藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#21 香り

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気分がすっきりしない時は、ホワイトセージを焚くのが常だ。乾燥させたセージの葉のひと握りほどを糸で束ねたタイプを愛用中で、それにガスコンロから直接火をつけて煙を熾す。はじめは勢い良く部屋に広がっていく煙だが、そのうち程よく安定し、見ていると惹き込まれてしまう白い煙を燻らす。

そのホワイトセージをテーブルの上に据え、煙の揺れをぼんやり見つめる時もあれば、目を閉じてその香しさと一体になろうと心を緩める時もある。

セージは、他にもバッファローセージ、エンジェルセージなどがあり、比較的手に入りやすい。私は中でもホワイトセージが一番気に入っている。その香りは、なんというか、高貴で静謐な時間をもたらし聖なる場所へと手を引いてくれるかのようだ。日常生活で、心もとなく、心ここにあらず、落ち着かない時などは、このホワイロセージを焚くと、次第にゆったりとした心地になり、平静を取り戻せる。

ホワイトセージは、もともとネイティブアメリカンが宗教儀礼時に用いていたもので、気品と崇高さを感じるのも納得である。

セージの例はもとより、人間の宗教や文化活動において「香り」というものは古くから重用されてきた。

仏教の観音経も香りについて触れ、旧約聖書では乳香の記述が二十二回もあり、古代エジプト人は、乳香のほかに没薬も大切にし、単香だけでなく、数種の香りから調合されたキフィもあった。

それより歴史を遥かに遡れば、ネアンダルタール人も香木を焚いていたことが遺跡の調査から分かっている。石器時代の人類が偶然火に放り込んだ木の枝から芳しい香りを嗅いだ時、不意に訪れた優しい時間は、その後の人類に大きな方向を与えたに違いない。日常とは違う境地に誘ってくれる香りは、人類の嗅覚を精神性へと結びつけることになったと想像する。

以降、香りの歴史は、宗教儀礼の歴史と深く結びついていたため、用い方は焚くことが主流だったのだろう。焚くことで居合わせた者たちへと香りを拡散し、神威を感じさせることが可能だっただろうし、生け贄の匂いを紛らわすことにも役立った。

ちなみにPerfumeの語源はラテン語のper fumumで、「煙を通して」を意味する。

私が部屋でセージを焚くことは、ちょっと大げさに言うなら、人類の原初的な祈りの時間と繋がることだとも言える。

とにかく、人類は有史以前から、香りというものに惹かれ続きてきたのは確かだ。

だが、焚かなくても香りは十分楽しむこともできる。
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今年の夏休みに訪れた奈良県の黒滝村のとあるヒノキ家具の直売所でのこと。店内に入るとヒノキの香りに包まれて、なんともいえない安らかな気分になった。家具は間に合っているし、旅の途中なのでまな板を買う気にもなれないな、と何かを買うことを諦めていると、一辺3センチ程のキューブが十数個で三百円だった。しばらくそれをしげしげと見たり嗅いだりしていると、店の主人が袋詰めしていないキューブを一つ差し出して嗅いでみるように勧めてくれた。それは節の部分で濃茶色をしていて嗅ぐと打つような強い香りがした。節には樹脂が白い部分よりも多いのだと知り、節の部分だけ欲しいと伝えると快く了承してくれた。節は人気がないのだと言う。

ヒノキのキューブを12個袋に入れてもらい、それをそのままレンタカーの適当な所に吊るすと、以後車内はずっと森の中になったのだった。

そういえば、白檀の一大産地であるインドでも路上で安く売られていた白檀の木片をいくつも買ったことがあった。鼻を近づけていくと、白檀独特の凜としたアジアの高貴な香しさがあった。インドでの旅では、安ホテルやゲストハウスの枕元にいつもそれを置いておき、就寝前に必ずゆったりと嗅ぐというのが習慣だった。嗅ぎながら目を閉じれば、外の喧騒と混沌と熱気はすうっと遠のき、透明な繭の中で揺られながら、穏やかに睡眠へと入っていけるのだった。

屋久島では、川が海へ注ぐあたりで、流木の木片拾いをした。私は拾い物をよくやる。単純に旅の記念にしようと思っていたのだが、手にしたいくつかの中に、明らかに他とは違う甘い香りを強く放つものがあった。居合わせた現地の人に尋ねると、樹齢千年を超えた屋久杉と呼ばれるものの欠片だと教えられた。かなりの年月を川に洗われたであろうその欠片は、輪郭が丸くなり、それでもなお強い香りを残しているのだった。

巨木の杉で有名な屋久島だが、本来、杉が成長するには適所ではなく、木片が示す年輪の幅の薄さは、一年であまり成長できないことを意味している。そういうじっくりと耐えるような成長が濃厚な樹脂成分と硬い木質を生むのだ。余談になるが、屋久島で拾った木片に仏像を彫ろうとしたことがある。病で倒れた旧友の快復を祈ってのことだった。だが、刃がなかなか入らないほど硬かった。その木片にはまだ命があって、刃を拒んでいるのかと思われるほどに。同い年の旧友はついに戻ることなく、逝ってしまったが、木片に刻まれようとした観音像の輪郭は、その屋久杉の命と友人の命を交差させ、生死のこちらとあちらの接点として時々私の手の中に収まって、甘く優雅に香る。生きること、そしてそれが終わること。それは共に甘く優雅であると教えているかのように。
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たまたま、ヒノキ、白檀、屋久杉という樹と縁があったのだが、森林浴というのは、言うまでもなく樹々の香りが大切な要素の一つだ。森の香りは、生きている木だけではなく、朽ちて腐った木からも放たれている。腐った部分に菌が繁殖して、珍重される香木となる例もある。沈香はその一つで、高値で取引されている。化学成分を分析し、人の手で合成してもどうしても届かない香りには、天然の物にのみ特有の癒しの力があると思う。成分表示では伝えられない力というのは、目に見えない力と同様に、癒しを考える上では、やはり踏まえるべきことだ。

沈香はグラム数万円もするので、一般的ではないが、私が愛用しているホワイトセージは買いやすい値段だ。今使っているのはマウイ島のスーパーで6ドルほどで買ったもので、日本でもそんなに高くはないと思う。ヒノキの節キューブは案外探すのが面倒だと思うし、屋久島の流木もさらに面倒だ。白檀は仏像や数珠などの製品にもなっているので、比較的買いやすいだろう。ちなみに白檀は、人の全ての悩みを癒すとインドでは言われている。

これらは嗅ぎたい時に側にあると便利だということが大きいが、ただ香りで癒されたいのなら、何も買わなくても外へ出れば草木や花などの香りがある。アンテナをたてるように、自分の周りの世界に向けて、嗅ごうと意識する。

要は五感の一つでありながら、あまり癒しツールとしてさほど利用されていない嗅覚を積極的に働かせてみるのだ。

大方の人にとって、嗅覚は食事とセットで意識されることがほとんどだろう。それでは自身の才能を未使用なままでいるに等しい。なんとも勿体ない。

すでにアロマセラピーなどが普及し、雑貨店などでも普通に目にするが、自分に合ったオイルなどを探す前に、下地作りとして、日々の匂いを嗅ぐことから始めてみてはどうだろう。

起床して、今どんな匂いを感じるか。窓を開けてみてそれはどうか、通勤通学の道ではどんな匂いがあるのか。電車やバス、エレベーターはさておき、解放された空間での今日の匂いを感じようとするだけで、何かのスイッチが入るのに気づくと思う。普段意識していない場所の、時間の匂いというのは、結構遊びとしても楽しい。始めは何も嗅げないと感じることが多いはずだ。だが毎日繰り返してみると、日々朝の匂いは違うと気づくと思う。そして自分の匂いや、家族の、友達の、恋人の匂いも違う。そのうちに私たちはいかに多くの匂いに囲まれて生きているのかを気づくに至る。それはきっと豊かな体験になるだろう。
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一般的に、男性よりも女性の方がパートナーの体臭に敏感だと言われている。生物としての相性をそこで判断しているのだとしたら、鼻が効く状態を恒常的にしておけば、失敗も少ないだろう。嗅覚を鍛えるというのは、ここでは近未来、未来の幸福度に直結することにもなる。パートナー選びはいつだって大切だ。また、嗅覚が鍛えられたせいで、今のパートナーに馴染めなくなるかもしれない。それさえも長期的にみたら良いことだろう。生物的には。

このような現実的な追求はさておき、五感の一つをしっかり開くことで他の4感との相乗効果も見込める。感覚がクリアに冴えている状態というのは、目覚めている状態である。生きながら眠っているのでは、勿体ない。是非、鼻を覚まして「嗅ぐ」を楽しんでもらいたい。

日本には、いくつもの「道」とつく伝統があるが、香道というのは、書道、茶道、華道、武道などに比べてちょっと引っ込んでいる印象だ。香道については紙幅の関係上ここでは省くが、その香道では、香りは嗅ぐものではなく、聞くものだとされている。

聞香。

日本人に生まれたことを嬉しく思える言葉だ。香りを聞いていると感じるには、ゆったりと構えて実際に時間をかけて味わうことになるのだろう。そしてその香しさと全てを忘れて一体となり、煙のように自分の存在も揺らして消しておく。嗅ぐことをこのような気高い香道の境地まで昇華したものは他の国の文化にないだろう。日本人というのは不思議な人々でもある。日常がそのまま芸術に繋がっている。

目下慌ただしい日々だが、近々縁があれば私も香道とやらを学んでみたい。子供時分から、鼻は効くほうだと自負している。

さて、そのまえに散歩にでもでかけて、晴天の午後の香りを、聞きにいくとしよう。今日という1日の残り半分が、甘いといい。

(つづく)
※『藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」』は、新月の日に更新されます。
「#21」は2015年10月13日(火)アップ予定。

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