アート映画を見る心がけ
先日、とあるメディアから試写会に招待をいただき『グランドフィナーレ』
という映画を見てきました。
監督はパオロ・ソレンティーノ。
パルムドール(カンヌ映画祭の最高賞)ノミネート4回、米アカデミー外国語映画賞受賞1回
という輝かしい実績を誇るイタリアの名監督、脚本家です。
主演は英国の名優マイケル・ケイン。
アカデミー賞受賞2回をはじめ数々の実績を誇る生きた伝説的存在です。
ソレンティーノ監督はハリウッド的メインストリームの監督ではなくアート一本槍の
監督です。
さて、このような監督が作った映画が面白いか?
誤解を恐れることなくはっきりと言いましょう。
はっきり言って面白くはありません。
私は以前の記事でも書きましたが、本業の傍らインディ映画の制作に携わっています。
元もと映画好きなため映画は山ほど見てきましたがアート映画は本当に苦手です。
この記事はタイアップでもなんでもありませんし、原稿料を貰っているわけでもないので
今回は好き勝手書かせてもらおうと思います。
アート映画が一般受けしない理由
本作はほぼすべての物語がスイスの高級ホテルの中だけで展開されます。
ケイン演じる作曲家が女王陛下からの依頼で自らの代表作を指揮することを要請されます。
すでに引退していたケインは私的な事情から受諾しませんが、幾度となく女王サイドから
懇願されます。
それと並行して、置いた名映画監督やヒーローものにタイプキャストされて悩む人気俳優の
苦悩などが描かれます。
筋だけ読むとよくできた群像劇っぽく見えて面白そうです。
実際こういう群像劇は『グランド・ホテル』(1932)以来山ほど作られてきた王道です。
ですが、この映画はイタリア映画であり、王道、大衆的なハリウッド的群像劇とは全く違います。
そして、それこそ私がこういう映画が苦手な理由であり、一般受けしない理由です。
解り辛く、解り辛く
アート映画の特徴であり、一般受けしない理由その1がこれです。
大衆は分かりやすいものを好みます。
家電メーカーの説明書だって映画だってわかりやすい方が分かりにくいより好まれるに決まっています。
アート映画の特徴はそのテーマや本筋をとにかくひた隠しにして物語を進めるという特徴があります。
映画はもともと演劇の影響を強く受けたメディアです。
演劇において劇中に起きる出来事の説明はほとんどがセリフです。
表現形式上それが最もとってりばやく解りやすいからです。
昔ながらの伝統を守る娯楽作品もそうです。
ド派手な映像がウリでまともなセリフがほとんどないようなビッグバジェットムービーでも
本筋を理解するうえで大事な部分はちゃんとセリフで説明します。
『グランドフィナーレ』はセリフがものすごく控えめです。
そして大事な部分ほど登場人物が寡黙になります。
その代わりに人物の心情を表すような風景カットにカットアウェイしたり人物の表情の
クローズアップで語らせる方法を取ります。
娯楽大作でもそういう手法を作家性の高い監督(例えばバットマンシリーズのクリストファー・ノーラン監督)
は取ることがありますが、本当に重要なところでしか使いません。
アート映画はこういう抽象的手法をバンバン使います。
映像的テンポ
アート映画が解り辛い理由その2です。
映像的に見やすくするための方法はただ1つ。
それは画替わりさせることです。
一般的にその方法は2つあります。
1つめはカットを割ることです。
カットを割ることで画替わりさせ、見るものを退屈させない方法はもっとも原始的で
そしてお金がかかりません(実際にやると時間はかかりますが)
その極端な例がジェイソン・ボーン3部作のポール・グリーングラス監督です。
娯楽大作ばかり撮っていた監督だと『トップガン』などの偏差値貧乏大作ばかり
撮っていたトニー・スコット監督もそうでした。
最近のアメリカのテレビドラマもカットを短く歯切れよくというのをよく見ます。
2つ目はカメラを動かして画替わりさせることです。
例えば誰もが知っている巨匠スティーヴン・スピルバーグはカメラワークを知り尽くした
達人です。
スピルバーグ監督のカメラワークは実に多彩で見ていて本当に飽きさせられません。
こうすることで見る人は生理的に楽しく映像を見ることが出来ます。
では、アート映画は?
アート映画は例外もありますがとにかく1カットが長いものが多いです。
同じ1カットでもカメラも被写体もガンガン動くようなものと全然動かないものどちらが
面白いでしょうか?
想像して、それを生理的観点から考えてみてください。
はっきり言って画替わりしない映画はきついです。
また、『グランドフィナーレ』はスイスの田舎町にあるホテルとその周辺が舞台という
縛りがありました。
こういう縛りがある以上、どうしても室内のシーンが多くなります。
室内のシーンが延々と続く映画は画的にキツいです。
なぜかと言うと、室内ばっかりの画はどうしても奥行きが乏しくなるからです。
ソレンティーノ監督もその辺は意識したのか、時々外のシーンを混ぜていました。
奥に空や山が見えるような抜けのいいロケーションは画に奥行きをもたらします。
部屋、部屋、部屋と続くよりはその方が良いですもんね。
まとめ
とはいえ、アート映画は様々な意匠や工夫、そして何よりもセンスによって成り立つものです。
『ゴランドフィナーレ』はオレンジを基調にした温かみのある色遣いが印象的で、
また美しい映画であることは確かです。
ただ、私はこういう映画が徹頭徹尾苦手なのでこれ以上書くのは遠慮しようと思います。
よくわかりもしないものを感覚値だけでディスるのは作り手に対して無礼だと思うので。
とりとめありませんがこのくらいで失礼します。
(画像・グランドフィナーレ公式サイトよりhttp://gaga.ne.jp/grandfinale/)
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(執筆者: ランボー怒りの深夜勤務) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか
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