科学と報道の間で(ニュートリノの速度と光の速度)

油断するなここは戦場だ

今回はmihoko_nojiriさんのブログ『油断するなここは戦場だ』からご寄稿いただきました。

科学と報道の間で (ニュートリノの速度と光の速度)

新しい実験データについての新聞・テレビ報道が研究者の間の“雰囲気”を伝えていないというのは、たしかにあることなのだけど、今回ばかりは少し乖離(かいり)が大きすぎるような気がするので、久しぶりに素粒子物理の話をブログに書こうと思います。

OPERA は CERN から打ち出したニュートリノビームを、730km離れたイタリアのグランサッソという地下実験施設でで受け止める実験です。CERN から出るビームはミューオンニュートリノですが、ニュートリノ振動があるので長距離を飛ぶ間にタウニュートリノに変化し、これが測定器にあたる時にタウレプトンが出ます。この実験はそのタウレプトンを測ろうとするものです。主要な測定器はエマルジョン(写真乾板)という名古屋大学が長く手がけてきた装置で、日本の貢献が極めて大きいことでも知られています。

今回の発表はこのニュートリノ振動とは関係がなく、ニュートリノがグランサッソに到着する時間が、光速 c よりも早いという測定結果でした。結果のまとめをみるとニュートリノ速度 v と 光速とのずれが(v-c)/c = (2.48 ± 0.28 (stat.) ± 0.30 (sys.)) ×10-5. となるとされています。10万分の一程度のほんのわずかの違いです。

この実験データに対するコミュニティの反応は、少なくとも私の周辺では消極的なもので、ずれがおこった実験的な原因を探すことが重要であるととらえられています。実際、上述の測定結果では統計と系統誤差は十分押さえられていると主張されていますが、実験グループの結果の報告では最後に

Despite the large significance of the measurement reported here and the stability of the analysis, the potentially great impact of the result motivates the continuation of our studies in order to investigate possible still unknown systematic effects that could explain the observed anomaly. We deliberately do not attempt any theoretical or phenomenological interpretation of the results.

と、さらに系統誤差を調べる必要性をいうとともに、結果の理論的、現象論的解釈をしないと異例の断り書きをつけています。

また BBC の報道でも実験グループのメンバーである Antonio Ereditato 氏が「可能な解釈を探したが見つけることができず、間違いも発見されなかったので、コミュニティにこの結果について議論してもらいたい」とし、さらに、

We want to be helped by the community in understanding our crazy result – because it is crazy”
「このおかしな結果を理解できるようにコミュニティの助けをお願いしたい。なぜならこの結果は気違いじみているからだ」 

と語ったようです。 Nature News によれば、CERN の中心的な研究者であった J. Ellis 氏の発言として

Most troubling for OPERA is a separate analysis of a pulse of neutrinos from a nearby supernova known as 1987a. If the speeds seen by OPERA were achievable by all neutrinos, then the pulse from the supernova would have shown up years earlier than the exploding star’s flash of light; instead, they arrived within hours of each other. “It’s difficult to reconcile with what OPERA is seeing,” Ellis says.

と 超新星 1987a の観測と OPERA の結果が矛盾する可能性を指摘しています。超新星 1987a というのは1987年におこった超新星爆発現象で、このときに Kamiokande が超新星爆発からくるニュートリノととらえたことで有名です。超新星爆発では爆発のエネルギーの大半がニュートリノとして放出されますが、このときニュートリノがKamiokande で観測された時間が、超新星の光が観測された時間とほとんど変わず、また13個のニュートリノがほぼ同時に地球に届いたことから、ニュートリノの速度と光の速度の差に上限がついています。これは、今回の実験精度にくらべてはるかに小さくなっています。

重力理論を変更すると、大きな速度のずれが許される場合もあるという研究もあり、詳細が書かれたブログもあるようですが、そのブログの元となる論文の著者である Ellis 氏自体が上述の懐疑的なコメントをだしていることからわかるように、実験、理論ともに多くの人がこの結果にたいして大変慎重です。懐疑的な発言が多くなるのには、重力理論は宇宙の初期から現在にいたるまでの発展に関わる基本理論で、すでに多くの観測の結果によって支持されており大きな変更を行うことが難しいからでしょう。

昨日の CERN でのセミナーは私の周辺でも多くの人が見ていて、解析の問題点探しがすでに始まっていました。解析と実際との齟齬(そご)が起こりうる可能性があるのは、実データで制限されていない部分です。そのなかの一つにこの実験がCERN 周辺でのニュートリノの時間分布を測定していないという点が挙げられるようです。CERN 側では陽子ビームが加速器から取り出された時の時間情報をセンサーで電流に変換して測定しています。この陽子ビームがターゲットに当たってパイオンをつくり、さらに崩壊してニュートリノができます。しかしどのようなニュートリノが CERN からでたかという直接的な情報がありません。CERN側で測定した陽子ビームの時間分布が、CERNから送り出したニュートリノビームの時間分布と等しいと仮定し、グランサッソで検出されたニュートリノ事象の時間分布と比較します。どちらの時間分布も、ビームの幅10.5マイクロ秒の矩形(くけい)に近い形をしており、互いにどのくらい時間をずらせば、その両者の分布がちょうど重なるかを解析します。その際、CERN側の陽子ビームの矩形(くけい)の立ち上がりの形と立下りの形、そしてそれが反映されるニュートリノビームの形を正確に知らないと、解析を間違えることになります。

さて、“コミュニティが理解を助ける”といっても、実験の詳細を知らないグループ外の研究者が実験の間違いを見つけるのは大変なことです。MINOS や T2K といった同じ長基線ニュートリノ実験もありますが、それぞれ実験条件や加速器の性能は異なります。新たな実験を設計するのであれば、OPERA 実験で系統誤差の原因となりうる要因が明らかになり、それを確実に克服できるセットアップが要求されるでしょう。当面は OPERA グループ内で、コミュニティからの意見を受けてさらに詳細な解析が進められることを期待したいと思います。

いずれにしても、疑問に感じるのは一部大手メディアの報道姿勢です。ネタとしての会話としてならともかく、「これが本当だとしたら、時間を逆に進むことができる」「アインシュタインの相対性理論を覆す」といった表現が使われ、実験自体が複雑な解析を要し、またその中でミスが入り込みうるという我々の共通認識が意図的に無視されているように感じます。しばらく報道合戦が続くのかもしれませんが、実験の内容や、研究者の受け止め方が伝わる報道をお願いしたいと思います。

執筆: この記事はmihoko_nojiriさんのブログ『油断するなここは戦場だ』からご寄稿いただきました。

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