オバマとウィルソンの「悲劇」(内田樹)

オバマとウィルソンの「悲劇」

今回は内田樹さんのブログ『内田樹の研究室』からご寄稿いただきました。

オバマとウィルソンの「悲劇」(内田樹)

オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したのはもう6年も前の話だ。
今の若い人にはその事実さえ知らない人がいるだろう。
オバマはもうひとりの大統領と歴史的条件が似ている。そのことについて当時ある媒体に寄稿した。ここに書いたアメリカの「国家戦略」についての私の意見は今も変わらない。

バラク・オバマ大統領が「核なき世界」を提唱した功績によってノーベル平和賞を受賞した。08年7月、大統領候補に内定していた段階でオバマはベルリンで「核兵器のない世界をめざす」と演説して、世界を驚嘆させ、大統領就任後の4月、プラハ演説で、「核なき世界」構想を正式表明し、国連安保理の議決まで取り付けた。ノーベル平和賞はこの「理想的行動」に対するものである。
バラク大統領のノーベル平和賞受賞に対して、アメリカ国内ではただちに批判の声が上がった。保守勢力からの「アメリカを去勢するのか」というような批判は当然として、リベラル派からも「まだ何も業績を上げていないのに」という戸惑いの声が聞こえている。
同じことが以前にもあった。90年前、アメリカの現役大統領がその「理想的行動」によってノーベル平和賞を受賞したときのことである。そのときもまた彼が提唱した平和戦略はアメリカの個別的な国益を損なうものであるという国内からのきびしい批判にさらされた。世界平和を訴えたせいで議員たちに背を向けられた最初の大統領はウッドロー・ウィルソンである。
ウィルソンは「14ヶ条の平和原則」を掲げて、第一次世界大戦後のヴェルサイユ講和会議に臨み、世界的な軍縮、民族自決、植民地問題の解決、国際的な平和機構の創建などを提案した。今読むと常識的な提言だが、これが提唱されたのは、いまだ弱肉強食の帝国主義がデフォルトだった時代である。クリーンな理想主義と、生臭いリアリズムの対比という点で、オバマ大統領とウィルソン大統領のケースはよく似ている。
オバマとウィルソンの間には人間的にも共通点がある。それは「マイノリティ」出身の大統領だということである。オバマは父がケニア人のムスリムで、母がアメリカ人、ハワイとインドネシアで少年時代を送った。ウィルソンの少数性は南北戦争のあと南部出身で大統領になった最初の人、つまりアメリカ史上最初の「敗戦国出身の大統領」だったという点にある。その二人が歴代大統領の中で例外的に「理想主義的」な世界戦略を掲げ、国際社会から評価され、国内からは激しい批判を浴びた。ここに私は興味深い相同性を見るのである。
ウィルソンは世界大戦の悲劇を繰り返さないために、国際紛争調停のための国際連盟を提唱したが、共和党が多数を占める上院はこれを拒否し、合衆国は国際連盟に参加することができなかった。バラクのアメリカの非核化構想も国内の激しい抵抗に遭遇して遅々として進むまい。
けれども私はこれを単純な「進歩と反動・平和と戦争」の二元的対立だとは思わない。アメリカというのはつねにそのような二元的対立を含むかたちで構造化された国だからである。世界平和よりも国益を優先させ、敵を殲滅するためには軍事力の使用をためらわないと平然と言い放つ人々を統治機関の中枢に一定数含まなければアメリカはアメリカとして機能しない。
核抑止戦略は「核兵器をいつ、どのようなタイミングで使用するかを正確には予測できない」という恐怖のうちに敵を置くことではじめて機能する。理性的で有徳な人物がコントロールしている核兵器は、感情的で不道徳な人物が操作する核兵器よりも敵に及ぼす恐怖が少ない。だから、オバマ大統領が四軍の指揮官としてアメリカの核兵器を完全にコントロールしている場合、核兵器はその抑止力を大きく減殺されることになる。というのは、「どこまでアメリカを追いつめれば核兵器を使うか」のデッドラインが合理的推論によって予測可能だからである。それはそこまではアメリカを追い詰めても大丈夫ということである。そのような「合理的に行動する国」だと思われている場合と、「いつ、どういう理由で核兵器を使うか予測できない国」だと思われている場合と、どちらが少ない外交カードで大きなゲームに張れるかは考えるまでもなく明らかである。
アメリカは「理性的な統治システムを持つ国」だと思われたがっていると同時に、「何をするかわからない国」だと恐れられたがっている。この矛盾する要請に同時に応えるためには一つだけ方法がある。それは理想主義者の大統領が、利己的な国内勢力のせいで理想を実現できないでいるという「物語」を(おそらくは無意識のうちに)全世界にアナウンスすることである。彼らはそれにかつて一度成功した。たぶん今度も成功するだろう。

執筆: この記事は内田樹さんのブログ『内田樹の研究室』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2015年08月23日時点のものです。

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