「放射能うつす」発言報道の裏側で何があったのか 検証番組全文書き起こし(後編)

緊急特番!鉢呂大臣辞任は記者クラブの「言葉狩り」なのか?

 鉢呂吉雄経産相辞任の報道の裏側をめぐり、ニコニコ生放送で2011年9月13日、「鉢呂大臣辞任は記者クラブの『言葉狩り』なのか?」と題した検証番組が放送された。鉢呂氏は”オフレコ”の場で記者らに対し「放射能をうつしてやるぞ」といった発言をしたとされているが、そもそもオフレコとは何なのか? なぜ発言後、テレビはすぐに伝えず、新聞は翌朝に掲載しなかったのか。そして一社が報じると、堰を切ったように一斉に追従する――。そこには日本のマスメディアの取材方法や構造に関わる問題点が浮かび上がってくる。

 以下、番組の内容を全文書き起こすかたちで紹介する。

・[ニコニコ生放送] 全文書き起こし部分から視聴 – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv63596409?po=news&ref=news#35:48
・「放射能うつす」発言報道の裏側で何があったのか 検証番組全文書き起こし(前編)
http://news.nicovideo.jp/watch/nw114595

■そもそも「オフレコ」とは何か

オンレコの場

ニコニコニュース編集長・亀松太郎(以下、亀松): 「非公式な発言」というのがあって、今ここにいる皆さんは新聞記者だったり、元新聞記者だったりで、かなりそこを前提にお話がざーっと進みましたけど、多分見ている人たちはそもそも「非公式の懇談」って何なのか、よくわからないかなと思って。僕、今日写真を持ってきたんです。まずこれを見てください。もう一個、写真。引っ繰り返します。これの違い、わかりますか? 皆さん。コメントで何が違うか(書いてください)。もう1回いきますね。1枚目、・・・はい。2枚目、・・・はい。答えはですね、最初(の写真に写っていたのが)が馬淵(澄夫衆議院議員)さんで、次が岡田(克也民主党最高顧問)さんというわけではないんですけれども。

オフレコの場

 最初のこの1枚目(の写真の風景)はよく見るんです。レコーダーを記者が持っていますよね。あと、メモしている人もいます。次が(2枚目の写真には)よく見てもらうと、レコーダーを持っている人がいません。それからメモしている人もいません。代わりに、前の人は手を組んでいます。いわゆるこれは「非公式な」「オフレコな」懇談です。なんでこんな写真があるのかというと実はこれ、両方ニコニコ動画の番組にお2人が出ていただいた時に最後、帰る前に「ぶら下がり」というのをやるんですけれども、その風景を僕がたまたま撮っていたのが残っていまして。「そういえば1枚目のこっちがいわゆる公式というかオンレコな発言の場で、こっちのほうはオフレコだったな」というのがわかって、たまたま手元にあったので使ってみたんです。非公式の懇談っていうのはどういう形で行われているんですか? 特に長谷川さんなんかもう・・・。

東京新聞論説副主幹・長谷川幸洋(以下、長谷川): いや、僕は全然、この手の囲み取材とかまったくやらないので。

亀松: そうなんですか。

長谷川: 僕は全然やりません。だから最近のことはわからないけれども、オフレコは今メモも取っていないし、レコーディングもしていませんから。要するに聞くだけ。でもメモを取ってるほうは、これは(記事として)書くのが前提で、これは政治部さんだったらおそらくこの後みんなで「何言ったよね」ってメモ合わせして、それでデスクに流すということになるんでしょう。

亀松: オフレコ発言、このオフレコというのはそもそも何のために行われるんですか?

長谷川: 建前で言えばバックグラウンドブリーフィングですから、要するに背景説明。「今回こういう決定をした背景には、こういうこれこれ事情があって」とか「あの人はこういうこと考えてるね。この人はこういうこと考えてるね」というようなことをやるけども、大体は自分の都合の良い、自分にプラスになるような話をオフレコと言って、相場観を広めるためにやるというのがオフレコです。

亀松: ただ「オフレコ」と言う以上は、政治家とその記者の間での約束というか、契約では(記事に)書かないということなんですね?

長谷川: まあ、そうですね。

みんなの党・柿沢未途衆議院議員(元・NHK記者)(以下、柿沢): 書かないか、まあ書く場合はニュースソースをぼかす。「政府首脳」、「民主党首脳」、「民主党筋」、そんな言い方ですよね。

亀松: ただ今回の場合は、鉢呂さんがこういうことを言ったということで、発言者も発言の内容も出たかたちなんですけど、これはいわゆる「オフレコ破り」ということなんですか?

長谷川: それは厳密に言ったら、建前のルールで言えばその通り。でも、とにかく1社が書いてしまったら、もう「オフレコ」じゃなくて。それでも守っているというのは「あなたは(取材対象者の)ポチか」みたいな話になっちゃうので、これは通用しない。それでこのごろ、最近はオフレコがだんだんダメになってきて、もう通用しなくなってきているわけ。それはどうしてかっていうと、いろいろあると思うけども、例えばこの前の松本(龍・元)防災復興担当大臣が仙台のほうだったかな、東北に行ってしゃべって「ここオフレコだからね」と「書いた人はもう終わりだから」と。そこまで言ってやったのに、実はローカル局がテレビで書いちゃった。流しちゃったでしょ。それで壊れて、そしたらそれを守ってると残った社(会社)は全部「大臣の言うがままのポチか」みたいな話になっちゃうから、みんなドーッと書いちゃったわけ。

 今回もほとんど同じ話で、オフレコだったんだけど、フジ(テレビ)がなんとそこに居なかったけど伝聞で書いちゃったから、(その場に)いた社は「ふざけんな」と思って「そんなこと俺だって知ってるんだけど、黙っていたんだけど、だから1日抱いちゃったけど、もうフジ書いちゃったんだから俺も書くぜ」みたいな話でわーっと出て、でもメモ合わせしてないから、てんでバラバラになっちゃった。

民主党・宮崎岳志松議員(元・上毛新聞記者)(以下、宮崎): 松本大臣の(辞任)時とやっぱり大きな違いが一つあって、松本大臣の場合は、それこそテレビカメラもいっぱいあってすでに回っているような状況で、松本さんが一方的に「オフレコだからね」って言っただけの話で、それは基本的には成立しないわけです。共通認識ができていない。ところが今回の宿舎の話っていうのは、基本的にはオフレコが前提の話で、一応それを了解してそこで取材してるという大きな前提がある。ただ、オフレコにも通常よく言われるのは2種類あって、完全オフレコ。完全オフレコというのはもう「そこで聞いた話は一切書きませんよ」という話ですし、(もう1種類)ここは一部部分的なオフレコですよね。つまり、本人の実名を出さなければ書いていいよとか、あるいは伝聞で「事実かどうかわかんないけど、こういう話ありまっせ」というようなことでは書いていいとかという話。

 僕、政治部の記者に聞いたんですけど、経済部っていうのは基本的にオフレコ取材というのはあまりない。基本的にはオンレコの世界で、省庁を相手にしてるような人はもちろんオフレコもあると思いますが、少なくとも企業を相手にしている場合は基本的にはオンレコの世界で取材している。政治部は逆に言うとそうではなくて、「オフレコ文化」というのがある。ある記者が言ったのは、例えば政治部だったらそこで自分の担当、自分が番記者をやっているある大臣でも大物政治家でもいいですが、その人が問題になるような発言をしたら、政治部の記者は「先生、そういう発言には気をつけなきゃいけませんよ」ってたしなめるって言うんです。「それを育てるのもわれわれの仕事だから」ぐらいの話で。それが良いのかどうか別にして、かなりそこで齟齬(そご)があったというのはあるんじゃないかな。彼が言ったのは、「いや、今回みたいな話でいちいち書いてたら、これまで総理、大臣、何人クビ飛んでたかわからないね」と。ある総理大臣については「在任中10回くらいクビ飛んでたんじゃないの?」みたいな話はしていました。

(追記)
番組終了後の2011年9月14日18時ごろ、フジテレビよりニコニコ動画に対し「鉢呂前大臣が議員宿舎に戻った際の取材現場には、フジテレビの記者もいました。伝聞に基づいて報道したわけでもありません」との指摘がありました。

■なぜ9日朝刊に載らなかったのか

鉢呂経産相辞任までの経緯

長谷川: 宮崎さんが今仰ったことはすごく的を射ていて、つまりこういうことなんです。今回はオフレコは成立した。8日夜の段階では。だって9日朝刊に載ってないんだから。書いてないんだから。

亀松: その経緯を時系列で、そういう観点でまとめてみました。(フリップを見せながら)これ辞任までの経緯なんですけれども、9月8日の昼間に福島第1原発を視察した。その日の夜なんですよね。8日の夜に、そもそもこういうことを言っているかどうかもわからないとはいえ、一応あったとして、「放射能をうつす」という趣旨の発言が10人ぐらい取り囲んでいる中でされた。もしそれが本当に大ニュースだったり、とんでもない発言であれば、翌日の朝刊には出ていてもおかしくないし、ネットにもっと前に出ていてもおかしくない。しかし、9日の午前中まで何もなく、午前中の閣議後会見でいわゆる「死の街」の発言がありました。その後、批判されて発言撤回がありました。さらにその後、先ほど言ったように夕方の6時50分頃になって、最初はフジテレビとされていますが「放射能をうつす」発言が明らかになりました、と。しかも伝聞調で、目撃されたという形で報じられて、あとは一斉に他のメディアが追いかけていくというようなことがあった。

長谷川: そうそう。だからこの8日の時点の、ここのところですね。ここの時点ではもう明らかに一旦オフレコが完全成立しているわけ。何事もなかったらこのまま完全に成立して、一切闇に葬られていたんです。ところが9日になって、「死の街」発言が出たら、突如その日の夕方6時50分にフジテレビは報じたっていうのが経緯で、そのフジテレビさんはこのオフレコの輪には入ってない方なのです。

亀松: 逆に(オフレコの輪に)入っていないから書けるというのはあるんですか。そういうわけではないのですか?

長谷川: それもあると思う。書いた記者さんのために言えば、どこから聞いたのかわからないけど、誰かから聞いたんでしょう。記者仲間かあるいは官僚か、誰かから聞いて、それで「伝聞だけど」と言って書いたわけですよ。この人はもともとオフレコの輪に入ってないから「私は関係ないもんね」という話で書いちゃったっていうのが今回の話なんですよ。ここがとても奇妙なんです。普通こういうことはないですから。

宮崎: 私もう一つ、これはやっぱり別のある記者から聞いて、なんで今回の話がこんな大きくなったのかなっていうのがあった時に、こう言ったのです。つまり「ネットの人たちから、自分たちの報道姿勢がいろいろ攻撃を受ける」と。松本龍さんの発言の時に、最初東北のテレビ局が報じたわけですけれども、新聞各紙はあんまり大きく扱わなかった。確かに扱ったんだけど、あまり大きく扱わなかった。そしたら「お前らは飼い犬か」ということで、大批判を浴びた。今回はそういう話が流れて、そして2ちゃんねるにスレッドがいっぱい立ったりしたので、「俺たちは今回もまたやられる」と。「ネットに叩かれる」と。だから、これを身を守るためには「今度は鉢呂を叩くんだ」ということで、かなり強烈にそういうモチベーションが働いたんだって話をしていたんですね。確かにそういう動きはあるのかもしれないけれども、私も記者をやってた人間として、情報を取捨選択する、あるいは大小の重みをつけるというのは報道機関の仕事の最も中心的な部分なわけで。そこで左右されていいのかなという思いはかなりありました。

柿沢: 構造的な問題で言うと、今回経済部の記者が取り巻いている状況の中で、一旦はオフレコが成立した構造的な要因が何かというと、やはり経済部の記者としては、鉢呂経産大臣を取材し始めたところだったということがあるんだと思うんです。なぜそこでオフレコが成立しやすくなるかというと、要するに政治家が記者を信頼するのは、「こいつは自分が本音をしゃべっても書かない奴だ」と、こう思った時に政治家は本当にその記者を信頼して本音を話すようになるんです。だから書かない記者ほど信用されるという、こういう構造があるので、「オフレコだ」っていう場であれば余計、最初に取り入ろうと思えば書かないということになるわけです。この奇妙な文化。書くために記者が存在しているのに、書かないことによって――政治部のあるいは経済部もそうかも知れません――政治家に食い込もうとするという、こういう奇妙な構造が政治家取材にあるんだと思います。

宮崎: やっぱりこれ政治部の文化で、番記者文化みたいなものが確かにありますよね。いま世の中で一番有名な元番記者っていうのは(読売新聞グループ本社代表取締役会長で主筆の)渡邉恒雄さんという方ですよ。この人、中曽根康弘(元総理大臣)さんの番記者として非常に有名な方で、まさにプレーヤーの一員として政治に関わっていたわけですよね。例えば中曽根さんが誰かに密使を出すという伝言役みたいなのを、渡邉恒雄さんが引き受けてやっていて。これはご本人もいろんなところに書かれてる話だから、秘密でも何でもないわけです。「まさに自分は中曽根の分身であった」的なことを、ほかの方も含めてご本人が言ってる。そういう文化がやはりあったんですよね。それでその人が成長をしていくと、どんどん自分が番記者で付いている政治家が出世をしていって首相あるいは幹事長になろうものなら、自分もそのナントカ新聞政治部の中でどんどん出世をしていって、ちょうど幹事長や首相になるタイミングで政治部長になるみたいな。逆にそのついてた政治家が失脚すると、自分も失脚して窓際に飛ばされていくという。だからこの一種、昭和の文化と言いますか、55年体制下の文化とそれが崩れていく今の時代のせめぎ合いのところで生じたのかなという気は正直します。

(追記)
番組終了後の2011年9月14日18時ごろ、フジテレビよりニコニコ動画に対し「鉢呂前大臣が議員宿舎に戻った際の取材現場には、フジテレビの記者もいました。伝聞に基づいて報道したわけでもありません」との指摘がありました。

■鉢呂氏は国対委員長の経験が仇となった?

アンケート「オフレコの場での話でもしっかりと報道すべきか」

亀松: オフレコうんぬんという話があったんですけど、アンケートを1つ用意しておりまして。オフレコに関してのアンケートをいまご覧になっている皆さんにやりたいと思います。質問は「オフレコの場での話でもしっかりと報道すべきか?」ということです。選択肢は今回4つ(1.「報道すべき」、2.「オフレコでの話は報道すべきでない」、3.「ケースバイケース」、4.「分からない・その他」)用意してあります。(3番の)「ケースバイケース」と言えばそれまでになっちゃうかもしれないけれど・・・。

柿沢: この3番(の選択肢)はないほうが面白いかもしれませんね。

亀松: どうですかね、難しいな。意外と3、4が多くなっちゃうのかなというのが僕の予想です。

長谷川: これは、すぐ結果が出るんですか?

亀松: 結果は・・・はい、お願いします。(画面にアンケート結果が表示される)そうですね、やはり「ケースバイケース」が41.2%で多いですが、「報道すべき」は23.1%、「報道すべきでない」が25.3%、「わからない」が10.4%と。結構「報道すべきでない」と。やはりオフレコはオフレコで守るべきだという人の方が多い。「ケースバイケース」もちょっとそういうニュアンスがあると思うんですけれども、結構「オフレコというのを認めてもいいんじゃないか」という結果かなと。

長谷川: これは「オフレコ」というのがどういうことか、ということをしっかり定義していないから、ちょっとダメだと思うんです。「オフレコ」というのは、僕の定義では1対1です。

亀松: 1対1?

長谷川: 1対1です。1対10だったらオフレコはなしです。だって10人が全員「オフレコを守る」なんて言ったって、そんなの誰かが裏切ったら全部流れちゃうのだから。だから基本的にオフレコというのは1対1ですよ、まず、話の前提として。それから、もうひとつその上にかてて加えて「ケースバイケース」だと思っているんです。

 それは要するに、伝えるべき人の利益をどう考えるかという話で、僕はこのことをよく言うんだけど、戦争がかつてありました。65年前に。その時に「実はもうこれはオフレコだけど戦争は負けているんですよ」という話を聞いたら、報じるべきか、報じないべきか。僕は報じるべきだと思う。かつては全員報じなかった。まったくいま同じことが起きてるんですよ。「実はもう原発は完全にメルトダウンで、放射能は止まらないんですよ」という話を「オフレコだけど」って聞いても、報道すべきかするべきでないか。僕はするべきだと思うんです。そのほうが民のためになるから。だからこれは「ケースバイケース」ですよ。大体、僕の感じでは「オフレコですけども」と言っている人の、まあ僕の経験だと9割は実は「書いてくれ」「僕の出所は伏せてほしいけど実は書いて」と、こういうケースがほとんどです。だって本当に書かないで、「君と僕の2人だけの話」だったらオフレコで話す理由は実はないから。記者に話すということは漏れるということが前提ですよ。

亀松: 誰がしゃべったかというのは伏せてほしいけれども、その話している内容は伝えてほしいという。

柿沢: ただ、その点で言うと、「この放射能をうつしますよ」という趣旨の発言があったという前提に立ちますけれども、そういう意味で言うと、もしこれを仕草なり何なりしたとなれば、鉢呂さんという人はよほど、ある種無防備・無邪気だった。

長谷川: それはそうです。

柿沢: これは世論を操作しようとかいう考え方がまったくなく、お友達にしゃべっている感覚でしゃべっちゃっているということですよね。

長谷川: そう、脇が甘い。

柿沢: そういう意味では、私、ツイッターに書いたんですけれども、やはり民主党の国対委員長をやっている感覚で閣僚になると、やはりこういうことになるのではないかと思うのです。

長谷川: まあ、国対(委員長)なんて握り合いの世界ですからね。はっきり言って全部オフレコだ。

柿沢: そう。国対委員長というのは政局をオフレコ発言で動かす。オフレコの人事を、政治部の記者がみんな知っているからそれが成立する。こういう役割ですよ。でも閣僚になると国家要人ですから、オフレコであろうと何であろうと、不適切な考え方の持ち主だということになれば、報じる価値がただちに生じてしまう。

長谷川: 僕は、閣僚はオフレコなんか絶対ないと思います。

柿沢: そうですよ。だから、閣僚にオフレコ発言は基本的にやはりない。事柄の良し悪し、軽重で判断されて報じられてしまうだけです。

長谷川: その通りです。

柿沢: この認識が、鉢呂さんには十分なかったと。

長谷川: まったくなかった。

宮崎: それは、本人がさっきビデオの中で、会見のビデオの最後で、自分にも多少なりとか若干なりの経験があったので、その経験の中でやってしまったみたいな部分がありましたね。

亀松: なるほど、そうですね。ちょっとそこのV(VTR)をもう一度皆さんと一緒に見てみたいと思います。

(VTRが流れる)

鉢呂: ひとつひとつの記憶が定かでないといっても、責任を持たなければなりません。2日前のことですが、先ほども言いましたが、多分5分か10分の立っての非公式の記者懇談といいますか。私もいろいろと経験してますから、その経験が仇(あだ)になったかたちかと思います。

(VTRここまで)

亀松: はい。今のをもう一度フリップで見てみると、最後に言っていたところですね。「5分から10分の立っての非公式の記者懇談であった」と。「私もいろいろ経験してますから、その経験が仇(あだ)になったと思う」と。「この経験」というのは、実は・・・。

長谷川: 国対(委員長として)の経験。

宮崎: そうです。

亀松: その経験は、実は閣僚になった時にはまさしく仇になってしまったと。

柿沢: 国対委員長というのは、政局を動かす重要な情報をたくさん持っていて、基本的に政治ジャーナリズムというのは政策より政局の動きを追うことに日本の場合は重点を置いてますから、国対委員長が一番重要な情報を持ってるのです。

 それで、国会で通り過ぎると、民主党の国対委員長といったら記者がこんなに取り巻いて情報を取ろうとしてますから、基本的にその国対委員長が言うことを「そうだそうだ」と言って持ち上げる風になるわけです。ちょっとやそっとの下ネタを言ったり、ちょっと過激な言動があったりしても笑って済ませちゃうような、お友達文化にそこはなっちゃっているわけです。それが、記者というのは信頼関係が成立してれば報道しないものであると、オフレコだという暗黙の前提が成立していれば書かないものであるという、そういうある種擦り込みを生んでしまって、閣僚になった時にそれは通じなかった。こういうことなんだと、構造的な要因としては、私は今回そういう風に思ってます。

■「マスメディアの取材精度・スキルが全般的に下がっている」

民主党・宮崎岳志松議員

宮崎: 私は思うんですけど、これは政治の側にも報道の側にも問題があって、やはり政治の側はさっき長谷川先生も仰ったように、閣僚とか少なくとも政府の三役に入ってるような人間はオフレコはなしですよ。話した時に、もう言われる、書かれるということは前提として、すべて書くし、そうじゃなきゃもう応じない。だから夜に当然、議員会館、議員宿舎なんかでぶら下がりなんていうことになる時は、今回の鉢呂さんもそうですけど、朝6時に視察へ出発して夜11時までやって、ヘロヘロになって帰ってきて何言うかわからないわけですよね。あるいは、お酒が入って帰ってくる人たちもいて。そういう状況でのぶら下がり取材なんていうのは、少なくとも政府に入ってる人間はもう受けては駄目だし、受けないのが正しいということです。これは国家的にも正しいということだと思うんです。

 もうひとつは今回まだ報道の人たちがわかってないのは、これだけのオフレコをめぐる話があったのに、まだオフレコ懇談は続くと思っているんですよね。続けるべきだと。これは情報公開であるとかね。これはわれわれの文化なんだみたいな話なんだけども。口滑らせて大臣の首が飛ぶという話が続けば、オフレコ懇談なんか続けられるわけがないわけで。逆に言うと、オフレコに頼らないところの取材手法を確立していかなきゃならないんだけど、そこからはいまだに・・・。新聞なんかをちょっと見てみると「これで報道対応を委縮させるのはおかしい」みたいな書き方がいまだにあるんだけれども、それは当然委縮はするんですよね。だから、ここは長谷川先生なんかはもう全然オフレコを受けていないと思いますけど、文化を変えていくんだと。1対1で信頼関係があって「雑談だ」と、そこでそれは雑談だけど、こいつと絶交する気持ちがあれば書けるよという、そのぐらいシビアに考えるしか、もう報道と政治の関係の未来はないですよね。

長谷川: ないと思います。だから鉢呂先生、今日は僕もありがたかったのは・・・これは1対1ですからね。「差し」なので僕のルールで言ったら1対1だから鉢呂さんが「完全オフレコにしてください」と言ったら、それは事と次第によっては僕も受けるんです。最初に「オフレコですか? オンレコですか?」と。僕は「ぜひ、オンレコでやっていただきたい」と言って実はテープを回しているんです。それでメモも全部取っているんです。それで最後に書く時に「どうしますか?」と。「1対1のやり取りをそのまま書いてもいいですよ」と言いましたけど。「長谷川さん、どうぞ自由に好きなように書いてください」とお任せだったんです。だから私のお任せの記事が明日載りますけども、やはりそういう風に正々堂々としゃべるものは、全部しゃべるという風にやらないとダメなんです。だから、さっきの審議会の話も「これはもうしゃべっていい」という話なので、今日はこうやってしゃべっているんですけど。

 もうひとつ指摘しておきたいのは、さっきの「朝日新聞」の検証記事。「間違いがあるって先ほども言いましたけど、朝日はよく検証してるんです。だけど、これ実は決定的な問題があって、肝心要の鉢呂さんにどうも取材していないですね。これ全部、周辺です。主役は鉢呂さんじゃないですか、だから間違っちゃうわけ。どこが間違ってるかと言うと、この中に「原発周辺に行って放射能の線量計を持ってきて、囲まれた記者に、線量計を覗いて数値を読み上げた」と言うのだけど、これはデタラメ。線量計は持っていません。線量計は鉢呂さんはJヴィレッジで受け取って、Jヴィレッジに返しています。線量計を持ってくるわけないじゃないですか。もともと借りているんだから。それは朝日がどこで取材したのかは知らないけども、肝心の鉢呂さんに取材すればこんなことはあり得ないというのがすぐわかるのに。だから、鉢呂さんも「これは誤報なんだ」と言っていましたよ。ぜひ、それを私に訂正してもらいたくて彼がしゃべったのだと思うけど、そういうことがある。だから何を言いたいかというと、朝日をやり玉に挙げるのが趣旨ではなくて、僕は取材力が落ちているのだと思うんです。

柿沢: その点で言うと、全然関係ない話になっちゃいますけれども、私が衝撃的だったのは、この間行われた民主党代表選挙で、2回目の決選投票の最中に、馬淵(澄夫)さんが海江田(万里)さん「以外」の人に投票するという風に伝えたということを・・・。

亀松: それ、元・在籍された某・・・。

みんなの党・柿沢未途衆議院議員

柿沢: まぁNHKが速報したわけですよ。後になってまったく真逆で、「海江田さんに投票する」ということを馬淵さんが言っていたということがわかって、お詫びも訂正も言わないまま、「正しくは、馬淵氏は海江田氏に投票すると言っていたということです」としれっと言ったんですよね。こんなのもう1人に裏を取れば、必ずわかるはずのことだったと思うんです。私が聞くところだと、あれはその陣営のどなたかの議員が間違ってNHKの記者に伝えたのだということらしいんですが。しかし、それだってもう一本裏取りすればたちどころにわかるはずの話で、それをあの時に、決定的なタイミングで・・・。

長谷川: そう、投票誘導ですよ。あれは投票誘導。

柿沢: 速報したというのは、これは信じられない出来事だと思うんです。

亀松: それこそ宮崎さんがツイッターで・・・。

宮崎: 馬淵さんが、その発言をした時、その場にいましたから。いま柿沢さんが仰ったとおりで、馬淵さんは「自分は海江田さんに投票します」と、「なぜなら政策が近いからだ」と、これは経済政策(に関して)ですけど。ただ、われわれにどうしろということは馬淵さんの口からはなかったんですけど、民主党代表選が始まって、実は投票最中に携帯のメールが入ってきて何事かと見たら、某新聞社の記者から「今、NHKが『海江田さん以外に馬淵さんが投票しろという風に言った』という風に流していますけど、これ本当ですか?」という裏取りのメールなんですよ。僕はさすがにもうそんな状況だったので、そのメールには返しませんでしたけれども。

 後日聞いた話だと「ある人に(話を)聞いて(記事を)書いたんです」と。じゃ「そのある人って推薦人かい、そうじゃないのかい? あるいはその場にいた人かい、そうでもないところかい?」と言ったら、「いや、それは言えません」みたいな話だったけれども。じゃ「それは向こうから『海江田さん以外の人に入れるよ』と言ったの?」と。「それとも、例えば記者さんのほうから質問をして、それに『うん』とか『ああ』とか『はあ』とか答えたっていう、そういうレベルなの?」という話でいったら、これははっきり言いませんでしたけど、どうも後者のほうに近いのかなという話だと思うのです。

 今日も僕、長谷川先生のお話を聞いてびっくりしたんです。(朝日新聞の記事では)「胸ポケットにしまっていた個人用線量計を覗いて、その日に測定された数値の1つを読み上げた」というのでしょう。非常に具体的じゃないですか。

長谷川: ものすごく具体的なの、本当。びっくりしちゃう。

宮崎: かつ、ここに朝日(新聞)の記者は(現場に)いたって書いてある。

長谷川: そう。

宮崎: これ、なぜ見た時に「おっ」と思ったかというと、その前に毎日(新聞)が載っけた記事があったんですけど、そこにその前後のやりとりというのが載っていて、この線量計のエピソードは入っていないんです。(記者が鉢呂氏に)「どうですか?」って聞いたら、「やっぱりすごいと感じた」だか「ひどいと感じた」で、いきなりなすりつけて「放射能をつけたぞ」みたいな話をして、「除染をしっかりやらなきゃね」という流れになっていて。それも一問一答形式になっていて。僕は毎日がそれを書いたのは、少なくともあとで思い出してメモにしてあるか、あるいはこっそり録音してたのかわかりませんけれども、根拠があって書いたのだと思ってたから、まったく違うことがここに書いてあったんで。逆に(朝日新聞の記者は)この記事を書くときに、その毎日の記事を見て書いているはずなんですよね。ここに見た出ている文言は、その現場にいた朝日の記者が書いたんじゃなきゃ、いったい誰がここに書いているのか? というのはまったくわかりませんね。

長谷川: そうですね。「読み上げた」っていうのが不思議。この真実は、彼(鉢呂氏)は自分が今日1日受けた放射線量は85マイクロシーベルトでしたと、それは言っていると。

宮崎: 言っているんですか?

長谷川: 言っている。「85という数字は僕ははっきり覚えている」と、彼はもう何度も言っていた。

柿沢: たぶん朝日の記者はこの覗き込んだ、紙か何かあったんですかね。よくわからないけど。それが見えない場所か何かにいて、線量計だという風に誤認したんですか。

宮崎: 後ろにいたわけですね。

長谷川: 後ろにです。朝日(の記者)は政治部さんと聞いてますけども、それは取り囲んだ後ろにいたんです。前に来たのは経済部記者さんだった。その経済部記者さんを、鉢呂さんは「誰ひとり顔見知りはいなかった。全然誰かわからない。(取り囲んだ記者の)後ろにいた政治部さんは知っていた」と。

宮崎: 逆に言えば、今の「85マイクロシーベルト」って話も、これもかなり印象的なエピソードじゃないですか。だから、毎日新聞がその一問一答みたいなのを、わずか数行のものでしたけれど載せた時に、「放射能をつけるぞ」と言ったかどうかは別にして、つまりこれが何でそういう行動に及んだかの前段の話だから、密接につながっている話ですよね。だから逆に言うと、ほかの会社がここの場にいて聞いているんだったら、何でそのことを一切言わないのか、そこもわからないです。

長谷川: そうなんですね。

亀松: ちょっとこれは僕の完全な推測ということで、ちょっと思い付きを申し上げるんですけど。まったくの推測ですから、それを繰り返し言いますけれども。例えばこういう可能性がないかという、ほとんど推理ドラマの世界ですけど・・・例えば線量計ではなくて、メモに例えば85マイクロシーベルトって書いてあったと。それを読み上げた。後ろの記者が「え、本当ですか?」みたいな(やりとりがあって)。それで(鉢呂氏が)「ほら」って「ほら、やった」とか。

長谷川: それは違う。

亀松: 違いますか。

長谷川: 全然違う。彼はJヴィレッジに昼間に行って線量計を借りた。それで近くまで行って、それでずーっと見て、最後Jヴィレッジで返すわけ。その時に「(値が)85だった」というのが強烈に頭に残っているわけ。それでもうずっと「俺は今日85浴びた。浴びた」ということが頭に残っている。だから記者とその話になったときに「今日は85マイクロシーベルト浴びた」というのがもうぱっと出ているわけ。それは鮮明に覚えていると言う。

柿沢: 真相は、この誤報の部分は恐らく、朝日の記者自身が書いた部分なんだと思うんです。

長谷川: でも、それで・・・。

柿沢: だからこそ、批判的検証が働かなかった。

長谷川: 朝日のために言えば、そこの線量計を持っていたか持っていないかは本質ではないから。

柿沢: まあ本質ではない。

長谷川: でもそれが教えているものが重大な話であるのは、さっきも言ったけど、鉢呂さんご本人に聞いていないから。これはメディア側の、取り巻いた記者側の取材に基づく話だということですよね。

柿沢: それで長谷川さんは大変重要なことを仰ったと思うんですけども、私はいささかの愛社精神を込めて言えば、私はさっきの馬淵さんの話。NHKとしては考えられないような出来事だと思うんです。まず政治を報道によって誘導するというようなことがあってはならないという風に、相当程度教え込まれているメディアでもあるし、裏を取ることについても「間違うぐらいだったら報じない」というスタンスで物を書いている社だと思うんです。私はそういう会社だと思っていましたから、そんなあやふやな単線の情報で、あの決定的な瞬間に速報を流すというのは、私はあの会社としてはあり得ないことだと思いますし、マスメディアの取材の精度・スキルというのがどうも全般的に下がっていることの象徴的なケースなのかなと。

長谷川: だから、それはあの時はNHKだけの話だったけど、今回は皆そろってあやふやな話というか、言ったのか言わないのか、それは水掛け論なんでわからないけれども、少なくともよくわからない話をフジの伝聞情報が出たことによって、それを共同(通信)が追い掛けることによって、各社が一斉に追従してしまったと。

宮崎: 本当に今回の報道の問題というのは、最初に申し上げたと思いますけど、報道が審判じゃなくてプレーヤーになって、このニュース全体に絡んでいるわけですよね。その時に、例えば朝日新聞も読売新聞もそうですけど、鉢呂さんが辞めた時に「本人がどういう発言をしたのか明らかにしなかった」と、それが問題であるかのように書いているんです。それが問題だという視点はあってもいいと思うんです。それが例えば海外に行って、外国との要人の会談の中で問題発言をしたと、そのことが原因になって大臣を辞めなきゃならなくなったんだけれども、マスコミ含めて国民には何があったのかわからないから「それは明らかにしろ」、これはわかります。ところが今回の話は現場に記者がいた話であって、それを明らかにする責任というのは報道機関の側に第一義的にはあるわけです。なぜなら、そちらが書いた話だから。

 ところが、その前後のやりとりはまったく明らかにしないで、ただその一部を切り取って「問題だ」と。問題は問題かもしれないけれども、しかし、その前後のやりとりを明らかにする責任があったし、そこで今の決定的な85マイクロシーベルト。この話、85という数字は覚えていなかったにしても、絶対そこで鉢呂さんが何かの数字を言ったということは、その場にいた記者ならわかっているはずなんですけど、今この場で出てくるまですべての新聞に1つも出てこないというのは、ちょっと異常な状態ですよね。なぜそんなことが起こるのか、事態がよくわからない。

(追記)
番組終了後の2011年9月14日18時ごろ、フジテレビよりニコニコ動画に対し「鉢呂前大臣が議員宿舎に戻った際の取材現場には、フジテレビの記者もいました。伝聞に基づいて報道したわけでもありません」との指摘がありました。

■枝野新経産相へ引き継がれた”鉢呂リスト”

東京新聞論説副主幹・長谷川幸洋氏

亀松: 今と同じような疑問をユーザーの人が持っています。質問がすごいたくさん来ているんですけれど、愛知県の34歳の男性から。ほとんど今と同じようなことですけど、「各社、放射能をつけるという趣旨の発言ということだけは大体似たような記事が出ていますが、その前後の流れがまったくわからない。辞任に追いやってからだいぶ経つのに、そういう詳細が出てこないのはなぜなのでしょうか?」という質問ですが、なぜなんですか。

長谷川: これはニュースとしては、とにかく失言が2つほどあった。まあカギ括弧付きだけどあって、それで大臣が辞任したということで、一応ニュースとしては、新聞が期待する落ち着くべきところに落ち着いちゃったから、これ以上ほじくり出してもしょうがないと、こういう話かなと思っているんです。これがひとつと、それからもうひとつ、ついでにこれは明日の「現代ビジネス」を読んでいただきたいのだけれど、この話に僕は続きがあると思っている。どこに続きがあるかというと、さっき言った総合資源エネルギー調査会の原発反対派のリスト、これを鉢呂さんが持っているんです。

 しかも、枝野(幸男・新経済産業)大臣にそれを引き継いだ。まだ発表になっていない。だから枝野さんどうするのかなと思って。今度の調査会の人事を見ると、単純計算で12人賛成派がいるんだから、反対派が13人になると、25人のリストが出てこないとおかしい。もしもそれが削られて賛成派が多かったら、枝野さんは鉢呂リストを削ったのだということになる。だからこれは枝野さんに対するいわばリトマス試験紙にもなるな、と。

亀松: すごい情報ですね。

長谷川: と私は思っている。

宮崎: すごい情報ですね。まったく知らなかったですね。

亀松: 今、経産省との絡みというのがあったのですけど、実は今、番組をやっている間にニコニコニュースの取材班が電話の取材をしまして、その相手というのは環境エネルギー政策研究所の飯田哲也さん。最近、原発関係でよくメディアに登場しているんですが、その飯田さんのコメントを読み上げます。

 まず、今回の背景に何があるかということですけれども、「これは推測になってしまうところもあるのですが、露骨な誰かの陰謀ということはないだろう」と。まあ、そういうような陰謀というのはないのではないかと。ただ鉢呂さんが『原発ゼロ』という言葉を最初の時に口にしているんですけれども、「そういう鉢呂氏に対して、経産省の中の守旧派が好ましく(ない)印象を持ったということはあり得る」。それから「経産省の記者クラブは、経産省という取材対象に共感・シンパシーを持ってしまう。したがって何か鉢呂氏の悪いネタを探してしまう空気は確かに存在したのではないか。ある種の記者クラブの奴隷根性が背景にあるのではないか」ということを、飯田さんが答えたということです。そういう空気というのはやはりあるんですかね、記者の中に。

長谷川: 空気は日本社会全体にあって、これは山本七平さんが『「空気」の研究』をやって以来、要するに同調圧力です。「みんなが言っているものは、その通りだよね、そうだそうだ」と言ってやるという空気は、もう日本社会で至る所に蔓延している。まあ記者クラブもそうなりつつあると思います。

柿沢: でもそれは、情報を持っている人から、持っている情報を分けてもらうという、そういう立場ですから、記者はある種、言葉は非常に悪いんですけれども「物乞い」のようなところがあるわけで。相手を気分良くさせ、そして相手が望んでいるものを差し上げて、これはお金だったりいろんなものが可能性としてあるわけですけれど。それと引き換えに情報を漏らしてもらうと、そういう商売であることは事実だと思うんです。

宮崎: 一種その、取材対象と一体化するところがありますよね。だから政治部の記者だったら、先ほどの番記者であれば、自分のついていく大物政治家みたいなものと自分を同一視していく。例えば経産省のクラブだったらたぶん、経済部だと思いますけれども、それは主な取材対象というのは大臣でも政治家でもなくて、それは役所の人たちですよね。そういった方と考え方まで同一化していくとか。例えば、これは私も体験してますけれども、警察担当の記者クラブであれば、柿沢先生もやったことあると思いますけれど、やはり自分が警察担当やっている時は批判的に見ようと思っても、警察官と考え方が同じように段々なっていくというところがやっぱりあって。特になんて言うのですか、霞が関というところはそういう巻き込む力が強いところではありますよね。

長谷川: 今日の朝刊、僕もすごい典型的だなと思って。明日どこかの授業でやろうと思っているんだけど、毎日新聞の一面トップ、覚えていらっしゃいます? 今日は環境税ですよ。復興増税を所得税、法人税でやるって話でしょ。温暖化対策税で継続審議になっちゃっているから、あれを復活させて環境税でやろうというアイデアが「政府内で出ている」という。財務省の主税局ですよ、これは。ああいう記事っていうのは、もちろん財務省応援団でなかったら絶対に出ません。だってあれは(記者)クラブの判断基準から言ったら完璧特ダネだから。今まで「復興増税の原資は?」と言ったら所得税と法人税だって皆思っていたわけじゃないですか。そこにまったく新しい温暖化対策税を、タマが乗ってきたわけだから。だから記者クラブ的基準から見たら、今日の毎日新聞一面トップは完璧特ダネなの。だけど、あれは財務省と本当に仲良くなかったら、あんな記事は絶対出ません。

柿沢: 逆に私はあれを見て、いま積み残しになっている税制改正の関連法案を通す方便として、この温暖化対策税を復興財源に使うんだよという・・・。

長谷川: そうそうそう。いろんな思惑があるんです。

柿沢: 野党も含めてこの税制改正法案、全部通してくださいよと。こういうメッセージなんだろうなと思いました。だからいずれにしても、当局者が情報を独占している、独占した情報を選択的に記者に与えて、書かせることによって世論を誘導し相場観を作っていくという。こういうことが構造的にやはりマスメディア報道の中にはあるということ。

長谷川: だからその一番歪んだ形が、今回要するにオフレコと言われている話で、鉢呂さんの「放射能つけちゃった」みたいな本当かどうかわからないような話が、一種の相場観になっちゃったという。

宮崎: いわゆる「検察リーク」みたいな話も昔からありますけれども、例えばA社からE社まで5社あれば、1社に1つずつネタをやって、1つずつ抜かしていって最後にまとめて、決定的な情報は絶対書かせないと。その代わり小さい情報をちょっとずつまいてやるみたいな構造がありますけれども、それに今の話は近いですね。

亀松: わかりました。すみません。先ほどの飯田さんのコメントで、僕が読み違えをしてしまったようなので訂正させていただきます。経産省の守旧派が、鉢呂氏に対して「”好ましくない”印象を持ったということはあり得る」というのが正しい。「好ましい印象」とさっき読んで間違えました。「好ましくない印象を持ったということがあり得る」ということです。すみません。

■「死の街」発言は問題か

アンケート「死の町」発言についてどう思いますか?

亀松: かなり議論が白熱している間に、もう予定の時間を18分ぐらいオーバーしていますが、もうちょっとよろしいでしょうか。今、話がいわゆる非公式の懇談の場での放射能うんぬんというところを焦点にかなりお話が進んだのですが、実は最初に批判されたきっかけというのは、記者会見での発言で、いわゆる人っ子一人いない・・・。

長谷川: 「死の街」ね。

亀松: はい、まさに「死の街」だったという風に言ったところが批判されたんですが、それについて意見が来ていますので読み上げます。福岡県の男性からです。「私は、今回の鉢呂氏の『死の街』発言は、一体どこが悪いのか、いまだに理解できません。放射能に汚染されて、人が、現段階では住めなくなった土地で、誰1人いない町を見た感想として、『死の街』という言葉が出てきたのだと思います。これを新聞・テレビなどのマスコミは、被災者に不謹慎だと一斉に取り上げていましたが、では何と言えば、この町を生々しく表現できたのでしょうか? マスコミの基準として、どの辺りまでなら大臣の発言として許されるのでしょうか?」。いわゆるその言葉を、まさしく今日のタイトル「言葉狩り」というのを付けていますけど、長谷川さんはツイッターで、あまりにも「言葉狩り」的なことが進んでしまうと良くないのではないか、と仰られていましたが、どうですか。

長谷川: 政治家、バッジの皆さんも私も、要するに言葉で商売する仕事なので、言葉に対してはやはり敏感にならざるを得ないんだけど、今回ははっきり言って、福島の方たちの気持ちを本当に感性を持って考えれば、大臣という立場で「死の街」というのはやはり、いかがなものかなという感じはする。でも、僕もどっかのツイッターで指摘されたのだけど、あの日の東京新聞は社会面で「ゴーストタウン」という表現をしているんです。ゴーストタウンだから「幽霊の町」だけど、これは訳せば「死の街」じゃないかということになっちゃって、「ゴーストタウン」はOKで「死の街」はダメだと、そういう議論になっちゃうじゃないですか。それを「言葉狩り」というのであって、あまり生産的でないなと思いますね。

宮崎: 私は自分の感性で言えば、問題はぎりぎりないと思うんです。ただ、結局ボーダーライン上の話であって、ぎりぎり問題か、ぎりぎりで問題じゃないかぐらいの話であって、それは福島の方々を傷つけたのであれば、取り消すことも訂正することも謝ることもいいと思うんだけれども、それが大臣を辞めなきゃならない、辞めるべき理由になるのかどうかというのは正直わかりません。それは本来であれば、辞めるべき大きな理由にはならないと思います。

柿沢: これでみんな「そうだそうだ」言ってたら、ディベートにならないので、あえて僕は申し上げたいんですけれど。これは「問題だ」として報道することは、ある意味では報道機関の自由なんじゃないかと思うのです。その時に世論がどう反応するか、そして総理や官房長官や、同じ責任を共有している閣僚の皆さんがどう思うか、こういうことによって、問題発言であるかどうかが決まってくるわけだと思うんです。

 例えば野田さんが、民主党代表選挙の時だったか、総理になってからだったか、「今回の震災は、千載一遇の、日本経済にとってはチャンスだ」という趣旨の発言をした。これ確か、時事通信か共同通信かどっちかの通信社が、「問題になりそうだ」という報道をしたんですよ。しかしその「千載一遇のチャンス」という発言は、残念ながら、報道した社が思うほどには問題発言として広がらなかった。やっぱり発言の内容が世論にどう受け止められるかということがなければ、「問題だ。問題だ」と、1社が騒ぎ立てても結局広がらないということなのだと思うんです。

宮崎: 柿沢先生が仰ることはその通りで、つまり例えば主要紙が5つぐらいあったりとか、テレビと通信社を合わせれば10個くらいのメディアがあると思うんですけど、そのうちの例えば3つぐらいが「これは問題だ」と、よその社は「そうでもないんじゃないか」みたいなバランス感覚が働いていれば、僕はいいと思うんです。ところが全社一斉にわーっという風にいきなり書くと、そしてしかも「進退問題に発展しそうだ」という風に・・・。

長谷川: そこがステレオタイプなんだよね。

宮崎: そう。発展しそうだといって、それは誰に取材をして、本当に発展しそうかどうか、僕はあの日の時点ではわからなかったと思うんです。はっきり言って、あの時点で「鉢呂さん辞めなきゃいけないよね」って言った与党の人はほとんどいないと思うし、野党の人はそれは「辞めろ」って言うのが仕事なんだから言いますけど、本当に首を取りに行くような気概はなかったはずなんですよね。ところが全紙一斉に「死の街」だって言って、「不謹慎だ」と書いて、かつその後ろに「福島の皆さんは怒ってる。進退問題に発展しそうだ」みたいなものがつく時に、それは何を根拠に書いているのか分からないんですよね。僕は「問題だ」って指摘するのはいいと思うんですけど。実際に怒りの声が澎湃(ほうはい)とわき起こって、いろいろ投書が来たりするんでしょう。また、党内からもあるいは野党からも、大きな声が上がってきて、その段階で「進退問題に発展しそうだ」って書けばいい話で、なんで事前に書くのかがよくわからない。

亀松: そうですね。そこのところ、ニコニコニュースって時事通信からしか受けていないので、時事通信になっちゃうのですが・・・。ほとんどほかのメディアも似たような表現を使っているんですけど、「問題だ」「おかしい」って指摘しているのならまだいいのですが、実はその新聞とかの書き方っていつもすごい曖昧でですね。時事通信はこういう書き方をしているのですが、鉢呂さんが「『周辺の町村の市街地は、人っ子一人いない、まさに死の町という形でした』と述べた。周辺住民は原発事故で避難を強いられており、論議を呼ぶ可能性がある」。

柿沢: 逆に言うと――これはもうディベートだと割り切って、あえて宮崎さんや長谷川さんと違うことを言いますけれども、進退論に、進退問題につながる可能性があると書くからには、僕は政治部の記者だと思うんですけれども、書いている記者は例えば「これ問責(問責決議案)出されたら、マズいですよね」って、民主党の幹部か何かに宛てて、「これは確かにマズいね」と、「結局辞めざるを得ないかもしれないな」ぐらいのところは、実は僕はやはり(言質を)取っているんじゃないかと思うんですけどね。だからそんな簡単に、一番最初にはやっぱり「問題となる可能性がある」みたいなところから始めていくのが流儀であって、翌日くらいに「辞任論が出てきた」とか「進退問題に波及する可能性が出てきた」とかなるわけです。その一晩でやはり言質を取っているんだと思うんです。

宮崎: 僕は、一報では取っていない可能性が高いと思いますけど、それははっきり言って分かりません。ただ、今仰った「周辺住民は原発事故で避難を強いられており、議論を呼ぶ可能性がある」ということは、つまり、判断をしてないわけですよ。つまり、これはほかの会社も同じです。地域住民が怒っている、あるいは怒る可能性がある、与党内から辞任論が広がる可能性がある、野党が強硬に辞任を求める可能性があるというのは、全部人に判断を投げている話です。つまり時事通信でも何新聞でもいいんですけど、「この発言が問題かどうかは、私は判断しませんけど、皆さんが怒っていますよ」という書き方になっているんですね。これは非常にある意味、腰が引けてるっていうか、逆に言うと無責任な書き方なんですよね。

亀松: わかりました。では、この「死の街」の発言について、またアンケートをやってみたいんですけれども。

長谷川: まだやるの?(笑)

亀松: 結構しつこいんです。「死の街」発言についてどう思いますか? 1.大臣の発言として許される。2.許されない。もう2択です。何かいろいろ「亀松は取材に行けよ」とか・・・「ニコニコニュースの記者になりたい」とかいろいろ入っておりますが・・・一応、記者募集中です。はい、結果お願いします。

 (アンケートと結果が画面に映し出される)
 1.大臣の発言として許される(84.2%)、2.許されない(15.8%)

長谷川: 許されるんだ。

亀松: 高いですね。

長谷川: 冷静だと思いますよ。

亀松: 「許される」が84.2%、「許されない」が15.8%。

長谷川: この今日の番組見てるからね。

亀松: そうですね。なるほど。はい、ありがとうございます。

■政治ジャーナリズムは見直しを迫られている

1時間半以上にわたり鋭い議論が繰り広げられた

亀松: もう1時間半にわたって長くやってきましたので、そろそろまとめという感じでいきたいと思うんですが。改めてというか、宮崎さんから、今回の辞任騒動だったり、辞任に至る報道に関して、もし問題があるとすれば何が一番問題だったと思いますか。

宮崎: 何度も言っていますように、今回は報道はプレーヤーだったのだと、選手としてグラウンドに降りていた人であって、中立でアンパイヤ(審判)をしたわけじゃない。しかし報道の仕方と言うのは、実は自分たちがプレーヤーでなくて審判であるかのような報道の仕方を、各社ともずっと続けてきたというのが一つの問題。もう一つはやはりオフレコのあり方というのを、どの程度認識していたのかというところの覚悟がなかった。鉢呂さんの話を直接聞いて、鉢呂さんがそういう発言をしたという前提に立ってですけども、直接聞いて、「俺はあの発言はどうしても許せない。大臣の資質がないと思う。だからオフレコだけど、それは断った上で書く」というのは、ある意味で記者の決断としてはありだと思うんですけど、実は「みんな書いているからいいよね。許されるよね。自分たちの責任じゃないよね」というところから終始抜け出せなかったというのは問題だと思う。

 私は、鉢呂さんは個人的には好きな方なので、大臣を辞めてほしくなかったんですけど、それはそれとして、例えば公の場でもし本当に「放射能うつすぞ」と言ったら、これは即時辞任の言葉です。これはやはり即時辞任の言葉なんだけども、みんながまさに辞任に追い込むことが目的みたいな形になってしまっていたところは、大変問題だと思います。

亀松: 柿沢さん、いかがですか。

柿沢: 日本の政治ジャーナリズムの文化として、やはり人を取り囲んで良い気分にする、政治家は結局人に取り囲まれて持ち上げてくれる、その状況になることが一番良い気分ですから、そういう形でその情報を取り、また一方で政治家は無防備になってものを話すという、このスタイルの取材が、政治家に対する取材のある種スタンダードになってしまっていることが、やはり見直しを迫られているということなのではないかという風に思います。

 政治家の側は、やはりもう少し自分は公人であるというか、特に閣僚の方はそういう意味ではオンレコ、オフレコの差異は無いのだということを、もうちょっと意識しなければいけないと思いますし、また政治ジャーナリズムに属する人たちは、ある意味ではオフレコで情報を独占して、それを選択的に報じることによって、自分たちが政局を動かせるという、こういう体質に染まってしまっていることを、やはりもう一回見詰め直さなきゃいけないと、こういうことなんじゃないかと思います。

亀松: 柿沢さん、今は政治家の側にいて取材を受けることがあると思うんですが、何か気をつけていることはあるんですか?

柿沢: そういう意味で言うと、これ同情的に思われるといけないんですけれど、しかし鉢呂さんもこういうことが問題になって、足を引っ掛けられて転ばされるなんて想像だにしなかったと思うんです。そのぐらい、やはり閣僚の立場になるということは、自分の置かれている環境を激変させるということじゃないかと思うんです。ですから、私は確かにいち衆議院議員として取材をされる場合がありますけども、しかし私のようなレベルの人間が何を言っても、よほどの非常識な発言でない限りは問題にならないことの方が多い。しかし、やはり閣僚の場合はもう2ミリ位常識の範囲からずれただけで大問題になって、こういう(辞任への)流れが作られてしまう。この「これまで」と「閣僚になってから」の違いには、全くそういう意味では、鉢呂さんは驚くほどの違いに、やはり戸惑いも覚えられたと思うし、いまだに何が起きたか、ある意味では理解できないようなお気持ちなのではないかと思います。

長谷川: そうだと思う。

亀松: わかりました。最後の言葉という形でいただいているんですけど、長谷川さんは一つは「何が問題か?」というところですね。

長谷川: 何かぶち壊すようなことを言うようだけど、僕はこんな5人も6人もみんな寄って集まって、政治家を輪になってかかって同じようなことを報道するという、こういうことをもう辞めた方がいいと。そんなことをやったって、政治の本当のところは全然見えない。特にいま民主党がやっている政治って、かなり外で見ていたってすごく分かりやすくて、それをいくら政治家の後ろをくっ付いて発言、片言隻句(へんげんせきく)を書いてみたところで、政治の本質なんてわからないですよ。そういうことばかり今、やり過ぎている。そのすごいつまらない話が、今回のようなこういう、すごいつまらない話だと僕は思うけど。もっと肝心要の例えば「エネルギー政策をどうするんですか」「この政治家はどういう風に考えているの?」とか、例えばそういうもっと本当の政策の幹の部分を報じないから、こういうつまらないことが続いていると思います。そういうメディアは、はっきり言ってもうつまらないですよ、というのが僕の感じ。

ニコニコニュースの亀松太郎編集長の問いかけに視聴者が答える

亀松: なるほど、わかりました。では、最後に(視聴者の)皆さんコメントを書き込んでもらえるといいんですけど「何が問題だと思いますか?」まぁ「問題だと思わない」というのでも良いのですけども、コメントをいただければ。何かいろいろ・・・「フジ、フジ」(コメント内容)フジが問題。「記者クラブ」(コメント内容)記者クラブの問題というのは、やはりあるんですか? こういうことになっちゃう、いわゆる政局中心になっちゃうような・・・「記者クラブ」「記者クラブ」と今コメントがいっぱい入っていますけど。

長谷川: 記者クラブなんて、ただの枠組みですから、そんなものは有っても無くても本質では無くて、問題はその記者という人たちが、クラブとかそういう枠組みとは別に、どのくらい自由に取材を発想できるかという話です。それは記者個人の話ではなくて、部長なり編集局長なり、そういう社全体がみんなそうやって張り付けて、「おまえ、とにかくそこのクラブであったことを細大漏らさず全部活字に起こしてメールを寄こせ」みたいな、そういう取材体制をさせているからダメなので、現場の記者も可哀想というか、みんなバカなことをやっているなと内心思っているのではないかと思いますけどね。

宮崎: 今、例えばフリーの人が入れないとか何とかという話があったんですけど、多分あのぶら下がり自体は、フリーの人も入れるんです。記者証みたいな物さえあれば、記者クラブに入っていなくても、当然そこで鉢呂さんにぶら下がる人は、経済部だとか政治部だとか何クラブだとかって関係ないですから。ただ、バカらしくてやらないですよね。つまりそこでぶら下がるというのは、独自の情報を得るという話よりは、皆さんと横並びで落とさないようにということが1つと、あとは何となく政治全体の流れというか政局の流れを読むための材料を取るという話で、先ほど長谷川先生が仰った通り、はなはだつまらない話です。何の意味もある意味ない話なんですよね。だから、そんなことをやっていて、夜中まであんなところに張り込んで、そんな取材をすることに何の意味があるのかなと。自分の反省も込めて、私も社会部でずいぶん検事さんとか警察官とかやりましたけど、1対1で会えるのなら独自の情報を引き出せてというのがありますけども、ちょっと皆で囲むというのは、もう辞めようよという気がしますね。

柿沢: ただ、あえて私の役回りとして違うことを言おうとすれば・・・。

亀松: 野党だから。野党関係ないけれど(笑)。

柿沢: ニュースは、読者がいないと成立しないわけです。大ニュースは大読者がいないと成立しないはずのものなんです。そういう意味では、メディアといえども市場原理に基づいてやっている民間企業ですから、その記事が大きく反響を呼べば、それを大きく書いてしまう。結局、その政局報道を政策に関する丹念な検証よりも、これは小難しいから面倒くさいということで、より注目を政局に対してしてしまう。これは読者、視聴者の側の問題でもあるんじゃないかと、あえて挑発的に私は言いたいと思います。

亀松: よく「国民は自分以上の政治家を持てない」というような言葉がありますけど、やっぱり新聞とかテレビも読者のレベルに、ある意味合わせざるを得ないというところもあるんですよね。

柿沢: PRを含めて言えば、あとはこの通常国会で、議員立法みたいな法案をパカパカ一生懸命出してきたんですけども、出すたびにこんなベタ記事で、「みんなの党はこんな法案を出しました。以上」みたいなことしかやっぱり書いてもらえないんですよね。「中身がどうで、どちらが理に適っているか」とかいう議論よりも、やはり「あの人とこの人が実は密会していたことが分かった」みたいなことが、こんなに(両手で大きさを描く)デカイわけです。やはりそれは読者がいるからだろうな、という風に思うしかないわけです。

亀松: そこら辺は、変わりそうですか。

長谷川: こうやって、こういう番組でもやっているぐらいだから、僕は少しずつ変わりつつあるのではないかなと。特に3.11以降は、ツイッターもすごく人数が増えたらしいし、劇的に変わりつつあるような気はしますけどね。

宮崎: オフレコ懇談を、閣僚とか副大臣の政務官ぐらいまで全員やめにすると、それは一種変わってくると思いますね。

亀松: くるかもしれない。

宮崎: すごい批判を受けるかもしれないけど、僕はそれでいいと思います。それで、それぞれの人で努力して、あるいはそのオンの世界で勝負しろという風にやってみたらいいんじゃないですかね。

長谷川: そうそう。それでも良いと思いますね。

柿沢: でも自分の家に帰ってきたら、記者が行列を成しているという状態を見ることが喜びだという(笑)、そういう政治家の体質もあるんだということも、また考えなければ。

亀松: わかりました。今日はだいぶ時間も超過してお送りしましたけれども、いかがでしたでしょうか。わかりやすいニュースも良いのですが、できるだけ政策的な、地味な、みんなの党のニュースにも注目して下さい(笑)。ということで締めたいと思います。今日はどうもありがとうございました。

全員: ありがとうございました。

(了)

(追記)
番組終了後の2011年9月14日18時ごろ、フジテレビよりニコニコ動画に対し「鉢呂前大臣が議員宿舎に戻った際の取材現場には、フジテレビの記者もいました。伝聞に基づいて報道したわけでもありません」との指摘がありました。

◇関連サイト
・[ニコニコ生放送] 全文書き起こし部分から視聴 – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv63596409?po=news&ref=news#35:48

(協力・書き起こし.com

【関連記事】
「放射能うつす」発言報道の裏側で何があったのか 検証番組全文書き起こし(前編)
鉢呂経産相の辞任は記者クラブによる「言葉狩り」か? 失言報道の在り方を考える
藤村官房長官「報道規制するつもりない」 輿石幹事長の発言めぐる批判で
民主・輿石幹事長「マスコミ対応も含めて情報管理を徹底する」
「不適切な言動での辞任は残念」 野田首相、公式ブログで鉢呂前経産相に言及

  1. HOME
  2. 生活・趣味
  3. 「放射能うつす」発言報道の裏側で何があったのか 検証番組全文書き起こし(後編)
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。