毎年5月下旬に日本だけ訪れるもう一つのパブリックドメイン・デー
世界の多くの国では著作権の保護期間満了日を毎年12月31日と定めており、その翌日である1月1日は新年の訪れと共に法律で保護されていた著作物の使用が自由化される“パブリックドメイン・デー”として日本を含む各国で祝われています。
そんな中、日本では1990年代から毎年5月23日(うるう年は5月22日)に“もう一つのパブリックドメイン・デー”が発生するようになりました。その理由は、1952年(昭和27年)に発効したサンフランシスコ講和条約に基づいて制定された連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律にあります。
「もう一つのパブリックドメイン・デー」が誕生した理由
サンフランシスコ講和条約では、かつてナチス・ドイツやイタリア王国と共に枢軸国陣営であった日本が真珠湾攻撃を行い米国をはじめとする連合国に宣戦布告を行った1941年(昭和16年)12月8日から、講和条約が米国の批准で発効するまでの3794日ないし発効後に批准した一部の国に対しては最長で4413日間を「交戦状態」と認定し、条約を批准した連合国の著作物に関しては交戦中に日本がベルヌ条約もしくは当時ベルヌ条約に加盟していなかった米国等と個別に結ばれていた二国間条約で義務付けられていた著作権保護を怠っていたとの理由で、国内法の保護期間に前述の日数を敗戦国のペナルティとして加算することが義務付けられました。
同じく枢軸国であったドイツに対してはこのようなペナルティは課されず、またイタリアに対しては「連合国側も交戦中の著作権保護が不十分であった」として互いに6年間の戦時加算を行うことになっているため「日本だけ一方的なペナルティを科されるこの規定は不平等条約ではないか」との批判もありますが、その是非については以前の記事で取り上げたので今回は割愛します。
JASRACが「自由貿易協定で戦時加算解消」を訴える前にすべきこと – ガジェット通信
https://getnews.jp/archives/330590 [リンク]
戦時加算対象作品のパブリックドメイン・デーはこう決まる
戦時加算の対象になっているのは15国で、発効後に批准したブラジルやノルウェー、ギリシャ、レバノン等は3794日より長くなっています。しかし、米国、イギリス、フランス、カナダ、パキスタン、セイロン(現在のスリランカ)、オーストラリア、ニュージーランドの8か国は米国の批准により条約が発効した日に合わせて3794日とされています。
あくまで最大3794日の8か国に関してですが、戦時加算対象の作品は発表時期によってパブリックドメイン・デーを迎える日が異なります。
1941年12月8日から31日分のみが加算されて作者の没後51から60年目の1月23日がその日に当たる作品、1942年以降に発表されて1953年時点でも作者が存命だったため1952年1月1日から4月28日分のみが加算されて、作者の没後51から60年目の4月29日(うるう年は28日)がその日に当たる作品もありますが、数のうえで最も多いのは3794日分がフルに加算される“1941年以前に発表された作品”です。この作品群が一斉に著作権保護期間を満了する翌日の5月23日(うるう年は22日)が、日本における“もう一つのパブリックドメイン・デー”なのです。
間もなく日本でパブリックドメインとなる人物
今年の5月22日で日本における著作権保護期間を満了する連合国の人物には米国の劇作家で1936年にノーベル文学賞を受賞したユージン・オニール(1888-1953、代表作『夜への長い旅路』)や、イギリスの詩人でブラックユーモアにあふれた作風で知られるヒレア・ベロック(1870-1953、代表作『奴隷の国家』『子供のための教訓詩集』)などが挙げられます。
また、戦時加算の対象国に含まれない旧ソビエト連邦の作曲家であるセルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953)は、米国に亡命した1918年からソ連に帰国した1932年までの間の作品(管弦楽曲『三つのオレンジへの恋』、歌劇『炎の天使』など)がフランスの著作権管理団体の管理下にるため戦時加算の対象とされていましたが、これらの作品も日本では間もなくパブリックドメインとなります。このように、同じ人物の作品でも発表時期や国籍の取得および喪失によって戦時加算の対象となったりならなかったりするので、作品の利用に際してはそれらの情報を収集して慎重に判断する必要があります。
写真:セルゲイ・プロコフィエフ
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