「出会いを創造にし、社会を活性化させる」――『Colabo』代表・仁藤夢乃さんの挑戦

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今、日本一多忙な大学生の一人、仁藤夢乃さんに注目が集まっている。

仁藤夢乃さんは学生団体「Colabo(コラボ) [リンク]」を今年5月に結成し、その代表を務める現役の大学3年生。宮城県石巻市と東京を行き来きし、被災地の高校生とお菓子屋さんとの共同開発で「義援金付き商品」を全国の高校、大学の学園祭で販売する企画を展開している。学生でありながら中学、高校や大学のボランティア学の教壇にも立つ、まさにスーパー女子大生。「Colabo」はそんな彼女が震災を期に立ち上げた「出会いを創造にし、社会を活性化させる」プロジェクトだ。

夢乃さんはもともと渋谷のギャルだった。高校を中退後、毎日のように渋谷を出歩き、同じように人生に希望を持てず路頭を彷徨っていたギャルたちの輪の中に居た。彼女の転機となったのは高卒認定予備校「河合塾コスモ」に入塾してから出会った、生徒たちと共に農園で畑を耕す一風変わった老紳士の存在だった。

その老紳士は、若者が集う場を人里離れた「農園」に設け、自分たちの未来を考えるように農作物を作り、フェアトレードの在り方や途上国の貧困問題などを学生に優しく問いかけた。畑を一から耕し、農作物を一個一個収穫していく。最初は若者同士が純粋にコミュニケーションを求めて集った農園という場も、次第にその老紳士を慕い、コミューンのような温もりのある共同体を形成していった。今は亡き阿蘇敏文氏による「コスモ農園 [リンク]」だった。

夢乃さんはその阿蘇氏との出会いで、今までまるで関心のなかったボランティア活動へ徐々に身を挺していくようになる。東南アジアの難民問題を最初のきっかけとして、NPO「JFCネットワーク [リンク]」「ハビタット・フォー・ヒューマニティ [リンク]」などでネパールに家屋を建てたり、フィリピンの職を持たない母子の支援活動に参加し、国際協力の場で活躍した。

ボランティア活動家として国際協力の舞台で活躍しながらも、彼女の中には常に拭い去れない問題意識があった。それは自身の原点でもあった、女子高生、ギャルたちの存在。当時渋谷に集っていた女子たちは、みな絶望を抱えていた。自傷行為、クスリ、男性依存。当時の仲間たちが風俗嬢やAV女優になることは全く珍しいことではなかった。

「ちょっとのきっかけがあったかどうかで、人生の楽しみ方が全然違ってしまう」。彼女にとって当時の仲間たちの行く末は決して他人事ではなかった。NPO「カタリバ [リンク]」で高校生たちのキャリア教育などにも取り組んでいた彼女は、決意を固める。「国際協力は私じゃなくても出来る」。

「私の希望は、当時の彼女たちのような子と一緒に楽しく生きていくこと」。そうした思いを胸に、今までのボランティア活動に区切りをつけ、彼女は高校生との「協働」を考える独自の活動へ踏み出していった。

若者を中心としたフェアトレードファッションショーを企画する「ハビ☆コレ」。彼女は、かつて自身が農園で阿蘇氏に教わったように、高校生たちに自然と社会問題への関心を呼び起こさせるような「場所」の創造に力を注いだ。高校生たちにはtwitterで「ファッションショー」と募集をかけ、ファッションを楽しむ感覚でフェアトレードを知るきっかけを作った。その輪は徐々に広がりを見せ、夢乃さんの活動のもとにも多くの企業からの協賛が集まった。

そんな中、震災が起きる。夢乃さんは今年の夏からフィリピンへ長期滞在する予定だったが、急遽予定を覆して被災地の宮城へ飛んだ。知己のNPOを通して、避難所を回るボランティア活動を休む間もなく続けた。それからが、彼女自身思いも寄らなかった東京と被災地・宮城県石巻との多忙な往復生活の始まりだった。

被災地で真っ先に出会ったのは、やはり現地の高校生たちだった。すでに高校生との「協働」を模索し動き出していた彼女は、被災地の高校生たちともすぐに親しくなった。徐々に落ち着きを見せてくる被災地で、今度は被災した高校生たちが「今までボランティアをしてもらった代わりに、自分たちに何が出来るだろう」と考え始めた。そうした声を、夢乃さんは被災地のみならず、全国の高校生、大学生から耳にしていく。

「自分たちに何が出来るのか。皆そうした想い、熱意を持ち合わせながらも、それを活かすべき場所を見出せずにいる」。彼女はそうした同年代の声をすぐに把握し、従来のボランティア活動にとどまらず、自らその「場所づくり」を具体的な形にすることを決断した。それが「Colabo」だった。

被災地の高校生、全国の大学生、そして企業の三者が融合して、一緒にモノづくりを始めよう。原点はやはり、同年代の希望を持てずにいる若者たちと「一緒に楽しく生きていきたい」。そのための目標が共同で持てるような「モノづくり」だった。それは言うまでもなく、かつて農作物を自分たちで一個一個つくる喜びを教えてくれた、恩師・阿蘇氏の理念。彼女自身が恩師の想いを継承した瞬間だった。

最初に取り組んだのは、東北地方の郷土菓子「かんづき」。宮城県石巻市の女川高校と地元の製菓会社「大沼製菓」との共同開発商品だった。女川高校の生徒と何度もミーティングを重ね、アイディアを募った。生徒たちも、家族や友人を震災で亡くしていた。なのに、集まるアイディアはどれも希望に満ちていた。被災地から全国へ。お菓子の商品化を通して、復興のアピールをしたい。ミーティングは回を重ねるごとに活発に、そして「明るく」なっていった。

彼女は、自分がアイディアを持ち込むのではなく、そうした生徒たちのアイディアを上手く活かせる「環境づくり」を整えることのみに努めた。自分が何か具体的な指示を出さなくてもいい。被災地から、全国から集まるアイディアを、また被災地へ、全国へ還元していけばいい。高校生と大学生、企業が一体となって自由にその持ち味を生かせる「センター」の場をつくること。彼女の一貫したポリシーだった。

現在彼女らは、郷土菓子「かんづき」の開発のみならず、女川高校と大沼製菓で3個1パックのミニ大福を義援金付き商品として全国の高校、大学の学園祭で販売する企画を進め、さらには石巻商業高校と東京・白金のケーキ屋さん「LE COFFRER DE COEUR [リンク]」と共同でケーキの開発も同時平行で進めている。そのため夢乃さんの日々は多忙を極める。一日置きに宮城と東京を往復することも珍しくない。

「私は何もすごくないし、何も偉くない」。もともと身体も丈夫ではなかったという、その彼女を突き動かすパワーとは一体何なのだろうか。彼女が持ち得るすさまじい行動力と想像力は、私も含めた同年代の若者に何を問いかけているのだろうか。

彼女らのベースにあるのは、すべて「楽しいことがしたい」という純粋な想いだけだ。地域の復興、学生同士の相互扶助、もちろんどれも欠かせない目的だが、その根源はすべて「高校生と一緒に楽しくモノづくりがしたい!」という気持ち。自分が「楽しい」と思えたことが、他者の「楽しい」と直結する、個人的な欲求が、普遍的な公共性へと還元されていく。この営利を超えた営利に、私はただただ圧倒され、言葉を失わずにはいられない。

夢乃さんの「夢」は「若者×畑×カフェ@渋谷」。将来は、自身のフィールドワークである渋谷の若者との協働の場として、農作業や畑を通した創造的な空間を思い描いている。現在その活動を邁進している「Colabo」も、最終的には自分が代表でなくても継続する形に発展させたいという。

すでに河北新報や仙台放送など、東北メディアの注目を集め始めている仁藤夢乃さんの活動。いずれ、彼女の活動が全国の学生ボランティアの象徴となる日も遠くはないと信じている。

仁藤 夢乃(にとう ゆめの)
平成元年12月19日生まれ。都内大学の社会学部3年生。高校中退後、河合塾コスモに入塾。「コスモ農園」で故・阿蘇敏文氏の知遇を得てNPO、ボランティア活動に参加。「JFCネットワーク」「ハビタット・フォー・ヒューマニティ」「カタリバ」などを経て、現在「ハビ☆コレ」副代表、「Colabo」代表。
ブログ:「Colabo×Colabo×Colabo [リンク]
Twitter:@yumenyannyan [リンク]

※この記事はガジェ通ウェブライターが執筆しました。あなたもウェブライターになって一緒に執筆しませんか?

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