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じわじわおかしい国王と思想家の交流『ヴォルテール、ただいま参上!』

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「ヴォルテールって名前、どこかで聞いた覚えがある…」と脳味噌を振り絞って思い付いた人物は、モンテスキューだった(ああ、勘違い)。しかし、両名ともフランスの啓蒙主義の思想家だったので、気分的にはかろうじてセーフ(テストだったら完全アウトだが。受験生のみなさんはご注意を)。なぜ私が世界の長い歴史上ピンポイントで啓蒙主義に関してだけ比較的鮮明に記憶していたかというと、代表的な思想家としてもうひとりジャン=ジャック・ルソーという大スターがいたからだ。高校時代、現代社会の授業中はほとんどの時間を教科書に載っていた彼の肖像画を眺めて過ごしていた。ルソーの顔をご存じないあなた、ぜひ画像検索してみてほしい。そこにはほら、沖雅也に瓜二つのイケメンが!

 私はルソーのおかげでなんとかたどり着けたが、多くの方にとってはヴォルテールのことなど忘却の彼方であろう(そういう意味では裏表紙にある「誰もが知る偉人たち」という謳い文句はちょっと盛りすぎでないだろうか)。主人公であるヴォルテールは上にも書いたようにフランスの啓蒙思想家で、一国の君主をも唸らせる知識人。そしてもうひとりの主人公といえる18世紀のプロイセン王国国王フリードリヒ二世は、現代のドイツでも「フリッツ」というあだ名で呼ばれる大人気の歴史的人物とのこと(世界史で習った気もするが、こちらはまったく記憶にない。沖雅也クラスの有名人と似ていれば思い出せたかもしれないのだが)。本書においては、このふたりの愛憎半ばする交流が、抜粋資料の羅列に近い形で描き出されていく。

 ヴォルテールは女性に手が早くて、お金にがめつい。フリードリヒはフランスかぶれで見栄っ張りな傾向があり、同時に戦争による領土拡大を目論む好戦的な面もあった。フリードリヒが恋人に対するようにヴォルテールを独占したがったり、それに乗っかって名を上げようとヴォルテールがうまいこと策を弄したりと、「偉人たち」のまさかの小物ぶりがじわじわとおかしい(厳密に言ったら少々趣は違うかもしれないが、清水義範氏の短編「観戦記」を思い出した。夫婦げんかについて囲碁の観戦記になぞらえて淡々と描写した作品なのだが、やはり私情などを交えずに事実を積み上げる感じが似ている)。そこで湧いてくるのは、ほぼ史実のみを並べるような書き方でおもしろいものができるならノンフィクションさえあればいいのだろうかという疑問だ(実際翻訳者の松永美穂氏もあとがきにて、「本書はいわば『史伝』と呼びたくなる作品だ」と述べておられる)。しかし、もちろん答えは否だ。この小説のおもしろさは、著者が膨大な資料の中からどの情報を取捨選択し、どのような言い回しでそれらを書き表したかというところにかかっていたと思う。過剰な文章表現や大がかりなしかけといったものが排除されているにもかかわらずおもしろみのある作品に仕上がっているというのは、やはり著者の小説家としての力量があったからこそだろう。  

 著者のハンス=ヨアヒム・シェートリヒは、1935年に東ドイツ・ザクセン州で生まれた。反体制的な作品を書いていたこともあって作家としてはなかなか芽が出ずにいたところを、あのギュンター・グラスの援助を得て1977年に西ドイツでデビュー。器用な作家であり、シリアスな歴史小説も、シニカルな老人小説も、ストーリーのない実験小説も書けてしまうそうだ。今年80歳の大御所ということだが、まだまださまざまなタイプの作品に挑戦していただきたい。

 さて、今回参考文献として高2の次男が昨年度使った教科書(東京書籍版)を見せてもらった。モンテスキューとルソー(雅也スマイルは健在!)は名前も肖像画も載っていたが、ヴォルテールはスルーされている。まあそれもむべなるかな、最近の若者は「ヘッジファンド」や「メディア・リテラシー」といった用語まで網羅した教科書で学ばなければならないのだ。ましてやヴォルテールの人となりまで教科書で教えてくれるはずもない。そこで、副読本のような興味から本書を読んでみるのもまさに一興だろう。これぞ生きた学習ってことで。

(松井ゆかり)

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