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埋もれていた奇貨の発見、知られざる鉱脈の探索

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 画期的なアンソロジー。博識の読書家にして希代のブックハンターである荒俣宏ならではの異形—-いや失礼、偉業だ。『大山脈』を謳う心意気と、それに見合う内容を実現してしまう膂力に痺れる。ブッキッシュな自伝要素やゴシップ的話題もちりばめつつ書誌的に貴重な情報を披露する「まえがき」と「作品紹介」は、読みものとしてもめっぽう面白い。3巻分を合わせると、ゆうに単行本一冊になりそうなボリュームだ。

 怪奇小説の大部なアンソロジーはすでに前例がいくつもあるが、この3冊は屋上屋を架すような後追いではなく、拾遺的な試みでもない。怪奇小説の代表作や名作を網羅するバランスよりも、むしろ偏ることを恐れぬ作品選択により、怪奇小説史に新しい展望を開いてくれる。たとえば、「19世紀再興篇」との副題がついた第I巻の第I部では、ドイツ・ロマン派が他国へと伝播し、それぞれ新しい潮流を生みだしたとの指摘がある。この見取り図そのものは先行研究があるが、荒俣さんは文化史・精神史・社会史的な背景を念頭におきながら、大衆物語から先鋭文学までも含めたより広い視野で概観する。

 とりわけ興味を引かれたのは、第III巻で示されるフランスの扇情的恐怖劇「グラン・ギニョル」が、アメリカの通俗小説文化「パルプ・マガジン」へ及ぼした影響である。「パルプ・マガジン」はSFではスペースオペラ、ホラーではH・P・ラヴクラフトを代表とする〈ウィアード・テールズ〉一派がよく知られているが、『大山脈』では本国アメリカでも省みられることが少ない残酷小説をクローズアップする。毒々しい徒花だが、悪趣味だと斬り捨ててしまうには惜しい、活力と洗練(職人芸的なおさまり)があって面白い。

 パルプ系の残酷小説もそうだが、このアンソロジーでなければ発掘できなかったであろう、珍しいタイプの小説がいくつも収録されている。C・ツィオルコフスキー「重力が嫌いな人(ちょっとした冗談)」(I巻)は、通常の小説ではなく宇宙エッセイだが、十九世紀末の科学想像力が横溢している。ベネット・サーフ「近頃蒐めたゴースト・ストーリー」(II巻)はアメリカの都市伝説的な怪奇実話だ。アルフ・フォン・チブルカ「カミーユ・フラマリオンの著名なる『ある彗星の話』の驚くべき後日譚」(III巻)は、風刺的な天体寓話で、洒落た雰囲気。

 以下、歴史的価値や怪奇小説の本質にかかわる興味は措くとして、面白く読んだ順に作品を紹介しよう。

 カール・ハンス・シュトローブル「舞踏会の夜」(III巻)は、1920年にドイツの〈デア・オルキデーンガルテン〉に発表された。『大山脈』III巻のコンセプトは欧米の通俗雑誌に埋もれていた奇貨の発掘なので、しぜんと文芸巧緻より扇情的・即物的な恐怖が軸となるが、この作品ばかりは現代の幻想文学と比べても遜色がない。中核にあるのは人形劇場で演じられるジャワの伝説芝居だが、それを観ている男女の捩れた愛憎が暗く不吉な都市空間までを軋ませる。現実と幻想がシームレスにつながり、因果がグロテスクに歪む。ちょっとポー「赤き死の仮面」を思わせるが、あれほど象徴性の強さはなく、そのかわりにもっと不条理な展開。語りもイメージもシュルレアリスムの域に達している。

 フィッツジェイムズ・オブライエン「鐘突きジューバル」(I巻)は、1858年にアメリカの雑誌〈ザ・ニッカーボッカー〉に掲載され、作者自身も愛着のある作品だという。描線の太い復讐譚だが、邪恋にもだえた男の逆恨みが凄まじい。魔物めいた金切り声をあげる風見鶏、雲のように湧きあがる蝙蝠の群、途轍もない不協和音を響かせる教会の鐘……次々と繰りだされる鮮烈なイメージが物語を駆動させる。

 ジョン・メトカーフ「ブレナー提督の息子」(II巻)は、1932年にイギリスで単行本出版された。主人公のウィンターは列車のなかで偶然、かつての上官であるブレナー提督と再会。相手に好感情を抱いていなかったものの社交辞令的に会話をするが、やはり居心地がよろしくない。提督以上に気色が悪いのは、彼が連れていた小鬼じみた男の子である。それからしばらくして、その小鬼が突然、ウィンターの元をひとりで訪ねてきた。「そう言われたんだ」とだけ言って家に居座り、その傍若無人なふるまいで平和な家庭をめちゃくちゃにしてしまう。ウィンターが引っかかっているのは、列車のなかで提督が発した「サトレジだったな。98年だ」という言葉だ。サトレジで何があったのだろう? 思いだせない。最初は些細な擾乱と思っていたものが、みるみる日常を蝕んでいく過程。その起点が消えた過去にあるかのような気がかり。物語に内包された圧力が、結末に至って臨界に達する。

(牧眞司)

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