【歴史】あの戦国武将はトイレで死んでいた! 突然の高血圧性脳出血で早逝

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437年前の4月19日って何の日かご存知ですか? ヒントは戦国時代、越後の龍。そう、上杉謙信が亡くなられた日であります。……って普通は、まずわかりませんよね。

戦場では負け知らずのリアル毘沙門天・謙信さんも、当然ながら「死」には勝てませんでしたが、彼の死に場所はライバルの信玄みたいに遠征中に倒れてそのまま亡くなって……はおりません。なんと、謙信の死を誘発した場所はトイレでした。

・お酒LOVEな上に、塩辛い肴が大好物!
謙信の食生活に関する記録を見てみると、必ず出てくるのが『酒好き』という記述です。そしてその肴は『干物、梅干し、塩や味噌』。

ここまで書いただけで、もう「高血圧」という病名がちらつきますね。当時は健康マニアと称される徳川家康でも塩分過多な食生活をしていて、死因は「鯛の天ぷらではなく胃がん」の可能性がありました。ともかく高血圧が続くと動脈硬化がおこり血管が破れやすくなります。

天正6年(1578年)のまだ春浅い4月15日、謙信は遠征の準備中に春日山城内の厠(かわや)で倒れ、そのまま昏睡状態となりました。その後、わずかに意識を取り戻して唇を動かすも、結局、19日に死亡。享年449才で、その経過から脳出血が死因と考えられております。

にしても、死を誘発したのがトイレだったとは、現代人の我々から見れば実にバカバカしい最期だと思われるでしょうか? いえいえ、まだ寒い時期のトイレは、実は危険なスポットなのです!

・夏場に少なく冬多い脳出血
人は、寒くなると交感神経が緊張するため、健康な状態でも血圧が少し高くなります。そのため暖かい室内から寒い廊下やトイレに行くと血管が収縮し、急激な血圧上昇を起こす場合があります。

特に、トイレでは用をたす時に力みますよね? この時、脳の血管が圧力に負けて出血する『脳出血』を起こす場合があるのです。実際、統計的に脳出血は夏場に少なく冬場多いというデータもありまして。越後のような雪国でしたら、その傾向はなおさら顕著でしょう。

なにより高血圧が怖いのは、患者に警告を促すような症状に乏しく、気がついた時には血管を蝕んでいるところです。このため『サイレントキラー(静かな殺し屋)』と呼ばれており、謙信は40歳のときに軽い脳出血を起こし左足に後遺症が残っていたそうですが、その原因が高血圧と見抜き、対策するまでには至らなかったでしょう。

つまり謙信自身も自らが急死するとは思っていなかったハズで、結果、跡目相続に大きな問題を残してしまったのだと思われます。死期を悟って遺言を残そうにも、サイレントキラーな病気が相手では中々うまくいかないのです。

・この世の栄華も一杯の酒のようなものだ
実子が居ない謙信には養子が数人おりました。その中から謙信の姉の子・上杉景勝と、北条氏康からの養子・上杉景虎の間で、壮絶な跡目争いが勃発(御館の乱)。この内戦により上杉家はかなりのダメージをうけてしまいます。

かくして今では批判の対象となることもある謙信の遺言問題も、事前に死期を悟ることの難しい病気であれば、ある程度は致し方なかったのでは?

逆に、ご自身の死期が見えたのでしたら、キッチリと後継者を指名していたのではないでしょうか。稀代の大名・謙信が後継者問題は疎かにしていたとは考えにくいです(自身の子どもがいないため養子を迎え入れたのは、その対策を考えていた証左でもあるのでは…?)。

さて、最後に謙信が死の一月前に詠んだ詩をご紹介したいと思います。四十九年 一睡夢 一期栄華 一盃酒(49年の我が人生も一睡の夢のようなもので、この世の栄華も一杯の酒のようなものだ)。酒を愛し、(酒と肴が一因の)高血圧性脳出血で早逝した謙信らしい辞世の句ですね。

執筆: 武将ジャパン

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