プロレスラー兼専務取締役!スーパー・ササダンゴ・マシンが語る、あきらめかけた夢と金型業界の未来

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 「文化系プロレス」との異名を持ち、プロレスファンのみならず幅広い支持を集めるプロレス団体、「DDTプロレスリング」。イケメンレスラーの飯伏幸太や俳優・坂口憲二の兄で格闘家の坂口征夫、「ゲイレスラー」の男色ディーノなど、個性豊かなレスラーたちがしのぎを削る中、対戦前に行うパフォーマンス、「煽りVTR」ならぬ「煽りパワポ」を編みだし、今話題となっているのがスーパー・ササダンゴ・マシン選手だ。ビジネスパーソンも唸るその高いプレゼン能力もそのはず、彼は実家の金型メーカー・坂井精機の専務取締役を務めている。プロレスラーでありビジネスマンでもあるその実態とは!? 謎に包まれた専務取締役としての働きぶりを伺った。

実は国内外で使われている自動車部品を作っている

――えっと……今日はスーパー・ササダンゴ・マシンさんとマッスル坂井さん(※覆面をしていない時のリングネーム)、どちらなのでしょうか?

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(※本当は覆面レスラーのはずですが…↑)

スーパー・ササダンゴ・マシン(以下、ササ):どっちでもいいですよ。

――では、スーパー・ササダンゴ・マシンさんということで、ササダンゴさんと呼ばせていただきますね。ササダンゴさんはプロレスラーでありながら、ご実家である新潟の坂井精機で専務取締役を務めています。どんなタイムスケジュールで動いているんですか?

ササ:大半は新潟市ですね。平日は朝8時から夕方の5時まで、金型工場におります。

――それで週末になるとプロレス興行に参加されているんですね。会社の従業員は何名ぐらいいるんですか?

ササ:40名ですね。祖父が創業し、父が社長を務めておりまして、自動車部品やデジカメ、医療用部品など様々な分野の金型を生産しています。

――自動車部品となると、国内のどこかのメーカーでササダンゴさんの会社の部品が使われているかもしれないんですね。

ササ:そうですね。国内のメーカー経由で、北米やヨーロッパで販売される車に使われていることも多いです。例えば自動車のモーターショーで、新車発表のニュースをインターネットで見ていると、「あれっ、これうちで作ったやつじゃないかな?」っていうこともあって、びっくりしますよね。

――わかるものなんですね!

ササ:はい。内装部品みたいに表に見える部分はもちろん、モーターやエンジンの中に入っている金属のギアなども作っていて、弊社の売上の6割くらいはそういう製品なんですよ。そういうのも含めたら、本当にどこで何が使われているかわからないですよね。

 ただやはり金型のシェアとしては、圧倒的に愛知や関東のほうが多いんですよ。有力メーカーがあってそのニーズに応えられるということは、それだけ技術力も高いということですからね。新潟は三条や燕が産地として有名ですが、新潟県としては全国トップ10にも入らないんです。

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――なかなか厳しい世界ですね。その中での企業努力というと、どういったことをされているんでしょうか。

ササ:お客さまが求めているのは、いかに高品質のものを低コストかつ短期間で納品してもらうか、というところなんですね。弊社は金型設計士がセールスエンジニアというか、技術営業職としてお客さまとのやり取りを行っており、金型の構造を3DCADで図面に起こして、一番効率的に大量生産できるものを実際の生産ラインに乗せていくので、ご満足いただいているのじゃないでしょうか。

 とはいえ、弊社の売上というのもお恥ずかしいところ、損益分岐点ギリギリの経営で。去年、過去30年分くらいの弊社の売上と日本の金型業界全体の生産額をグラフにして比較してみると、波形がまったく一緒なんですよ。要は、どれだけ営業をがんばったり、設備投資をして生産体制を強化したりしても、基本的にこの30年間、国内の金型業界の推移をひたすらなぞっているだけだったという。社長は「若い時は良かったけど、歳とってからダメになった」なんて言うんですけど、逆にここ5年くらいは業界全体がダウントレンドになっているのに対して、弊社はなんとか持ちこたえているほうだと思います。

――業界が低迷しているなか、なんとか踏みとどまっている、と。

ササ:はい。そこがポイントなんですよね。2008年にリーマンショックがあってドーンと落ちて、しばらくして国内の生産額は低迷しているけれど、うちだけ比較的高い時期があって。当然、多額の借り入れをして、大規模な設備投資をしたということもあったのですが、それ以外に何があったのかというと…私が入社したんですね(笑)。

――いろんな要素を洗い出してみると?

ササ:そこに私が坂井精機の救世主として入ったっていう事実が(笑)。まぁでも具体的には、何の営業もこれといった実績も残していないんですが。

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ビジネススクールに通うも、いまだに素顔ではプレゼンできない

――会社ではどんな仕事をされているんですか?

ササ:事務的な作業が多いですかね。入社から3年くらいは現場で、ひたすら金属の切削加工をやっていました。「旋盤」や「マシニングセンタ」という機械を取り扱ったり、「放電加工」という金型特有の作業をやったりして…。それから、金型の最終的な磨き仕上げなど、ひととおり経験しました。3年経ってこれからどうしようかというところで、もうちょっと経営について学んでみようかと思い立ち、新潟大学大学院技術経営研究科に入学したんです。

――働きながら大学院ですか!?

ササ:大学院と言ってもビジネススクールなので、「社会人として仕事しながら通えます」って入学案内には書いてあったんですけど…。実際に通ってみると、それこそ毎日仕事中に宿題をやらないと間に合わないくらいの過密スケジュールになってしまって。授業自体は、いろいろな課題や設問の事例に対して、グループで議論しあうケースディスカッションの授業が多くて楽しいのですが、そのための資料や文献が英語ということが平気でありますからね。それを読みこんで各自考えをまとめておかなきゃいけなくて。

――今も在学中なのですか?

ササ:去年までの2年間で、卒業に必要な単位は全て取ったのですが、最終的に事業計画書を提出しなきゃいけないんです。紙で30枚くらいの内容と、5分間のプレゼンなんですけど、それが提出できなくて。結果的にあと1年延長になってしまったんです。間に合わなかったというか…たった5分のプレゼンなんて、この1年間、さいたまスーパーアリーナだの、両国国技館だの、いろいろな舞台で何十回やっただろ!って思うんですけど…。本当にそれだけはできなかったですね。なんかもう、本当に俺、ササダンゴの世界でしか生きていけないのかなあ。素顔だとプレゼンできないですからね。

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1度は完全にあきらめたプロレスの道。戻ってきた理由とは?

――ササダンゴさんは2010年に、一度現役を引退していますよね。それは家業を継がないといけない、ということだったのでしょうか?

ササ:そうですね…。ちょうどそのころプロレス業界に入って10年くらいで、仕事をしていてなんとなくその先の5年、10年が見えてきたというか、業界の流れや自分の立ち位置がわかってきた気がしたんです。キャリア的に行き詰まり感もありました。なのに、それまでずっと「帰ってこい」と言い続けていた実家が、30歳を境に何も言わなくなってしまった。プロレスをあきらめようとしているのに、親父から「このままプロレスを続けていくんだろ?」と言われてしまったんです。

 けれどもしこのままプロレスを続けるのなら、当時の自分の立ち位置は組織で言えば中間管理職ですよね。自分のためにというよりも業界全体のために、もっと広い視野で仕事していかなくてはならない立場です。「俺がプロレスをする意味ってなんだろう」と何度も何度も考えた結果、自分がプロレスをする意味は「継続していくこと」なのかなと思ったんですよ。応援し続けてくれているお客さまのため、共に戦う仲間のために「継続すること」が目的になるんだと。そこでやっと「続けること」の重みに気がつきました。親父がさんざん「跡を継げ」と言ってきたのは、会社の事業を存続させるため。それが親父の、社長にとっての仕事だったんです。「そういうことか」と腑に落ちて。

 だから「お前が帰ってこないんだったら(会社を)たたもうと思う」と言われたときは、ずっと2代目としてがんばってきた親父に、最後の仕事としてそんな役を務めさせるというのは酷な話だと思いました。それまで好き勝手やらせてもらってきましたし、腹をくくって舵を切ったんです。

――では、現役を引退して、新潟に帰った時点では、こんなふうにプロレスを続けるとは思っていなかったんですね?

ササ:それは本当に思っていませんでした。1度は完全に諦めました。「絶対無理だ、もう二度とプロレスはできない」と。だからなんというか…「あきらめなければ夢は叶う」って言いますけど、私の場合、「あきらめても夢は叶う」という数少ない事例ですね。今はまわりが根負けした形で、「まあ専務はしょうがないや」みたいになっていますけど。

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色々な発見がある芸能活動の仕事と、金型業界との共通点

――再びプロレスの世界に戻ってこられた理由はなんでしょうか?

ササ:引退して2年ぐらいは、東京の仲間たちも気を遣ってくれて、全く連絡を取ってなかったんです。けれど次第に「武道館大会をやるから、ちょっと観に来ないか」とか、「タイトルマッチやるから、応援に来ない?」とかやり取りをするようになりました。だんだん顔を出さなきゃいけない理由やシチュエーションを作ってくれたんですよね、何かと。本当に自然に。たまたま「DDT48総選挙」っていう人気投票にゲストに出たら、上位にランクインして。それで上位のメンバーだけでやる大会があるからって言われたら、それに出場しますよね。そこで遺恨が生まれたら、またその次も…ってどんどん続いていきました。本当は引退している人間だから、出ちゃいけないんですけどね。

――本来なら引退していて、その延長線上にいるという認識なんですね。

ササ:本当に私はもう、いつも「申し訳ない」と思いながらやっています。今、最高のプロレスラー余生を送っていますよ(笑)。

――余生と言いつつ、今年の6月から松竹芸能に所属して芸能活動も始めて、11月28日に開催される「大阪オクトパス」ではレイザーラモンRGさんと南海キャンディーズ山里さんとの対戦が決まったそうですが(笑)。正直なところ、今のような展開を想像されていましたか?

ササ:いやぁ…もう本当に、こんなことなら辞める前に話が来ればよかったのに(笑)。でもね、マネージャーさんの働きぶりを見ていると、勉強になるんですよ。普段の日常的な会話から、業界や芸能界の方々とのやり取り、その足でどんどん仕事を開拓していく姿に、「こうやって営業するんだな」と感心して見ています。それに彼らが「最近、なかなか若い社員が定着しなくて、大変なんですよね」なんてこぼしているのを見ると、業界は違えども同じ状況なんだなって。

 金型業界の話を聞いていても、後継者がいなくて事業所ごとなくなるとか、若い社員が入ってきても、辞める方が多いみたいで。弊社はベテランの方に中途で入っていただくことが多いのですが、職人さんも全体的に年齢も上がってきています。今後のことを考えるとやはり、若い方にも働きやすい環境を作っていきたいと思うんですよね。せっかく技術を持っているなら、それを活用できる環境さえあれば活躍できるでしょうしね。

 一度は現役を引退し、「夢をあきらめた」というササダンゴさん。本人にとっても思わぬ形で「夢の続き」が見られるのは、苦難を共にしたDDTの仲間たちとの絆が大きかったようです。そして専務取締役として、真剣なまなざしで金型業界の将来を見据えるササダンゴさん。果たして彼が金型業界一本に絞るときはやってくるのでしょうか…。

スーパー・ササダンゴ・マシン(マッスル坂井)さん
1977年、新潟県出身。早稲田大学在学中からDDTプロレスリングに参加し、2004年マッスル坂井としてデビュー。レスラーとして活躍しながら映像制作会社DDTテックの社長を務める。2010年現役引退。2012年スーパー・ササダンゴ・マシンとして新潟プロレスでデビュー。新潟在住の謎のマスクマンとしてDDTプロレスリングにスポット参戦するように。2014年6月に披露した「煽りパワポ」が話題となり、注目を集めている。現在、坂井精機株式会社専務取締役。

WRITING:大矢幸世+プレスラボ PHOTO:安井信介

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