何度でも言う。地域の絆と犯罪にはなんの関係もない(パオロ・マッツァリーノ)
今回はパオロ・マッツァリーノさんのブログ『反社会学講座ブログ』からご寄稿いただきました。
※この記事は2015年08月23日に書かれたものです。
何度でも言う。地域の絆と犯罪にはなんの関係もない(パオロ・マッツァリーノ)
こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
寝屋川の中学生殺人事件の容疑者逮捕を受けて、月曜以降、デタラメなコメントがテレビからあふれ出すと思うので、先制攻撃をしておきます。
さっそく、金曜夜の報道ステーションでやらかしてました。コメンテーターの藻谷さんは、かなりまともな人です。殺人事件の件数はずっと減少していて、いまはもっとも少ない時代だという事実をきちんと指摘してたところまでは、よし。
ただ、そのあと続けて、地域の絆が薄れているのではないか、犯罪を防ぐために、われわれはもっと地域の絆を大切にすべきだ、みたいなことをいうんです。
決定的に矛盾したことをいってるのに、ご自分で気づいてないのですね。むかしに比べて地域の絆が弱くなった。と同時に、犯罪はむかしより減っている。だとしたら、絆が弱まるほど犯罪は減るという結論になってしまいます。
報道関係者のみなさん、立ち読みでもけっこうです。私の『「昔はよかった」病』の絆とふれあいの章だけでも読んでみてください。私は根拠のある事実のみを書いてます。
近頃の日本人が、絆などというスピリチュアルなもののご利益にやたらすがりたがるのは、はっきりいって異常です。犯罪統計などの現実に目を向けてリスク評価をするのでなく、すべてを目に見えない心の問題に還元しようとするのは非常に危険ですらあります。
日本では1970年代くらいからすでに、地域の絆が失われたという声があり、それはずっといわれ続けてきました。町内会の加入率もむかしは90%くらいだったのが、いまはせいぜい5割か6割だから、絆が薄まったのは事実なのかもしれません。しかし同時に、殺人、誘拐、空き巣などほとんどの犯罪も、40年前に比べると激減しているのも事実。絆が薄れるにつれて安全になってますけど?
東京の渋谷駅周辺では、寝屋川以上に多くの未成年が夜中までフラフラ歩いたりたむろしたりしています。でも、渋谷で未成年殺人が頻発している事実はありません。それは、渋谷の地域の絆が強いからなんですか?
『「昔はよかった」病』でも反証例としてあげましたが、冤罪ではないかと疑われていることでも有名な名張毒ブドウ酒事件。あれは住民たちの絆の強さが自慢だった村で起きた、凄惨な大量殺人事件です。
こどもが殺される事件の犯人は、大半がじつの親だという現実を、絆でどう説明するのですか? 絆がない赤の他人よりも、絆が強い親に殺される確率のほうがはるかに高いのなら、こどもは家にいないほうが安全ってことになってしまいますね?
LINEなどを利用する若者たちの間では、返事をすぐに返さなければいけない、みたいな縛りが強要されてたりします。そうやって仲間同士の絆を強めることによって、若者たちはしあわせになっているんでしょうか? 逆に、いじめや暴行事件の原因になることもあります。
結論はどう見てもあきらかです。絆と犯罪には、なんの因果関係もありません。犯罪が起きるのは地域の絆が薄いせいではありませんし、地域の絆を強めても犯罪が減るという保障はなにもありません。逆に増えることもありえます。
そもそも、絆なんて目に見えないものが強まったかどうかなんて、どうやって判定するのですか。
「近頃、イヤな事件が続きますなあ」
日本各地の離れた地域で互いに関連なく散発的に起きてるだけです。テレビがまとめて報道するから連続して見えるだけです。
「こんな痛ましい事件を防げなかったものでしょうかねぇ……」
防げません。
「われわれにできることは、ないのでしょうか」
ありません。
ていうか、みなさんはすでに、じゅうぶんな活動をしているんです。パトロールだの見守りだのあいさつ運動だのと、どこの町でもうるさいくらいにやってるじゃないですか。50年前の日本では、そんなことだれもやってなかったでしょ。
今回の事件が起きたのは、とても不幸なことでした。しかし悲観的になる必要はありません。
私は感心しました。寝屋川市駅周辺や商店街は、若者たちがたむろして夜通ししゃべったり野宿したりしても平気なくらいに安全な町であることに。
若者たちには彼らなりのゆるい「絆」があって、それなりの秩序を保っているんです。多少は不良グループみたいのもあるのでしょうが、重大な問題を起こしている様子もなさそうです。
犠牲になったふたりの行動を軽率だと批判する声もありますが、それは結果論です。どんなに平和な町にも悪意を持った人間はいますから、危険はゼロではないし、今回は裏目に出てしまいました。
でも、あの町の治安レベルを考えれば、ふたりが事件に巻き込まれなかった確率のほうが高いわけで、ふたりもそう判断したのでしょう。あの年頃の子が危険を承知で家出のような軽い冒険を試みることは、(いまより危険だった)むかしからあることです。オトナたちはむかしの自分の武勇伝を自慢したりするくせに、いまになって徹底的にこどもたちの行動を管理するってのもねえ。
人目につくところで若者がたむろしてるのは、むしろ安全です。そこにオトナたちがでしゃばって介入し、彼らの「絆」をばらばらにして追っ払い、町を平和にしたとカンちがいするようになったら最悪です。
駅周辺や商店街から追い出したら、おとなしく家で寝ると思います? なりませんよ。彼らはもっと人目につかないところに集まります。そのほうが危険度は高まってしまいます。
統計を確認しましたが、寝屋川市の犯罪発生率がとくに高いわけではありません。他の町と同じくらいに防犯活動やこどもの見守り活動などもしているようです。
なにもしてなかったわけじゃなく、必要な活動はしていたんです。そしてかなり安全な状態が実現できていたんです。これ以上ムリをして住民を防犯活動に駆り立てても、普通の生活が犠牲になるだけでなんの効果も得られないでしょう。
ですから、いえることはひとつ。勇気を持って、いままで通りの生活を続けることです。こどもたちには、この町は安全だけど、悪意のある人間に遭遇する可能性はゼロではないし、どんなにオトナががんばっても防げないのだ、と事実を教えて覚悟を持たせるべきです。そのうえで、これまでどおり、普通に生活する。それがベストの選択です。
執筆: この記事はパオロ・マッツァリーノさんのブログ『反社会学講座ブログ』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2015年09月02日時点のものです。
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