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本当は怨霊だった”受験の神様” 菅原道真

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 9月29日(月)から、来年度の大学入試センター試験の願書の受付が始まりました。出願期間は10月9日(木)までで、センター試験は平成27年度1月17(土)・18日(日)に実施。4年制大学は、過去最多となる計691校が参加予定だそうです。

 例年、受験シーズン本番となる1~3月になると、太宰府天満宮をはじめ、北野天満宮や湯島天満宮など、学問の神様・菅原道真を祀った各地の天満宮では、合格祈願の受験生で大賑わいとなります。 

 学問の神様として受験生から絶大な人気を誇る道真ですが、そんな道真が実は怨霊だった……と言ったら驚かれるでしょうか?

 受験科目で日本史を選択した方にとってもは当たり前の事実かもしれませんが、道真の人生をおさらいすると、優れた学識を持ち、文章博士だった道真は、時の宇多天皇から信頼され、894年には遣唐使の廃止をはじめとした構造改革を提言し、官位は右大臣にまで昇進します。しかし、醍醐天皇の時代になると、道真の異例の出世は摂関家の藤原氏から反発を招き、無実の罪で九州の大宰権帥(だざいのごんのそち)にまで官職を落とされてしまいます。中央政府の大臣クラスから、都から遠く離れた九州地方の県知事ポストへの、あからさまな降格人事です。道真は失意のまま、配流先で亡くなってしまいます。

 道真の死から間もなく、藤原氏や帝の血縁が相次いで夭折し、これは道真の祟りではないかと畏れる人々が現れました。決定打となったのは930年に発生した、大きな落雷です。天皇が住む清涼殿に落ちた雷により、焼死した貴族が続出し、貴族達を震撼させる事態となったのです。祟りに震え上がった貴族達は、道真をなだめようと、彼の名誉を回復し、鎮魂のために祀るようになりました。雷を起こした道真は、のちに天候をつかさどる天神信仰と習合され、”天神様”として庶民から篤く信仰を集めました。平安時代には、タタリ神として畏れられた道真ですが、現代では、詩文・学問に優れた一面が評価され、受験の神様として崇められています。

「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」という有名な和歌が示すように、道真は梅を好みました。住み慣れた屋敷を離れて、九州に向かう際、この和歌を読みかけられた梅は、道真を慕って太宰府まで飛んで来たという”飛梅”の伝説も伝わっています。和歌の最後の5文字は「春な忘れそ」で習った方が多いかもしれません。この和歌の初出の『拾遺和歌集』や『大鏡』では「春を忘るな」、『古今著聞集』や流布本では「春な忘れそ」となっており、両方が伝わっているようです。

 本書『怨霊とは何か』では、菅原道真をはじめ、平将門・崇徳院の三大怨霊を取り上げ、日本史でおなじみの人物がどのように亡くなり、そして怨霊となったか、その後の鎮魂・信仰に至るまでの経緯を紹介しています。怨霊がいかに社会に影響を与えたかを知った上で、改めて教科書を怨霊目線で読み直してみると、受験で習った日本史・古文に登場する人物にも、一味違った一面が見えて来るかもしれません。

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