【小説】愚図にトリセツは存在しない 第3回 ~春はトースター~【レシピ】

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春である。
桜は咲き誇り大気は空から暖かくなり駅のホームには新社会人や学生で溢れかえる。
そして私は新人の指導担当にあてられて通常業務と平行して忙しさが増していた。
「甘いものが食べたい…」
帰宅するなり台所の椅子に腰掛ける。スーツのままキッチンテーブルに突っ伏してそうぼやいた。
居間でDVDを見ていた居候がちらりとこちらを見た。
「もう夜中の一時だよ、佐藤」
白石いづるの忠告に私は眉根を寄せた。
白石はレズビアンだ。昨年の末に女にふられたことを言い訳に行き所がないといって訪れた元同級生。それだけの縁なのに私には恋慕しないということを条件にして部屋に居座り続けている。
「うるさい。あんたいつ出て行くの? もう三ヶ月め…いや四ヶ月めだけれども」
それを聞いた白石はさっと立ち上がった。
「よし、甘いものをお作りしましょう。姫」
もう姫という年齢ではない。
けれど大声で笑い出してしまった。露骨にかいがいしくなるなというのだ。
「よし…スイートポテトをつくろう」
彼女が本当に調味料と冷蔵庫の中身を点検しはじめたので驚いた。
「は? 作ったことあんの?」
「トースターがあるじゃん。十五分でできるよ」
「えー?」
「だって今からコンビニ行ってプリンなんか買ってきたら太るよ。お芋は砂糖なくても甘いものが作れる万能食品だよ」
「お芋なんかあったっけ…」
彼女は冷凍庫の奥からサツマイモの煮付けの入った容器を取り出した。
存在を忘れていたが一週間ほど前に弁当に使うつもりで作りおきしていたものだ。
最近暖かいのであまり利用しなくなっていた。解凍したり茹でなおしたりする時に味付けできるように、保存状態は素のままだ。
「ふうん…まあいいけど…」
ぼんやり返す。起き上がる気力もない。
白石は瞬間ポットでお湯をわかした。そばに湯飲みを置いた。ほうじ茶だ。
一口飲んだら胃があたたまってきた。服を脱ぐ力がわいてきたので部屋を出た。

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スーツとブラウスを脱いで洗面台で化粧を落として台所に戻る。
ボウルのなかでそれらはもう一緒くたになっていた。材料をきくとサツマイモと卵ひとつぶんの黄身と少しの牛乳、大匙二杯ぶんだという。そういうのが頭に入っているのは料理が好きだからというよりも単に数字に強いためだろう。高校のときから学力で彼女に勝る人間は稀だった。
今だって光熱費や家賃の半分を負担すると申し出てくれる程度には稼ぎがあるのだ。けれどそれを受け取れば完全に彼女を追い出す機会を失いそうなので受け取っていないのが現状だ。

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弁当用に大量にストックしてあるアルミホイルの小さなカップに、生地が丁寧に盛りつけられていた。黄身でサツマイモの生地が明るくなって猫が丸くなったような懐かしい色合い。
しかし、トースターの前で白石は腕組みしていた。
「なんか動かないんだよね…」
ちょっとすがるような目で彼女はこちらを見た。
トースターは家電のなかでも壊れにくいもののひとつではなかろうか。
ツインバードのオーブントースター。TS-4018。そうそう壊れるはずがない。
構造はシンプルだ。扉をひらく。食材をいれる。扉を閉じる。タイマーをかける。熱する。時間がきたらチンとなり私たちに出来上がりを知らせてもくださる。こんなにシンプルな機械があるだろうか。
複雑な機構ではないのでトースターという器具は非常に壊れにくい家電だ。
だからこそ壊れたときにどう対処していいかわからない家電でもある。
しかし、すぐに原因に思い当たった。
「ああ、ごめん」
腰を屈めてそれをつまみ上げた。その家電から延びている黒いプラグの先を。
「さっき帰ってきたときに引っ掛けちゃって」
ごめんごめんと笑ってみせる。すると白石はへたりこんだ。
「お、おおー…よかった…私が壊したかと思った!」
使おうとして稼動しないものを前にするとそうした焦りは生じやすいものだ。済まないことをした。
「例えあんたが壊しても弁償なんて求めないから気にしないで」
「でもその時は出ていってって言われそうで…」
「わかってんじゃん」
今だって出ていってくれていいのだよ白石さん…とは、言わずにおいた。
スイートポテトを食べ終えたら言うかもしれないけれども。
へたりこんだ体勢からこちらを見上げて白石は告げた。
「…でもやっぱり明日の朝にしておきます? 佐藤さん。腹の肉が幾分かお目立ちに…」
足元からこちらを露骨に眺めるので、素足の甲でそいつの頬を叩いた。
「お風呂入ってくる」
「すみませんでした…」
一線を越えて白石がこちらに秋波を寄せないのはこの数ヶ月の暮らしのうちで確信できた。
しかし最早友情の域を超えて失礼になりつつある。
「無礼者め…」
ぼやきながらも、私は脱衣場の体重計にのった。

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十五分、と言われていたけれども疲れていたのでもっとゆっくりお風呂につかってしまった。
あがったら、台所には甘い香りが満ちていた。
砂糖使っていないのに、へえ。サツマイモってこんなにいい匂いがするっけ。
そういえば子どもの頃に友達の家に遊びに行くと、その子のお母さんが必ずお菓子を焼いてくれた。初めてスイートポテトを食べた場所はその子の家だった。
白石と出会った高校時代には友達の家を行き来することも減っていたけれど。
テーブルの上。アルミに包まれたこんがり黄色い小さな丘の居並ぶ皿。
白石は居間にも台所にもいなかった。となると寝室だ。
先に寝ているらしかった。
ほうじ茶をいれなおして、その甘いものを口にする。口あたりは軽くて優しい。
「…なんだよー、もう…」
自分だって疲れているんじゃない。帰宅するのを待っていたのだろうか。
そう気付いた。口に運んでから、ようやく。
「何だよー…」
明日は土曜日で休みだ。
半分残して、朝になったらタッパーに詰めて公園にでも連れ出そう。
どうせ他にすごす人もいないし、桜も咲いていることだし。
口の奥に春を感じる。
あれだけ長かった冬も、終わりは一息だ。

『愚図にトリセツは存在しない』第1回目はこちらから読めます。
https://getnews.jp/archives/1438967 [リンク]

『愚図にトリセツは存在しない』第2回目はこちらから読めます。
https://getnews.jp/archives/1442441[リンク]

KADOKAWA×はてなの『カクヨム』でも掲載しています。
愚図にトリセツは存在しない 
https://kakuyomu.jp/works/4852201425154874061 [リンク]

登場家電のメーカー様:ツインバード工業株式会社
http://www.twinbird.jp/[リンク]

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