視聴者「”テレビで家族団らん”という、その感覚がイヤ」 アナログ停波特番(4)
アナログテレビ放送の終了で「テレビというメディアはどこへ向かうのか」を検証する番組「アナログ停波特番『テレビはどこへ行く』」が2011年7月25日に放送された。番組では、視聴者からの質問に答えるかたちで「これからのテレビ」について議論された。出演者から、茶の間にしか地デジ対応テレビが置かれていない今がテレビ業界にとって「チャンス」だという声があがる一方、視聴者からは「テレビで家族団欒というその感覚がすごい嫌だ」という意見も寄せられた。
ゴールデンに出ようとは「1ミリも思わず深夜番組を作った」 アナログ停波特番(3)
http://news.nicovideo.jp/watch/nw91612
以下、番組を全文書き起こすかたちで紹介する。
■「ツイッターがあれば北川悦吏子さんが復活する」
津田大介氏(以下、津田): (ニコニコ動画の)コメントとかツイッターなんかを見ていると、やっぱりちょっと今日の話の中でいうと「新・週刊フジテレビ批評」とかで、「昔のテレビは良かったという話に終始していて、それが今のテレビのメディアの限界を示しているのではないか」と結構厳しい意見がきているなと思うのですが。なんとなくやっぱり僕も体感としてテレビを昔のほうが観ていたし、たぶん思春期に観ていたという「思い出補正」もあると思いつつも、やっぱり客観的にみていろいろ規制が多くなったのかも知れない。もしくはいろいろ制作費もなくなってしまったのかもしれない。
いろんな面白い人がどんどん他の業界に流出したのかも知れない。いろんな理由でやっぱりテレビというのが、たぶん今は本当にどメジャーなメディアになれていないというのもあるのですが、昔と今のテレビ界とは大きく違うとこはどこなんですか、宇野さんから聞いてみようかな。
宇野常寛氏(以下、宇野): 僕はですね、僕自身はテレビが好きなので、何かちょっとポジティブな話をしたいと思うのです。僕はインターネットとテレビは、こういう番組があるとどうしても対立してしまうんですけど、むしろ積極的に結託できると思うんですよ。つまり”実況”ですよね、2ちゃんねるとかツイッターで実況をすることでクソつまらないドラマも突っ込みながら観れば面白い、とかあるわけですよ。まさに「ニコ動」とはそういう快楽なんですよね。
津田: あれは面白かったですよ、「素直になれなくて」は。
宇野: 「素直れ」、最高でしょ。
津田: あれはツイッターをやりながら観るとあんなに面白いドラマはなかったですから。
宇野: ツイッターがあれば(脚本家の)北川(悦吏子)さんが復活するんです。これ21世紀で起きた最大の奇跡のひとつです、これは。
津田: そこまでは言わないけど。
宇野: それぐらい人間のコミュニケーションとはすごく楽しい。「ガンダム」のアニメよりも(世界観を成す)宇宙世紀の架空年表について友達と話したりするほうが楽しいというファンはいっぱいいるわけですよ。だから今インターネットはスカイプを繋ぎっぱなしでもできるし、コミュニケーションのコストはゼロに近づいている。単に放送を観るだけではなくて、その放送について皆で突っ込んだりとか皆で意見を交換したりとか、コメントをつけることによって何かその楽しさを1.5倍とか2倍にしていく。テレビって、僕はそういうのに一番向いていると思うんですよ。
津田: パブリックビューイングをさせるメディアではたぶん・・・。
宇野: 映画とか本では絶対にできないんですよね。今やっぱり本もそうだし、津田さんの詳しいところだと音楽CDもそうなんだけど、やはり携帯電話の料金にお金を取られて、スカイプとインターネットに時間をとられて皆ソフトが売れなくなっているわけじゃないですか。だから、コンテンツの敵とはコンテンツではなくて僕はコミュニケーションだと思うんです。それを考えたとき、テレビというのは実は一番コミュニケーションと結託しやすい。
津田: まあ、起点になっていますよね。
宇野: コミュニケーションを使ってむしろ面白くすることが一番しやすいのが、僕はテレビではないかと思うのですよ。
■「テレビはお茶の間のものではなくなった」
津田: 吉田さん、先ほど「ニコ動にテレビは学ぶべき」というご意見がありましたけど、テレビが今の地デジになっていったなかでインタラクティビティとか、テレビもこういうニコ動みたいにコメントが流れるようにするべきなのか、それともこれはネット放送として面白いものとして、テレビは今のテレビの中で何かインタラクティビティを別の形で入れていったほうがいいのか、その辺りをどう考えますか?
吉田: 今僕は、宇野さんの意見に100%賛成です。さっき「浅い」といってごめんなさいね。僕は共有口があって、皆でテレビをおもちゃにしないといけないと思っているんです。「8時だョ!全員集合」の時代には、あれを何で観ていたかというと、月曜日に学校へ行って話が合わないから。「月曜日に学校へ行って話す」という共同体とコミュニケーションがあったわけですが、今は携帯かあるいはツイッターか何でもいい、スカイプでもいい。それですぐにコミュニケーションはとれちゃう。でもその場はどこにするのかというのは、ちょっと今あみ出せていないということかな。
津田: まあ、お茶の間ではなくなった。そして学校の教室でもなくなったときにということなのかな。
吉田正樹氏(以下、吉田): でも今日、地デジ化というのはとてもチャンスで、全部屋のテレビはまだ買い換えられていない。大きなテレビはまだお茶の間に1個買ってそれで集まって皆観ているんだそうですよ。日韓で共催の時のサッカー(W杯)と、この間の南アフリカの時って、視聴率は前のほうがいい。こっちのほうが盛り上がっているのに数字は下がるというのはどういうことかというと、ひとつはパブリックビューイングがすごく下がるのに観たのではないか。それから今までは3台のテレビで分けて観たのに、皆集まってデカイ綺麗なデジタルで観たのではないかとか、いろいろな仮説が言われているのですけども。テレビを皆で観るという機運はちょっと高まっていると思うんです。そうするとテレビはとてもいい方向に。
津田: 池田さん、どうお考えですか。
池田信夫氏(以下、池田): それは昔に戻っているだけで、やっぱり基本的には皆がそれぞれ個別に端末というか画面を持つ時代にそれはなる。今は過渡的にそれを全部言ったからそうなってしまっているけど、やっぱり基本的にはこういうタブレットとか、あるいはスマートフォンとか僕はそういうものがこれからの生活の中核になってくるだろうと思うわけですよ。今のテレビというのは、僕はスマートフォンのソースとして入ると思うけども、たぶん画面が個人化してくるという傾向は、長い目で見るとおそらくそんなには変らないだろうと。だから今までは要するにハードウエアとしてお茶の間のテレビしかなかったから、皆それを観ながら飯を食ったりとかしていたけど、今はほとんど1人に1台画面を持つようになってきたわけだから、それは基本的にはどんどんメディアは個人化していくという傾向はたぶん変らないだろうし、そうすると今まで持っていたテレビの役割というのも、良い悪いを別にして薄まっていくだろうと。それは言ってみれば、テレビがスマートフォンなんかに出てくる素材のひとつになっていくということではないかなと。
津田: 福原さんは、今この一連の議論はどう捉えていますか?
福原伸治氏(以下、福原): だから今テレビがつまらないとかって言われるのは、これはやっぱり僕ら制作者の側に問題があるのではないかと思うのですよね。やっぱりその、面白くすることという風なのは、もっともっと真剣に考えないといけない、一生懸命考えないといけないし、そのためにはそれこそ宇野くんの言うようなソーシャルメディアの力をどういう風にして借りるか。あるいはソーシャルメディアにどうやって繋がるかというようなことが、たぶん今一番、僕らに問われていることではないかという風に思うんです。池田先生の仰るようなパーソナルになってくるんですけど、やっぱりそれでも街頭テレビが昔盛り上がったように、それこそツイッターとかで皆同じように盛り上がるというのも、あれもバーチャルな街頭テレビではないかという感じがするんです。だから個になっていけばいくほど皆もうちょっと繋がりを求めたがるのではないかな。それを一緒に繋ぐものというのは、まだまだテレビというのはその力はあるのではないかと。僕らもそのポテンシャルを使い切っていないのではないかという風に思うわけですよ。
津田: 今、僕すごいニコ生のコメントを見ていてすっごく気になったコメントがあって、「テレビで家族団欒というその感覚がすごい嫌だ」というコメントがあった。これ僕からすると考えられないというか、昔はやっぱりご飯の時にとりあえずつけたりとか、僕も実家に帰るとやっぱり大晦日とかなんだかんだテレビをつけて、そのテレビの内容でコミュニケーションの起点にしていたという、そのものテレビはたぶん家族団欒のコミュニケーションを円滑にするツールという感覚が嫌だみたいな、たぶん若くてニコ動を観ている層には一定数いると思うんです。そういう時代に家族で共有できることがたぶん無理になっていくのか、それともそういう番組作りが今できていないのか、どっちなんですかね。
吉田: それはテレビの問題ではなくて家族の問題ですね。
宇野: でも、それができるとすごいことになってしまうんですよ、「化け物コンテンツ」になるわけですよね。最近のAKB48とかもそうだし、たぶん「紅白」が成功しているのもそれを数少なく成し得てしまっているからだと思うんですよ。ただ僕個人の話で言うと、どちらかというと深夜のアニメとか深夜のドラマとか観ながら、これを観ながら友達と話せていたら面白いだろうなとずっと思ってきた人間なので、今の気軽にハッシュタグを覗ける環境というのは、すごくテレビが面白く観られる時代になったという感じがありますね。
津田: なるほどね。
池田: 面白さのものさしがすごく多様化してしまっているから、それこそ僕が昔、番組を作ったころというと、やっぱりそれは何かこうバブルが崩壊したら「不良債権」とか、そういう皆が関心を持つのが大体わかっていたわけですよ。でも今は例えば、「原発事故」としましょうか。原発事故でこれほど山のようにネット上に情報が出ている時に、3ヶカ月くらい経ってから「NHKスペシャル」でまとめみたいな番組をやっても、全然新しいことをやっていないみたいなことになっちゃう。つまり、もうネットで一次情報が出ちゃっているから、「テレビが皆さんの共通の関心事だよ」という風に、もうおそらくならないんですよね。
津田: こういう、特にアナログが終了してしまったことをきっかけにもうテレビを観なくていいや、というそんな高齢者の人もたぶんいるかも知れないし、逆に若者なんかもこれをきっかけに観なくなってしまう人もいるかも知れない一方で、さっき吉田さんがこの地デジ化というのはチャンスではないかということも仰っていたんですけど、具体的には何かどこに一番チャンスの芽みたいなのを見ていらっしゃいますか。
吉田: 地デジ化がチャンスかどうかは別として、さっき池田先生が仰った、その端末はそれぞれが持つでしょう、たぶん。だけどその中で、皆が同じものを観るのかバラバラに別々のものを観るのかではだいぶ意見が違うと思う。僕は意外と皆は同じものを観たがっているのではないかという予感はしています。それはなぜかというと、共有をしたいから。それは別に時差があってもいいわけ。デジタルになっていいのは時間差で観られる可能性が出てきたわけですよね、いろんな形でそれは。GoogleTVとかなんでもいい。今リアルタイムで観なくてもいい状況にはなるかも知れない。
津田: そういうインタラクティビティみたいなものとか、ぐだぐだみたいなところも含めたものを、リアルタイム性みたいなものをテレビにも導入すべきという文脈で言うと、もっとテレビに生放送がまたどんどん増えたほうがいいのではないかという議論もあるかと思うのですけど、その辺はどうお考えですか。
吉田: 個人的には増えたほうがいいと思いますよね。
福原: だから、作り込んだもの、やっぱりテレビでしかできないものというのがあるじゃない。それなりの資本をかけてそれなりのことをやるというのもそれは必要だと思うし、生放送という風なものはやっぱりテレビ、まあニコ生なんていうのはそれをお株を奪うようなそういう形になるんですけど、やっぱり生で皆で共有して観る。共有して何かを楽しむというようなことがこれから増えていくのではないかと。
津田: やっぱり本当に圧倒的にニコ動のコメントを観ていると、「家族皆でテレビを観るなんてあり得ない」という声がすごく多いんですよね。
福原: そういう人がニコ動を観ている。
津田: ここというのは、融合していけるんですかね。宇野さんどう思いますか。
宇野: ちょっとずれるかもしれないんですけど、今例えば深夜のテレビアニメなんか典型例だと思うんですが、みんな週に1回のお祭りだと思っていると思うんです。どうせソフト化されることもわかっているし、みんな録画もしてるんですよ。なのに、何でわざわざ深夜の2時とか1時半とかにテレビの前にいるのかというと、みんなで一斉に実況とかして同じ時間を体験するっていう、その繋がりを味わってるんですよね。なので、みんなの繋がりの求め方みたいなものコミュニケーション感みたいなものが変わっちゃっているんですよね。そこが一番大きいんじゃないかなと思いますね。
■視聴者「どこの局を見ても、これといった差や個性を感じない」
津田: ちょっと、メールがいくつか来ているので、読ませてください。メールは、どちらにしても別の番組にしなきゃいけないんじゃないかっていうぐらい、報道関係のものが多い。ニコニコネーム「南国少年」さん。「”報道操作”とまではいきませんが、今のテレビはどうも特定の方向に無理やり誘導しているとしか思えません。今後番組を作っていくに当たって、そういうことはやめた方がいいと思うのですが、どうでしょうか」これはある種のまたネット的な、典型的な意見かなと思います。
もう1通いきましょうか。ニコニコネーム「トミー」さん。「いっそのこと、学校でテレビはやらせをやるよと教えてはどうでしょうか? その上でテレビが演出を自由にやるようになれば、テレビ番組は面白くなるし、国民はリテラシーに目を向けるようになるし、誰も不幸せにならないと思うのですが」。こういったメディアリテラシーは、テレビっていうのはある程度文脈があって放送しているんだよっていうのは、アメリカとかオーストラリアとかイギリスなんかだと、学校の授業で教えたりもして、ようやく今も文科省の中でも、そういうメディアリテラシーを教えなきゃというのが始まったぐらいでしょうけど。まあ実際どこまでいくのかどうなのかなというのもありますが。
もう1通読ませてください。「最近はどこの局を見ていても、これといった差や個性を感じられません。この局はニュースがしっかりしている、この局はドラマに力を入れているなど、そういった違いがなく、どの局を見てもかわらないような状況だと思います。そのせいでテレビ離れが進んでいると言っても過言ではないのじゃないでしょうか。パネラーの皆さんは、これから地上デジタルになり、国民をテレビに引き戻すにはどうしたらいいとお考えでしょうか」池田さんどう思いますか。
池田: うーん。
津田: 無個性化っていうとこに、逆に昔は高齢者だけをターゲットにしてたNHKが今一番、吉田さんもさっき「尖った」って話はしてましたけど、結果的には一番尖っているようになっているっていう状況自体が、この無個性化の裏返しっていう言い方なのかも知れないですけど。
池田: よく言われるのはやっぱり、NHKが相対的に評判がいいっていうのは最近よく聞きますよね。それで、NHKが変わったかって僕の印象で言うと、そんな変わってなくて、むしろ僕は民放が制作費の節減なんかで、だいぶレベルが下がってきたのかなっていう。僕ら、例えば同じ報道番組でも、昔、例えば「ニュースステーション」なんか始まったころって言うのは、そうとう脅威だったですよ。でも最近は、僕あんまり民放を見なくなってるせいかも知れないですけど、そんなに民放で「へーっ」て言う感じもしないし。さっき質問にあったのでいうと、僕はテレビにお客さんを引き戻すにはどうすればいいかっていうのも、そういう問いの立て方は意味ないと思うのね。むしろお客さんから見たら、何が一番面白いかってことであって、率直に言って、テレビはもう一番面白いメディアではないし、個人にとって例えばツイッターが面白ければ、それは見ていればいいわけで。むしろテレビはそういうものとどういう風にリンクしていくかっていうことを、テレビの側で考えるしかないと僕は思うね。
津田: これをまさに、そういういろいろな実験的な試みをやっている福原さんは、どう捉えていらっしゃいますか。やっぱりネットをうまく利用して番組を見てもらいたいという。やっぱり、ネットをうまく利用して番組を見てもらいたいという形で、連動でやってらっしゃるんですよね。
福原: そうですよね。やっぱりそれが一つの解じゃないかなと思う訳なんですよね。今テレビを見ていない人は、なぜ見ていないのかって僕らは考える必要があって、どうやって、なぜテレビから離れていったのかなというのを、もっともっと真摯に考えていく必要があるんじゃないかなと思うんですよね。
で、今見ている人をよりテレビ離れを起こさなくしながら、離れて行った人をどうやってもう一度少しでも戻ってもらおうかなというような事を考える時にはやっぱり、こういう風な、池田先生が仰るような、どうやって本当にインターネットを使っていくか、どうやってそういう風なものをやっていくか、あるいはテレビがもっと今までのテレビの考え方ではない考え方で作っていかなきゃいけない部分もあると思うんですよね。今までの成功体験の全部忘れちゃって、やっぱり一から考え直してやるという必要が今こそあるんじゃないかなという風には思うんですよね。ただまあ、僕らはやっぱりまだ現役なので、あんまり客観的に考えられないんですよね。
津田: コメントで言うと、やっぱり多いのは、「韓流推しがウザい」とか、「AKBの押し付けが多いんじゃないか」とか、1個売れてくると、そこにある種の多様性がなくなってきて、ジャニーズだったり吉本だったりとかみたいので、1個面白いフォーマットがあると、似たような番組がどの局もやり出してみたいな、たぶんそこに対する不満みたいなものもたぶんあるのかなと思うんですが。これ編成部長だと、どうですか。
吉田: 大賛成です。編成論で言うと、全部が当たってる、つまり(視聴率が)12%の番組ばっかりやる改編ってすごくやり辛いわけですよ。当たっている番組があれば1桁の番組もあって、じゃあここを変える。必ずアンチから始まるわけですよ。今のメインストリームに対して、どうやってアンチを作って、サブカルチャーを引き上げて、今のヒットに対して、どう対抗していくかっていうことだから。確かに今の芸能界もテレビ界もとにかく強いものにすっと寄って、みんなが薄く広く同じようになっちゃうっていうのは、大変反対。
津田: でもこの傾向がずっと続いていくと、そのまま本当にコンテンツとして魅力を失っていくことになりますが。
吉田: 韓流も何か日本で起こっていることに対するアンチテーゼでしょ。それは、韓流も最初からメジャーじゃないんだから。ある一つのものに対して、「こんな違うものが他にあった」というみんな発見してる。
津田: まあでもアンチから始まったはずのものが、もうみんなやることによって今もうアンチじゃなくなってますよね。
吉田: じゃあ今度、韓流がメジャーになれば、じゃあそうじゃない日本の国の中で作りましょうよとか、他の国じゃないのとかっていう戦いの中で・・・。
津田: それを今、「なにくそ」っていう風に今の日本のテレビの制作現場、とくに民放から出てきて、押しのけるだけの力って今、テレビにあると思います? 制作現場に。
吉田: だから僕は辞めちゃってるわけですけど。(力が)あったらいますよ。それにちょっとうんざりしたっていうところ。
福原: 世の中で影響力のある人がどうもテレビから離れていってるんじゃないかなという危機感はあるわけですよ。というのも、自分のツイッターのタイムラインで「FNS27時間テレビ」のことを書く奴はほとんどいなかった。それはちょっとショックで。そういう人たちがテレビを見限っているという状況は、ちょっとこれは、僕ら何とかしなきゃいけないなという風に思うんですよね。やはりそういう人たちも、「テレビなかなかやるじゃん」というものを少しでも作っていかないと。本当に「弱者のメディ」アって言われるように、そういう人たちしか見なくなってくると、それはもう非常にテレビの存在意義というものが危うくなってくるなと思うんですよね。ほんとそういう人たちをどうやって取り戻していくかっていうようなことも真摯に考えていかなきゃいけないなと思うんですよね。
津田: だから宇野さんみたいな人をたぶん福原さんはを出してると思うんですが。
ニコニコネーム「さや侍」さん。「テレビはもう、時代に合わない媒体で、今後視聴者数が減っていくと思います。今でこそ、スポンサーがテレビ局にお金を落としていますが、インターネットと個人所有のPCの性能が向上したら、どんどんネット配信が大きくシェアを伸ばすことは目に見えています。今後テレビ局が生き残るには、いかにネットを利用するかだと思うのですが、皆さんはどう思いますか」先ほど、宇野さんも言ってた話だと思うんですが、もうちょっと具体的にこうしたほうがいいってありますか。
宇野: 僕はこう思うんですよね。テレビって映画っぽいもの作っても仕方ないんですよ。この場合の映画っていうのは、本当に小屋(映画館)にかける映画じゃなくて、やはり作り込んで完成度上がって隙のないものを作っても仕方ないと思うんですよね。確かにテレビってメジャーだし、大きな予算が使えるっていうのは魅力なんですよ。大きな予算が使えるんだけど、作りこんで隙のないもの作るよりも隙だらけでもいから、何か実況したくなるとかコミュニケーションのネタになるようなもの。ちゃんと見てる人間のひっかかりのあるようなものとかを、中継の力が強いというのはまさにそれなんですよね。そういった方向に行った方がいいんじゃないかな。
同じ何千万円の予算があるんだったら、これを使ってもう完璧に作り込んでしまった、もう本当映画にそのままかけられるようなものを作るというのも一つの選択だし、そうじゃなくてもうちょっとだらだらと帯で続くような中継っぽいものを作って、ユーザーとのコミュニケーションを図っていくのも選択なんですよ。僕は圧倒的に後者のほうがいいと思うし、日本のインターネットの特殊な発展とテレビっていうのは僕は相性はいいと思います。
池田: いわゆる画面で、放送で観てるテレビと映像作品としてのテレビってのは、もう分けて考えたほうがいいと思うんですよ。例えば木村太郎さんが言ってたのは、「もう『NHK特集』なんていらない」と。ああいうパッケージの番組はこれからもう、ビデオなり何なりで、そこら辺で、レンタルビデオ屋で借りて見ればいいんだと。テレビはもうリアルタイムのニュースを24時間やってればいいんだと、そういう考え方がずっと報道局にあって、アメリカで言うとCNNですね、24時間テレビにNHKはなるべきだと、今でもまあそういう意見がある。今度「Eテレ」って名前にしたでしょ、3チャンネル。僕は、あれは3チャンネルをパッケージ系の番組にして、1チャンネルを24時間ニュースにするっていう編成替えの伏線かなって気もしてるんだけど、テレビって基本的にはもうリアルタイムっていうのが、一番テレビにとっては優勢あるわけですよ。
パッケージの完成度っていうのは、さっき宇野さんもおっしゃったけど、別にテレビでやる必要無くて、それはもう、例えばアメリカでいえば、ハリウッドが「刑事コロンボ」を作って、あるいは「サインフェルド」を作って、それをいっぺん作ったらもう何年でもそれを世界中に売って、もう何億円って儲かるという。パッケージで儲けるビジネスが成立してるわけね、シンジケーション(番組販売)で。日本は残念ながら、そこが成立してないわけ。だからむしろそっちに僕はこれからね、日本のテレビ局の制作能力はあるわけですよ。最近よく言うのは、邦画の観客が増えてますね。あれはその上位を見ているとみんなテレビ局のプロデュースしている奴が上位に来てるわけですよ。むしろ、テレビ局の完成度の高い番組を作る能力を、パッケージ系のメディアで生かせば、テレビ自体は率直に申し上げて、地デジになってガタっと減って、おそらくそれほどオーディエンスは増えない。そんなにもう成長する産業じゃないと思うんだけど、そっちにこだわる必要はないと思う。
むしろ、制作能力生かして、もっとパッケージ系のね、今逆に言うと日本のコンテンツはそこんとこすごい弱いわけでしょ。世界にね、シンディケーションで売れるような番組はほとんど出来てない。そういうものを作る方向に伸びていけば、僕はテレビの「コンテンツ業界としてのテレビ局」とはまだまだやれることあると思うね。
民放は「再利用のきく番組に制作能力を割くべき」 アナログ停波特番(5)
http://news.nicovideo.jp/watch/nw91622
(協力・書き起こし.com)
◇関連サイト
・[ニコニコ生放送]全文書き起こし部分から視聴 – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv57321563?po=news&ref=news#0:59:49
【関連記事】
アナログテレビ放送、完全停波 日テレでは「鳩の休日」が流れる
アナログ放送、終了
池田信夫氏、地デジ化は「テレビ業界の古いビジネスモデルを守るため」
ネットとリアルの融合を実現したニコファーレの次世代ライブ
米携帯通信事業者が「定額制」廃止 ネットで「日本も他人事じゃない」との声
ウェブサイト: http://news.nicovideo.jp/
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。