福島第1原発20キロ圏内は「死のまち」か? 現地の写真レポート

烏賀陽弘道氏の見た福島第1原発20キロ圏内

 「残念ながら周辺の町村の市街地は人っ子一人いない、まさに『死のまち』という形でございました」――福島第1原発周辺の市町村を視察した鉢呂吉雄・前経産相の発言をマスコミは「問題になる可能性がある」と報じ、野党も一斉に批判した。しかし、現地が本当に「死のまち」であるならば、これを不謹慎だと封じ、目を背けてしまうほうがよほど問題であるといえないだろうか。一体、福島第1原発20キロ圏内はどうなっているのか。

 2011年9月16日のニコニコ放送『福島原発20キロ圏内を歩いた!そこは「死のまち」だったのか?』では、ちょうど「死のまち」発言が問題になっている頃に福島第1原発から20キロ圏内の「立ち入り禁止区域」を取材したジャーナリストの烏賀陽弘道氏が登場。たくさんの写真を紹介しながら、現地の様子を報告した。

「遠くから見ると、まったく平和でのどかな田舎町に見えるんですよね。でも、目を近づけると何かが変だと。その”何か”に気がつくのに時間がかかるというのが僕の実感でしたね」

立ち入り禁止区域といっても、津波の被害が少ないところは、ほとんど見た目は変わらない。しかし、良く見てみると、町が植物とクモの巣に覆われていることに気がつく。

 草木が生命を謳歌しているという意味では、現地は相変わらず「生のまち」と言えるかもしれない。しかし、生活の跡がそのまま残っているのに、人の気配が完全に失せ、代わりに日常では見られないほど大きくなった植物やクモの巣が存在感を放つ世界は、どこか人類がいなくなった後の世界を描いた物語のよう。話し声も車の音もないために、普段では聞こえないような小さな音や遠くの音も耳に入って来るという。烏賀陽氏は現地の様子を「真夏の太陽の下でホラー映画がそのまま進んでいるような感じ」と表現する。

■新宿から人がいなくなることを想像してみる

「新宿の街を歩いていたら、20キロ圏内のことが日常とつながって涙が出た」

 現地を取材した感想として、烏賀陽氏は2つのことを挙げる。1つ目は日常との連続性。

「新宿の街を歩いていたら、ふいに涙が出て来たことがありました。というのは、この街から人がまったくいなくなってしまうことがあるんじゃないかと。20キロ圏内の中のことが、自分の日常と初めてつながったという感じがしたんですよ」

 もう1つは避難区域の問題だ。既にさまざまなところで指摘されているが、放射線量は福島第1原発との距離に正比例しているわけではない。烏賀陽氏自身もガイガーカウンターで確認している。そこから導き出されるのは、震災初期の対応として原発からの距離で避難させたことに妥当性はあったとしても範囲が狭かったこと。そして、いつまでも「同心円」にこだわる必要はないということだ。

「コンパスで書いたような真円で規制するのは早く止めて、例えば100m四方、50m四方で決めて行くというキメの細かさがないとダメだと確信しました」

とはいえ、自治体の行政機能そのものが移転しているところもあり、帰還は線量の問題だけでは済まない。目に見える被害、目に見えない放射線、地域経済や行政。20キロ圏内の復興への道はまだまだ険しい。

◇関連サイト
・[ニコニコ生放送]「烏賀陽氏の感想」部分から視聴 – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv63898007?po=news&ref=news#1:37:51

(野吟りん)

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