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多様性、再び(メカAG)

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今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

多様性、再び(メカAG)

「多様性」を勘違いしている人が多いというのを前回書いた。多様性を考えるのは確かに難しい。その世界を外から眺める必要があるからだ。地球上の生態系の多様性を論じる時、我々はそれを外(一つ上の次元)から眺めている。食物連鎖とか、絶滅してしまった生物とか、冷めた視点でなければ考えられない。例えば多様性を考える時の「犬」と自分のペットの「犬」は全然違うものだ。感情移入していては多様性について論じられない。

人間社会の多様性について考えるのはさらに難しい。なにしろ自分はその世界の当事者なのだから。観察される世界を構成する一員である自分と、それを一つ上の次元から冷めた視点で見る自分をわけなければならない。俺の「メカAG」という名前も底から来てるんだよね。以前書いたけれどこれは自分でつけた名前じゃない。誰かが「コイツって非人間的・機械みたいなやつだよな」と言って俺をこう呼ぶようになった。まあわりと自分でも気に入っているが(苦笑)。

俺とて血も涙もないわけではないが、やっぱ人間や人間社会を外から眺めないと分析できないことは多い。「自分は外方眺めてるんだ(つまり客観視してるんだ)」といいながら、それができてない人も多いけどね。かなり意識して非人間的な思考をしないと難しい。自然な思考をしていたら、この世界を外からは眺められない。

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多様性についても、多くの人間が語る多様性とは、自分の価値観が受け入れられる範囲の多様性なんだよね。「良い人」というのも、良い人と悪い人の基準がひとによって違うとはあまり考えない。残忍な人間や食人の習慣がある人々との共存は、彼らの思考の範疇にない。

だから「多様性を受け入れよ」とか「寛容になれ」と言えるのだと思う。これは裏を返せば、受け入れるか否かの選択権が自分の側にあるという前提なんだよね…。

真の多様性というのは、自然界の生態系を考えればわかるけど、自分を餌として食べるような天敵も存在するわけだ。それこそ命をかけて戦って排除したい相手と共存している状態が多様性。

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もうすこしマイルドな話。我々の社会は資本主義で自由競争。様々な企業が競っている。その自由市場を管理してるのは、国家や国家間の取り決めであって、企業じゃない。あたりまえだけどね(笑)。自由市場という土俵を維持している者と、その土俵の上で駒としてバトルを繰り広げている者は、別な次元の存在。

企業同士のトラブルを調停する裁判所とかも、自由市場の外にあるよね。争っている企業がどんなに相手企業が憎くても、あくまでできるのは土俵の上で競うことであって、自分が土俵そのものの管理者になることはできない。

この時、企業同士が自主的につくるルール、契約とか紳士協定とかと、土俵の管理する側が設定するルールをごっちゃにしてはならない。紳士協定は当事者がバトルを有利に進めるためにつくるルールであって、あくまで当事者の戦略の一部。土俵そのものではない。

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「良い人」というのもこの紳士協定と同じで、当事者同士の戦略の一部でしかない。多様性(土俵)そのもののルールは別なものだ。

動物が互いに自分のテリトリー(縄張り)を設定する。それは自分の餌の確保のために重要。でもテリトリーを無限に広げても維持のコストが増えるだけだから、適当な広さにする。お互いテリトリーが重ならない範囲でなら無駄な争いなしに共存できるわけだ。

互いに相手のテリトリーを尊重すれば、無用な戦いはしない、これは当事者間の紳士協定(戦略)であって、この世界を維持する多様性のルールそのものではない。多様性を維持しているルールは、動物は餌が必要。餌は無限にはない。餌の取り合いにはコストがかかる。というような基本的なものでしかない。

そういう世界で餌の確保のコストを最小限にして楽に生きようというのは、互いにテリトリーを尊重しようというのは、一つの戦略でしかない。多様性を維持しているのは「互いにテリトリーを犯さず共存する」という戦略ではなく、「生きるのに必要な餌は無限にはない=代償を払って互いに争い合わなければならない」という基本ルールの方。

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囚人のジレンマの話でいえば、必勝戦略が発見できない基本ルールが、多様性の源泉なのであって、「ひたすら協調する」とか「ひたすら裏切り続ける」とか「しっぺ返し」とかの個々の戦略は、多様性を生み出す源泉ではない。そこのところを勘違いしてしまうと、「みんなが善人として振る舞う」のが世界の多様性を豊かにする、とか言い出してしまう。

多様性の本質は「必勝法がないルール」だ。スポーツでもチェスでも必勝法が発見されていないから様々な戦略が存在し、多種多様に満ちたプレイが生まれる。逆に考えれば、多様性を維持するには「この戦略をとれば必ず勝てる」という状態にしてはいけない。

最適化が進み「この戦略を使えば勝てる」という状態になってしまったのが、前にも書いたけどムラ社会ですな。囚人のジレンマで言えば、すごく強力な戦略が発見され、すべてのプレイヤーがその戦略を用いるようになった状態。その世界は繁栄する(みんなプレイで高得点を上げ続ける)けれど、どのプレイも同じになってしまい、変化も発展もなくなってしまう。外から黒船(異質な戦略を用いるプレイヤー)が来るまでは。

もう一度繰り返しておくが、みんなが幸せなこと(どのプレイヤーも高得点をあげること)と、多様性が豊かなこと(さまざまな戦略を取るプレイヤーがいること)は別なことだ。戦略の多さが多様性の豊かさ。地球上にさまざまな生物がいるのも、生き残りのための戦略が形になったようなものだ。この世界にさまざまな生物がいるのは、さまざまな生き残り戦略があるということ。多様性に満ちた世界というのは、中にいるプレイヤーにとっては必勝戦略がなく常に繁栄を脅かされている心地悪い世界なのだ。

執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2014年09月11日時点のものです。

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