぎたんですか、大使は。
ルース: いや、勉強し過ぎていたというわけではありませんけども、いろいろな文化、違った異文化を経験したり、そして外国に旅行するということをあえてしなかったと。私の妻スージーは、やはりスタンフォード(大学)に行ったわけですけども、その時に彼女はイタリアまで旅行しておりますし、彼女は「大学時代において最も素晴らしい経験だった」と言っております。また私が大使として着任した時に、息子が「日本の高校に行く」と来ました。彼はその時17歳でした。
孫: そういう時こそ、一番まだ頭が柔らかいんですよね。
ルース: そうです。とにかく、(息子は)まず最初に日本が大好きになりました。そして今大学生ですけれども、カリフォルニアで勉強しているにもかかわらず、夏のあいだはアルバイトをしに日本に戻ってきて、そして大学では日本語のクラスを取っております。本当に彼の視野というものが非常に広くなったわけであります。誰であったとしても、単にそのチャンスがあるというだけではなく、しかも「やってやろう」というその気持ちがある人は、ぜひともそうやってほしいと思います。
孫: 先ほど大使は、海外に留学する時間が無いんじゃないかと思われたと仰っていましたが、ただいったん仕事を始めてしまうと、もっと難しくなりますよね。自分の生活を突然変える、海外に行くというのは難しくなってしまいますよね。
ルース: ただアメリカ大使として就任しない限りにおいてはですね。
孫: そうですね。ただ高校生の時、あるいは大学生の時、正式に就職する前。やはりそれが決め手になるということもありますよね、仕事が決め手になってしまう。仕事を決めてしまうとそれでもう、1つコースが決まってしまう。でもその仕事に就く前であれば、360度自由があるわけですよね。どういう道を進んでも良い。360度自由と。そして海外に行っても、まったく違った環境に入れば、本当にまさに目が覚めるような思いをすることになると思います。そして違う考え方を持ったりすることができるんだと思います。
ルース: そうですね。いろいろな経験を持つということも大切ですけれども、同時にまったく同意されると思いますが、この時代、私どもはともかくグローバル化された世界に住んでいるわけであります。孫さんもそう思っていると思いますが、とにかく世界から自分を遮断することはできません。どの国にいたとしても同じことが言えるわけであります。現実には、より異なった文化を経験すればするほど、それだけ自ら強くなるわけです。最初に就職した時でもその後でも構いませんが、とにかく競争力が付きます。
孫: グローバル化と今仰られましたが、私にとってアメリカに留学をしてそして英語を学ぶというのは、これはただアメリカを見るための体験、英語を学ぶためだけの体験、アメリカでライフスタイルを体験してそれを学ぶというだけではなく、まさにグローバル化に道が開かれたんだと思います。例えば、中国の方、あるいはイタリアの方、あるいはフランスの方、あるいはロシアの方ともお話をするに当たって、やはり英語を使ってコミュニケーションをします。ですので英語というのは、イギリス人やアメリカの人とのコミュニケーションツールというだけではありません。これは、やはりどこの国の人であっても世界中の人とのコミュニケーションのツールなんです。良いか悪いかはともかくとして、それがデファクトになっています。
ルース: まったくその通りです。時には私やはり英語圏から来ているので、私がそれを言うのは難しいんですけれども、代わって言っていただいて本当に嬉しく思います。ただいずれにしても、私もそのことについては触れます。実際これが現状であります。英語を話すからと言って、それぞれの国の言語の美しさ、また文化、異なった言語、英語以外のものを学ぶ時の良さというものが損なわれるわけでは決してないわけでありまして。いまこの時代に住んでいた時、世界を見回してみると、やはり世界中のいろいろな人たちとコミュニケーションを図らなければならない時には、英語が最も簡単なコミュニケーションの方法であるということが言えると思います。
孫: 私が初めて(ロシアの)プーチン(現首相)さん、ロシアの方とお話をした時も英語でしゃべったんです。
ルース: プーチンさんと話をした時に、英語でしゃべったんですか。
孫: プーチンさんと話したのは私が日本人としては初めてだったと思います。実は彼がロシアの大統領になる1週間ぐらい前の話でした。
ルース: ちょっと質問があります。英語を会社の中でどのように使っていますか。
孫: 私は別に英語でしゃべれと、日常生活を英語で過ごせと言っているわけではありません。ただ私たちはやはり海外のビジネスパートナーとビジネスをしていることも多いので、例えばいろいろな設備などを買ったりする時に、ヨーロッパの企業ですとか、アメリカの企業、中国、それから韓国の企業とも取引をしていますので、やはり英語が共通語として使われています。ですからグループ企業の中では日常の言葉として英語を使っています。
ルース: 孫さんは日本がどういう形で英語の教育、英語を教えるべきかということはお考えがありますか。
孫: 私が中学生だった時、日本で中学校に行ったんですが、学校の先生たちは英語の文法を教えてくれたんです。あるいは英語の書き方やつづりですね、それを主に教えられました。英語の文法というのはあまり意味がないと思います。やはりボキャブラリー、語彙ですとか、それから発音ですとか、コミュニケーションの仕方が大事だと思うんです。ですので、日本での英語教育というのはやはり文法ですとか、つづりに偏りすぎていると思います。別に今はつづりなんてちゃんと知らなかったとしても、スマートフォンがただしてくれます。英語のつづりが間違っていたら、それをスマートフォンが正してくれます。
ルース: 新しいスマートフォンで今さっき見せていただいたのは、ただ話さえすればいいんですね。
孫: そうです。新しいiPhone4Sですね。話しさえすればそれで認識してくれます。
ルース: 私、古いiPhoneを持っておりまして。でも、これでも十分です。
■「ジョブズも成功してばかりではない」
孫: コミュニケーションのツールとしてやはり(英語は)大切なんだと思うんです。ちょっと他の写真といいますか、スライドをお見せしたいと思いますが。
こちらは私の人生を変えた写真とも言えます。これはコンピューターサイエンスの雑誌からの1ページなんですけれども、ざっとこの雑誌を見ている時にこれを見つけたんです。私がちょうどアメリカで学生をしている時のことでした。これが何なのか、当時は知りませんでした。それで次のページを見ると、これが本当に初期の頃のマイクロプロセッサーの写真であることがわかったんです。本当にびっくりしました。というのも当時のコンピューターというと、ものすごく巨大なものだったんです。ところがこれは非常に小さいものなんです。爪ぐらいの大きさなんです。海外で、アメリカで学んだ。そしてアメリカは日本よりもコンピューターサイエンスでは進んでいました。ですから、これで本当に目を開かされた、新しい技術の世界に道が開けていったという気がします。
こちらは、やはり私の学生時代の写真なんですが、コンピューターがたくさん背景にあります。これはUCバークレーの時のものですが、ローレンス(・バークレー国立)研究所ものなんです。実はこれは原子力関係の研究所ですね。いまは原子力、あまり好きとも言えませんが。
ルース: その話には入らないでおきましょう、今夜は。
孫: そうですね。とにかくこの写真、そこで勉強していた時のものです。周りの科学者たち、彼らは最初のプログラマー、それからマイクロコンピューターチップのデザイナーの方々です。ですので宇宙関係の研究所にも行きました。これもやはり学生の時の写真ですが、コンピューターのショーに行った時のものです。サンフランシスコでのトレードショーでした。確かアップルが、スティーブ・ジョブズが製品を発表したすぐあとだったのではないかと思います。「Apple II」を発表したあとだと思います。IBMのPCが導入される前のことだったと思います。それで私は本当に新しい生活の仕方、新しい技術が始まるんだなとまさに感じました。スティーブ・ジョブズは悲しいことに亡くなってしまいましたが、ただ当時も彼は本当に、まさにヒーローになろうとしているところだったんです。
ルース: スティーブ・ジョブズは、とにかくこれは孫さんも私も同じだと思いますけれども、非常にスティーブ・ジョブズと近しい友人だったと思います。私とスティーブは同じ年齢で、しかも職業人として彼がちょうどシリコンバレーでだんだん大きくなっている段階で会っておりました。本当に素晴らしい人であり、大きなビジョンを持った人でありました。しかも「あえてリスクを冒す」という人でありました。本当にこのグローバル化を心から理解している人でありました。
孫: そうですね。大使たちの時代というのは黄金時代ですよ。
ルース: (私たちは)年齢がそんなに違うんですか、何歳ですか?
孫: 実際は2歳年下になりますけれども。大使の年齢、そしてスティーブ・ジョブズさんの年というのは、(マイクロソフト創業者の)ビル・ゲイツさんもそうですが、サン・マイクロシステムズのビル・ジョイ、こういった方々は皆さん同い年ですよね。それで私は2歳年下なんです。でも私は2年飛び級をして大学に入っていますんで、同じ学年だったんですね。大学1年の時に皆さん同学年だった。マイクロプロセッサーが導入されたまさにその時代ですし、こういった若手の学生、彼らが本当にこういったものに情熱を持って趣味として追求する人もあれば、大学を中退して起業する人もいました。
ルース: ただ私どもは、その大学を停学するのではなくて、ここでは海外留学を促進するために来ているわけですから。
孫: でも若い頃というのは、こういうのが楽しくなるわけですよね。
ルース: そうです。若い時にはリスクを冒して、そしていろいろなことをやってみる、試してみる。いったい人生がその後どこに進んでいくかわからないからです。
孫: またすごいなと思うのは、我々が学生時代、このマイクロプロセッサーの創成期だったPCがまさに生まれてきたという時代です。その後、インターネットというものが導入されると、革命的な企業というのが(出てくる)。学生たちが起業していたわけですよね。
ルース: 今でも同じですね。
孫: そうです。マーク・ザッカーバーグ、Facebookを創りました。Yahoo!の(元最高経営責任者)ジェリー・ヤン。そしてGoogleも2人の共同創設者がいます。みんな学生時代に起業をなさっている。アメリカではそういったチャンス、機会が沢山ありますよね。エキサイティングなアイデアがあれば、ベンチャーキャピタリストが資金を提供してくれますし、そして支援をしてくださる。例えば経営のスキルなどに関してですね。
ルース: 次のこの起業のお話に話がいずれ行くんですけれども、ここにスティーブ・ジョブズ自身の示した大きな教訓があると思います。彼の生涯を振り返って、その哀悼の意を多く表明されているわけですけれども、彼は非常に大きな成功をおさめた人生でありました。しかもビジョンを持った人でありました。ただ日本の各地において、私が話してきたことは、リスクを冒したならば失敗しても構わないという気持ちでなければいけないということであります。
シリコンバレー、私が来たところは、失敗というのは決して失敗と見なされないわけであります。むしろそれはそこから学ぶための経験であると見なされるわけです。実際スティーブ・ジョブズの人生、そしてキャリアを見てみると、必ずしも成功してばかりではありません。(彼は)アップルを始めた創設者ではありますけれども、アップルからクビを切られているんです。そしてそれに対して、スタンフォード大学の卒業式で、数年前に彼が卒業生に対して話した中において、それこそ過去を振り返ってみて自分の人生の中で最も素晴らしいことであった。その結果として自分の人生の中で最もクリエイティブな時期に足を踏み入れることができたということで、アップルをクビになった後、やはりネクストコンピューターを始めたんですけれども、これも大きな成功をおさめませんでした。
その次に(アニメーション・スタジオの)ピクサーを始めたわけです。多くの者たちが「彼はちょっとクレイジーじゃないか」と思ったほどです。ところがその結果『トイ・ストーリー』が生まれて、彼はアップルに再び呼び戻された。あとは皆さんの周知の通りです。スティーブジョブズの人生というものは単に「自分の夢に沿って生きろ」「大きなリスクを起こせ」ということだけではなく、必ずしもいつも成功するわけではないが、その失敗から学ぶことができ、その結果としてさらに強くなることができるという手本でもあるのです。
孫: そうです。私はスティーブ・ジョブズさんをアップルの一番最初の段階から存じ上げているんですけれども、我々業界人にとっても非常にビッグな方でした。そのあとは苦しい時代がありました。アップルから追い出されてしまう。自分の会社から追い出されてしまうんですから、それは一番辛い時期だったと思います。その時に私も一番近い関係になりました。彼のお宅にお邪魔をしたり、彼が私の家に来てくれたり、いろんな話をしたものです。インターネットのビジョンだとか、次のITは何だとかいう議論を交わしました。
ここで言えるのは彼がアップルに復帰を果たした時、「これはスティーブ・ジョブズの2.0だ」と私は呼んでいました。より深く考え抜いていらっしゃった。自分自身をもっと訓練し、もっと大きなスティーブ・ジョブズになった。生まれ変わっていたように思いました。ですからこれだけの困難というものによって、自分がもっと大きな人間になるし、もっと強くなるということ、それが重要なのではないかと思います。ただ日本でよく見られるのは、1回失敗をしてしまうともう「負け犬」とレッテルを貼られてしまう。それが危険なんです。
ルース: それは徐々に変わってきてるんじゃないかと思います。そう願っております。また、それは本当に大切だと思います。常にアメリカにおいて、とにかくアントレプレナー(起業家)をひとつのロールモデルとして見上げているわけです。孫さんもロールモデルです。そしてその他の非常に成功した起業家が日本にはまだいます。アメリカでの成功、シリコンバレーが成功したのには理由があります。それがスティーブ・ジョブズであろうが、マーク・ザッカーバーグ、その他の者であろうが、多くの人たちがとにかく最初に夢を持った。そして大きな夢を抱いて、リスクを冒して起業をしたわけです。
■「私のクライアントの75%から85%は成功しなかった」
ルース: 最初(の話)に戻りますと、とにかく失敗したからと言って成功しないからと言って、「×(バツ)」をつけてしまってはいけません。私は25年間弁護士としてシリコンバレーで活動してきました。おそらく私のクライアントの75%から85%は成功しなかったと言っても過言ではありません。しかし、そのシリコンバレーがシリコンバレーであるゆえんは、今も成功し、しかもアメリカにおいて非常に経済状況が難しいのにも関わらず、シリコンバレーは今でも新しい会社が起業され立ち上げられていることです。そこで新たなる雇用が創出され、そしてまた世界中にコネクションができるわけです。
シリコンバレーはどちらかと言えばもうバーチャル化しているわけであります。協力体制というものが、例えば英語の話にもつながって、グローバリゼーションの話ともつながるんですけど、バーチャルな世界においても、国境を越えて成功しているわけです。失敗というのは失敗ではなく経験として受け入れるべきだと思います。
孫: そうですね。それが重要だと思います。アメリカの国内においても、もちろん保守的な文化の地域というのはありますよね。カリフォルニアというのは、どちらかというとオープンでチャレンジ精神がある。つまり「カウボーイ・カルチャー」とでも言いますか、そういう地域だと思います。
ルース: 「カウボーイ・カルチャー」とは呼びませんが。
孫: ガンマンがこうやって拳銃を出すとか。
ルース: ええ、もちろんそれもリスクを冒すことだと思いますけれども。頻繁に人から聞かれるのは、「シリコンバレーのレシピは何なのか」ということです。これをそのまま他の国で模倣するのは難しいという風に思われているようですけれども、シリコンバレーは1つのシンボルなのです。実際の物理的な場所でもありますけれども、アメリカの中を見ますと、テキサスのオースティンだとかワシントン州のシアトル、マサチューセッツのボストン、またバージニアのレストン、いわゆる全米を通してそのような場所があって、今やそれが世界中いたる所で「シリコンバレー」が存在しているわけであります。
孫: そうです。チャレンジ精神ということですよね。起業家精神がある。そして多くのハイテクの企業、こういったところだと思います。これが大切だと思います。こういう文化があるということ自体が大切です。最近、韓国、台湾、中国もこういったシリコンバレー型の精神というものが広がっていると思います。日本に関しては、非常につらい困難な時期に入りますと、どちらかというと保守化してしまう、それは良くないと思うんです。もっと挑戦の精神を持ってもっと活発になるべきだと思います。
ルース: まあ頻繁に聞かれることでありますが、では日本の未来はどうなのか、いわゆる起業家主義という観点から日本の将来はどうか。段々それは高まりつつあると思います。若い人たちも若くない人たちも本当にめざましい素晴らしいアイデアを出し合っているわけであります。もともとこの国はとにかく協力して連携することを知っている国であります。そして、技術的にも非常に洗練された国であります。
孫: そうですね。賢い人たち、心温かい人たちがいます。意識も高いですし、ちょうど2000年頃でしたが「インターネット・バブル」と言われた時、日本の若い人たち、まさにシリコンバレー型の人間が沢山いました。ネットバブルがはじけたあと、多くの人達がどちらかといえば保守化してしまったという傾向があると思います。でも1つ何かきっかけがあれば、1つ成功例が出てくれば、この文化はがらりと変わると思うんです。そこにチャンスがあると思うんです。
ルース: 日本はどういう風にしたら、いわゆる起業家だとか起業家主義というものを敬うことができると思いますか。どういうことをすればそれが促進されるでしょうか。
孫: たぶん日本のマスコミがまだ古い社会の人たちにコントロールされている、古い世代の人たちに管理されているのだと思います。ただインターネットはもっとオープンになって、若手世代の方にシフトしてきていると思います。そしてまさにインターネットは大きく成長しています。ですので、そういう起業家精神あるいはファイティングスピリットというものは、インターネット上でもWEBページでもあるいはそこの情報でも、多くの人たちの目に触れるようになると思います。あるいはソーシャルネットワーキングやツイッター、Facebook、そういうところに見られると思います。こういうものでまさに人々の目が開かれるようになるんじゃないかと思います。私は期待はしています。
ルース: 私も希望を持っています。
孫: さきほど話をしていたんですが、東北地域の人たちを助けるためにも、若い学生たちにチャンスを提供したいと思うんです。中学生とか高校生、あるいは大学生などの若い学生たちに、もしアメリカに関心がある、その他の国々で学びたい、英語を学びたい、違った世界を見たいという人がいるんだったら、彼らをサポートしたいと思います。
ルース: 常にそれに関しては2人で話しておりますので、絶対そうしたいと思います。今まで大使館、アメリカ政府において力を入れてきた「トモダチ作戦」というのはご存じだと思います。これは日本が直面した3月11日の大震災の悲劇に対する、アメリカとしての小さな貢献でありました。単に政府だけではなく、アメリカの全国民が心から本当に悲しみを感じ、同時に感動しました。
そしてまた日本の人々の力強さ、そして東北の被災地の皆様方の苦難から立ち直ろうとする力にインスピレーションを受けました。東北の人々、また日本人全体が、本当に私どもの心を揺るがしたわけです。「トモダチ作戦」のあとも、何とかして引き続き貢献したいと思ったわけです。そこから生まれたのが「TOMODACHI」というプロジェクトの構想でして、「トモダチ作戦」の続編とも言うべきものです。私共の意図するところ、達成したいと思っていることは、人々に、取り分け若者に投資したいということです。願わくはこれが単に東北地方に限定されるのではなく日本全国に広がる(ことを)。そしてこのプロジェクトへの孫さんの非常に寛大なサポートのおかげで、日本からアメリカにもっと日本人留学生を増やそうという、その意味において大きく語りかけることになります。
孫: 今日いらっしゃる方々に聞いたところ、大体3分の1ぐらいの方々に海外留学経験があったわけですが、その他の人たちも「本当は海外留学に関心がある」という結果が出ました。関心があるならば財政的にも支援ができると思いますし、金銭面でのサポートだけでなく、学生ビザを取ったり、どんなプログラムに入るかといった手続き、その辺りもお手伝いできると思います。
■孫正義氏の父「私に100万ドルくれないか?」
司会: ちょっとここでツイッターからの質問を1つご紹介させていただきたいと思います。「学生からの起業が多い」という話があったのですが、遅咲きの起業についてはどのようにお考えでしょうか。孫さん、ルース大使、いかがでしょうか。
孫: 心が若ければ、精神が若ければ、体の年齢は関係無いんです。マクドナルドの創設者、アメリカの方ですが、彼は確か企業を始めたのは65歳の時だったのではなかったかと思います(編集部注・創設者がマクドナルドのチェーン化に着手したのは50代)。ですので心が若いこと、それが一番大切なことです。歳を取るとともに、気持ちもどんどん歳を取っていってしまうのは良くないことです。気持ちは常に若く持たなければならないと思います。
ルース: まったくその通りだと思います。若者がリスクを冒して大きな夢を抱くという話をしてきたわけですが、私のキャリアで出会った多くの起業家のなかには、もっと年齢が上になってから始めた人たちもいます。どういう理由があったにせよ、突然エキサイティングな素晴らしいアイデアがあってその段階で起業した、ないしは勤めているところが面白くなかった、あるいは自分がやっていることには満足しているけれどもさらに新しいことを経験したいといった風にいろいろな理由から、若くなくても起業すると思います。私は、決して若い人以外を「例外」として除外するつもりはありませんでした。
孫: 実は今年のはじめ、父にこう聞かれたんです。「正義、100万ドルを私にくれないか?」と。真面目に聞かれたんです。そこで私が「お父さん、なぜ100万ドルも要るのか?」「お父さんですから、お金が必要だというのであればもちろん助けられます」と言うと、父は「いや、お金が必要だというわけではない。会社を始めたいからほしいんだ」と言いました。実は父は74歳なんです。どんな会社を始めるのかと聞くと、「インドで起業する」と言うんです。私は「えっ?」と聞きました。「インドの言葉は全然わからないし、英語も話せないじゃないか。友達もインドにはいないじゃないか。なのにインドに行って会社を始めるって?」。すると父は「そう。正義、お前はわからないのか? インドは成長するんだよ。お前も起業をして中国で事業を始める、そういう賢さはあったけれども、当時の自分にはそれは無かった。でもいま、今度はインドだと思っている。だからやるんだ。」と。
ルース: 100万ドルをお父さんに差し上げたんですか? 投資して。
孫: いえ、「家で大人しくしていてくれ」と説得しました。ずいぶん怒っていましたけど。本当にインドで会社を始めたかったみたいです。とにかく父のそういう考え方は本当に尊敬しています。お金は必要ないのだと。お金は十分ある。精神的なところですね。その年齢で、しかも海外で新しいことを始めようという。インドでの事業の経験がまったく無いのに、そういう気持ちを持っていることが素晴らしいと思います。
司会: ありがとうございました。起業への関心というのは年齢に関係が無いということですが、そのあたりを会場の皆さんへの事前アンケートでもうかがっています。アンケート結果をもう1つご紹介したいと思います。「起業を考えたことはありますか?」という質問に対して、このような回答をいただきました。「ある」10%、「検討したことがある」51%、「考えたことはない」39%、半数程の方が検討はしたことがあるということなんですね。
そしてもう1つ、アンケートの質問で「アメリカ人の中で理想とする経営者やリーダーは誰ですか?」とお聞きしました。おもな答えが(スクリーンに表示された結果を指して)こちらなのですが、例えばリンカーン大統領ですとか、Google創業者のラリー・ペイジ、さらにウォルト・ディズニー、オバマ大統領など。そして(表示された)字が大きいほど回答が多かった人物なのですが、ビル・ゲイツ、マーク・ザッカーバーグ、(ゼネラル・エレクトリック元会長)ジャック・ウェルチ、そしてなかでも断トツで多かったのがこの人なんですね、やはり。(スクリーンに大きく「Steve Jobs」の名が表示される)圧倒的な多さでした。お2人ともジョブズさんとは大変交流が深かったということですが、ジョブズさんが亡くなる前に行ったアンケートにも関わらず、このような結果が出ました。孫さんはこの反響の大きさをどの様に思われますか?
孫: これは私も皆さんに賛同します。同じ意見です。500年後、人々は彼を記憶し尊敬し尊重する。この方は、今よりももっと尊敬を集めるでしょう。もちろんほかにも尊敬される有名な方、裕福な方、成功した方は今日沢山いらっしゃいます。50年前、100年前にもいらっしゃるでしょう。しかし記憶にはずっとは残らないんですよね。時代がどんどん変遷し、忘れられていく人も多々いるなかで、何年経っても忘れられず、もっと大きく、もっときちんとした記憶として皆に覚えられる人がいるんです。スティーブ・ジョブズの場合はその後者です。彼の名前はどんどんビッグになっていくことでしょう。彼はそういう人物です。
我々の、人類としてのライフスタイルを変えたのですから。最低でも3度は変えているんです。もしかしたら4度かも知れません。そういう人はなかなかいません。スティーブ・ジョブズはいつもこう言っていました。「限られた時間しか無いじゃないか。人生は一回きりだから」、そして「時間はすぐに過ぎ去ってしまうんだよ」と。「自分の人生、何をして過ごしたいのか。無駄にするな」とよく口にしていましたし、「とにかくチャレンジするんだ」ということを言っていました。彼は本当にそれを心底思って言っていたからこそ、自らそれを体現したのだと思います。
ルース: そうですね。私もいろいろと話をしたんですけれども、本当にスティーブ・ジョブズのいくつかの言葉は心に刻むべきだと思います。自分の心、そして直感に従う勇気を持てと。スティーブ・ジョブズのような人はそれほど大勢はいません。また、孫正義さんのような人もそれほど大勢いません。現実は、実に厳しいです。ひとつの世代において、そして数世代に渡ってもなかなかそういう人たちは出て来ません。しかし、だからといって1人1人が大きな形で社会に貢献できないということではありません。先ほどのアンケートでは51%の回答者が「起業に関心を持っている」という結果でした。(その人たちは)おそらくスティーブ・ジョブズにはならないでしょう、その可能性は高いです。しかし、そうでなかったとしても非常に大きな形で、意義ある形で貢献することはできます。
ですから私が主張したいのは、日本の未来、そしてアメリカの未来、これはすべてアントレプレナーが新しい会社を起業することにかかっていると思います。私は根本的にそれが真実だと信じています。ですから、次のスティーブ・ジョブズにならんとする夢を持つことは本当に素晴らしいと思います。率直に言って、それこそが起業家主義です。私もいろいろなアイデアを持って、何度かスティーブ・ジョブズになれはしないかと夢を見ました。人は究極的にそのレベルまで達しなくても、貢献できることはあります。
■ジョブズは「禅の修行僧になっていたかも知れない」
孫: 私はやはり夢を持つことがとても大切だと思います。そして誰かを自分のヒーローとして、尊敬できる人物を持つことも大切です。そういう人間になりたいという夢を見ることが大切です。起業家でなくてもいいのです。イチローでも映画のスターでも、ロックスターでも良いんです。つまり、そういう夢とヒーローというものを自分の心の中に持っていることが大切です。それで自分も頑張る、試すということです。自分の人生です。自分のための人生だからこそ、自分の夢を達成するんだという意気込みでそれを実現すれば良いわけです。
スティーブ・ジョブズが学生だった頃、彼はインドを旅したそうです。禅を学んだり仏教に触れたということなんですけども、もしかしたら禅の修行僧になっていたかも知れませんよね。しかし人生の岐路で、彼は起業家という道を選んだわけです。自分の人生のテーマを持つ、そこが鍵ですよね。アーティストでも良いですし、スポーツ選手でも起業家でも、どんな道を選んだとしても。例えば私は画家、アーティストになりたかったんです。貧しくても食べていけなくても画家になりたいと思っていたんです。お金のためでもない、有名になるためでもない、自分が好きで情熱を持ってやっているから夢としてやりたいということだと思う。そこが鍵です。
ルース: 非常に重要な点を指摘してくださいました。よく聞かれることですが、人は金銭的に成功するかどうかということが大事だという風に思うようです。スティーブ・ジョブズも孫さんも本当に大成功を収めたわけですけれども、起業家でお金のためにそれをしたという人には一度も会っておりません。私のキャリアにおいて、彼らが仕事をするのは、その夢のためであり、しかも何かを達成したいという気持ちがあるからです。もちろん財政的に成功をおさめることは決して悪いことではありません。しかし、それがゆえに典型的な起業家がエネルギーを持って前に突き進むというわけではありません。
また、多くのいろいろな分野において、引き続きイノベーションが必要です。それが例えば再生可能エネルギーの分野であろうが、あるいはバイオテクノロジーの分野、新製薬だとか新しい医療機器の分野でも構いません。iPhoneを作るということだけでは無いわけです。それ以外にも実に多くの分野で、私たちのそれぞれの国のためというだけでなく、全世界に貢献できることが各分野にあります。もっともっと見たいと思っていることのひとつとして、今後日本の企業とアメリカの企業がこれらの多くの分野において、再生可能エネルギー、バイオテクノロジーおよびITの分野において連携をしてほしいという気持ちがあります。
孫: 私もそう思いますそれが大切だと思います。金銭的な成功という尺度が大切なわけではありません。夢を実現させる、そのスピリッツ、精神というところだと思うんです。東北の方々が震災という悲劇的な状況のあとに、アメリカ政府、アメリカ軍が「トモダチ作戦」で支援をしてくださいました。「トモダチプロジェクト」、専門家としての知識を皆さんが駆使し、東北の人々を支援してくださった。すごく良い形での寄与があったと思います。貢献があった。しかし違う方向から見ますと、海外で勉強をする機会を生み出してくれるわけです。東北の学生に、海外留学の道という機会が出てきた。また、シリコンバレーの起業家精神について、またほかにもいろいろな機会というものが今後は拡がってくるわけです。そういった形で、精神面、スピリットの面で、金銭的な支援だけではないんですよ。例えば仮設住宅を造るとか、政府からの金銭的な支援はもちろんとても大切です。けれどもスピリチュアルな支援、そこが今後は大切だと思います。
ルース: そうですね。一番気持ちの上で辛かった日本での経験のひとつというのは、若い17歳の女性に会ったことです。アヤカさんという名前で、彼女は(震災で)家族を失いました、津波によって家族が失われてしまったのです。スージーと私を訪ねてきてくれました。その時には東北地方の被災地からの子供たちが何人か彼女を含めて来まして、その後、彼女が通っていた学校での炊き出しバーベキューでも会い、また9月11日に私の執務室に手紙を手渡しに来たのです。その手紙に書いてあったことは、もちろん大きな損失感というか喪失感というものがあって、彼女のような経験は誰であってもしてほしくないと思いますが、彼女は今夢を持っています。その夢は何かと言うと「アメリカに行く」ということです。アメリカに行って英語を学びたい、そして留学経験をしてみたいのだと。そしてそこからまた足を踏み出したいということで、一体どういう学科を勉強したいのかと聞いた時に、「私はアメリカに行って、とにかく英語、英語、英語だけです」という風に言いました。
そのような、私どもが経験したことがないような悲しい経験をしていながら、これらの悲劇の6か月後、本当に素晴しい夢を彼女は抱いているのです。必ずやその夢は実現することでしょう。まったく疑っておりません。ですから、人から「日本の未来はどう思うんだ」と質問をされる時に、彼女のような人に会った時に、日本の未来というものは明るいものだということを疑いなく信じています。アメリカと同じように日本も思い当りますが、アヤカさんは何でも問題は解決できるのだという例であります。
孫: まさに仰る通りだと思います。大きな悲劇のあと、もし気持ちが萎えてしまったら、それは良くないことです。でも、しっかりと自分の足で立ち上がる。そして目を開いて、空に向かって大きな声で叫んで「自分は立ち上がるんだ、立ち直るんだ」とそう言えたら、そこから新しい人生がまた始まっていくんです。1人がそれをやれば、周りの人たちあるいは世界の人たちに多くの勇気を与えることになります。そして、新しいこと、何か良いことがそこから生まれてくるはずです。
司会: 今の震災のお話にも関連する質問がルース大使に届いています。「東日本大震災という大変な時期をご自身で経験されて、日本に対する見方は変わりましたか。また、今後の日米関係の在り方についての考え方に変化があればうかがいたいです」という質問ですが、いかがでしょうか。
ルース: いえ、私の日本に対する見方が変わったとは言いません。前以上に強くなったという言い方が正しいかもしれません。とにかく日本においては素晴しい経験をしました。3月11日以前も、着任してからほぼ2年経ったなかで、本当に日本に対しては深い敬意、尊敬というものを日本の国民に対して、また歴史・文化に対して持つに至りました。もちろん、私が3月11日の震災以降、東北地域を訪れた時に目撃したことは本当に悲しいものでした。しかしそれと同時に信じられないほどのインスピレーションを与えてくれるものでした。
だからこそ、アメリカの国民がそれを見て、だからこそ、それだけアメリカ国民の気持ちが日本に流れたのだと思います。でも、これは元もと私ども両国が持っている深い関係に起因していると思います。3月11日の大地震が起きた後、例えば捜索救援隊が来たり、また原子力関係の専門家たちが来たということで、アメリカ政府および国民が力を合わせてできることはすべてやろうと。もちろん小さなものではありますが、日本が本当に外からの力を必要としている時に、何なりとしたいということが実現したのです。
実際、3月11日以降の日米関係が、結果としてそれ以前の非常に力強い関係だったものが、基盤が力強いものでしたが、さらに強化されたと思います。時には人々が一歩下がって見て、いったい自分たちにとって何が大切かというのを認識するには、悲劇が必要な時もあるのかもわかりません。時には日米の間でいろいろな課題が誇張されて注目されたと思いますが、いわゆる日本とアメリカとの間の基本的な絆、このような基礎的な関係というものが3月11日以降、さらに強まったと言えると思います。
・「起業するアイデアがなければ、考えよ。それに尽きる」 孫正義×ルース大使 対談全文(後編)
http://news.nicovideo.jp/watch/nw130456
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(協力・書き起こし.com)
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