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30年ぶりのグリーンタウン再訪。ブラッドベリならではの時間の魔術。

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『たんぽぽのお酒』は、ブラッドベリの代表作のひとつであり、少年文学の傑作だ。それが作者自身の手によって戯曲化されていた。

 元の『たんぽぽのお酒』(1957年、邦訳は晶文社)は、長篇の体裁を取っているが、独立した短篇として発表されたエピソードを多数組みこんでいる。舞台となるアメリカ中部の町グリーンタウンは、ブラッドベリの故郷ウォーキガンがモデルだ。ときは1928年の夏。主人公の少年ダグラス・スポールディングは12歳なので、作者自身とはまったく同じではないが(ブラッドベリは1920年生まれ)、実質的な分身といってよいだろう。この小説は、少年時代の想像力を紙の上へ移植しているため、日常のなかにファンタスティックな要素が充満している。

 夏の輝きを瓶詰めにしたたんぽぽのお酒、真新しいテニスシューズだけが備えている躍動、未来を占う蝋人形《タロットの魔女》、闇に潜む正体不明の《孤独の人》、過去を鮮明に記憶している《タイムマシーン》フリーリー大佐、……。

 これらのエピソード、あるいは第一短篇集『黒いカーニバル』(1947年、ハヤカワ文庫SF版は原書と収録作品に異同がある)、それを元に新しい作品を加えて再編集した『十月はたそがれの国』(1955年、創元SF文庫)、長篇『何かが道をやってくる』(1962年、創元SF文庫)を読むと、ブラッドベリにとっての少年時代の記憶は、しみじみと思いだす郷愁(ノスタルジー)などではないと思いしらされる。それは深いところから彼を駆りたてる熾火であり、振り払うことのできない呪いでもある。

 さて、この『戯曲版』は小説版のエピソードをそのまま採りながら、構成に大きな違いがある。もっとも顕著なのは、オリジナルにはなかった新しい登場人物、38歳の小説家ビル・フォレスターの導入だ。主人公のダグラスの視点と、フォレスターの視点とが併存して進行をし、クライマックスで両者が拮抗する。

 フォレスターは開幕したとたん、ぼろぼろのスーツケースを抱えて舞台にいる。自分は久しぶりにグリーンタウンに戻ってきたと告げ、町の人びとの名前を呼ぶ。しかし、住人のほうは彼の顔に覚えがない。「会ったことがある気がする」と言う者もいるが、はっきりと思いだせない。
 ダグラスとフォレスターは、いわば「時間」のふたつの側面をなしている。

 ダグラスは、少年ならではの全能感で「永遠」を確信している。憧れの対象である図書館司書のアン・バークリーは永遠に生きると決まっており、それを確かめるために自分は毎晩、彼女を家に送っていくのだ。また、過去へと随意に旅ができるフリーリー大佐は、病気にならないし、死ぬはずがない。そして、ダグラス自身の心臓! 鼓動がする。それもひとつではない。喉にも、耳にも、手首にも。ぼくは生きている! この瞬間、そしてつぎの、またつぎの瞬間も。永遠に生きるのだ! 

 それに対して、フォレスターはつねに「つかのま」を意識している。アン・バークリーとの会話では、シェイクスピアの「世の中の関節がはずれる」を引用し、人と人とが正しい時期に巡り会えない(年齢がズレているため)哀しみを静かに訴える。また、フォレスターはダグラスに「人びとはどこかへ行ってしまう」と語る。いなくなってしまったその空白を埋めるために、町のひとたちがつくりだしたのが《孤独の人》なのかもしれない。

 ダグラスはフォレスターを恐れ、反発もするが、彼を嫌うわけではない。ダグラスの「永遠」とフォレスターの「つかのま」とは、対立する考え方だが、ある一点ではわかちがたく結びついている。それは「1928年のいまが特別な夏」だという事実だ。ダグラスはそれを裏づけるために、永遠性を証明しようとする。一方、フォレスターは「特別な夏」が死んでしまう前に”謎”を解こうとしている。なぜ、この夏が特別なのか?

 この”謎”は、おそらく小説版『たんぽぽのお酒』の時点で胚胎していたはずだ。『戯曲版』では、その核心を鋭角的にえぐりだしてみせる。老齢にさしかかったブラッドベリ(この戯曲は1988年の発表)にとってそれは、郷愁にとどまらない少年時代の記憶にもうひとたび火をくべ、現在を輝かせる魔術だった。そう、ブラッドベリ自身が《タイムマシーン》なのだ。

(牧眞司)

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