ムスリムの人たち
今回はKenさんのブログ『Tokyo Life』からご寄稿いただきました。
ムスリムの人たち
またラマダンの季節が近づいてきました。正式には地域のイマームが月を見て決めるので数日のズレが起きることもあるんですが、今年は8月1日からの予定です。日の出から日没までは飲食しないことになっているので、夏のラマダンは辛そうですね。
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「ムスリム(イスラム教の人)は、」と言っても、原理主義の人もいれば「ビールはスピリッツじゃない」と言って飲んでる甘々の世俗主義の人もいるし、シーア派もいればスンニ派もいて、スーフィーもいるので、一言で括ることはできません。それに他人の信条のことをとやかく言うのは礼儀正しいことではないとも思うんですけど、中東にしばらく住んだこともあってアラブ人、ムスリムとのおつきあいが普通に日本に住んでる日本人よりは多かったと思うので、私の個人的な印象ですけど、ムスリムのものの考え方で気付いたことをちょっとだけ。
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ラマダンにしてもそうなんですけど、イスラム教にはいろいろと掟(おきて)があるのはご存知だと思います。六信・五行といって、具体的にその内容が定められています。六信には“アッラーを信じること”とか“来世の存在を信じること”とかが入っているし、五行には、“信仰告白” “礼拝” “喜捨” “断食” “巡礼”が決められています。その他にも、アルコールを飲まないとか、豚を食べないとか、豚以外の家畜も教えに則った方法でさばいたものでないといけないとか(“ハラール”ですよ)そういうのもある。
一日5回のお祈りとか傍目にはやっかいだなぁとか思うし、食べ物の忌避もめんどくさそうだし、イスラム教は戒律の厳しい宗教のように見えます。
ところが、ここからが面白いなと思うんですけど、これ、逆に言えば、無意識的なのだろうと思いますけど「この戒律さえ守っていれば問題ない」ということになっちゃうんです。もっとあからさまに言ってしまえば、人生の正解が既に提示されている。コーランで正しい人生を送るための作法が提示されていて、それさえ守っていればOK、という思考回路になっちゃってる人が多いんです。
だから、できるだけ働かず楽して金もうけすることを考え、ぜい沢三昧することにもなんの躊躇(ちゅうちょ)も戸惑いもない。なぜなら、イスラムの教えは守っているから。正しい人生を送っているから。よく生きるとはどういうことかと深く悩んだりしない。よく生きるとは、コーランの教えに忠実に生きることだから。そう考えると、湾岸諸国の金持ちアラブ人の鼻持ちならない態度もなんとなく理解できる。金にあかせてやりたい放題でも、イスラム教の戒律は厳密に守っているんだろうと思いますよ。
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どの宗教にも多かれ少なかれ“人生に解を与える”側面があります。つまるところ、人が生まれ死んでいくという究極の理不尽に対して、なんらかの指針を与え、心の平安を与えようとするのが宗教の役割だったりしますので。そして、イスラム教はその機能がものすごく明快な宗教だなぁと思うのです。
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というのは、イスラム教のひとつの側面であって、みんながみんなそうではありません。でも、こういう思考回路の人がそれなりにたくさんいたし、またちょっとうらやましくも感じましたよ。現世利益をフルに使って人生を可能な限り楽しむということに長けている人たち。なんやかんやとウジウジ悩んで、年に3万人以上も自殺してしまう国の人から見ると、その割り切りの良さを見習うべきところもあるなと思ったりもして。
しかしまあ、私はムスリムにはなれそうにはないんですけどね。
執筆: この記事はKenさんのブログ『Tokyo Life』からご寄稿いただきました。
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