お行儀のいい世界で真っ先に切り捨てられるのは弱者

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お行儀のいい世界で真っ先に切り捨てられるのは弱者

今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

お行儀のいい世界で真っ先に切り捨てられるのは弱者

よくネットでは強者だけがのさばっていいのか?みたいなことをいう人がいる。揚げ足を取ったり議論のテクニックに強い人間だけがわがもの顔で発言し、弱者の発言は抑圧されていいのか。議論の強い人間の主張だけが正しいのか?と。

そう思う気持ちはわからないでもないけど、だからといってルールやマナーをいろいろ導入すれば、弱者の発言権も確保され、その主張も尊重される…世界にはならない。残念ながら。

甘く見過ぎなんだよ。議論が強い人間というのは、どんなルールの下でも強い。強者は賢くルールやマナーを自分に有利なように利用する。むしろそれで抑圧されるのはそういうのが下手な弱者の方だと思うけどね。いや思うというよりも、それが現実。

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誰でも無制限に自由な発言を認める世界なら、とりあえずどんな弱者でも発言だけはできるわけだ。それで満足すべきだと思うんだけどね。変にルールとか導入したら、むしろ弱者の発言の方こそが「あなたの発言はルール違反なので、今後発言しないでください。過去の発言も削除します」ってなると思うけどね。

だってネットの弱者がなんで弱者かというと、自分の主張を整理して理路整然と述べられない。反論や批判されても、感情的にしか対処できないからだもん。

となると感情的な発言を禁止したら、弱者の発言の方が真っ先にルール違反になると思うんだよね。一方、強者はいくらでも表面的には感情的に見えないような発言で批判できる。

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弱者は上手に再反論を組み立てられないから、気ばかり焦って、結局感情的になってしまう。結局「感情的な発言は禁止」というルールを作ったら、弱者の方が不利だと思うんだけどねぇ。

それとも相手を感情的にさせる発言を禁止する?これはなかなか難しい(笑)。どんなにきちんとしたまっとうな主張でも、相手が「それは不愉快です」とさえ言ったら、その発言はダメってことだよね。そんな世界が健全とは思えない。

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議論の強者も弱者も対等に議論し合える場って、そりゃ誰もが「そういうのがあったらいいね」とは言うだろうけど、実現は不可能だと思うね。

そういう世界を望む人は、どういうイメージを持ってるのだろう。自分は主張の仕方が下手だけど、自分の言いたいことを察してくれて、自分の代わりに批判から守ってくれる人がいる世界だろうか。

幼稚園の先生なんかはそうだよね。○○ちゃんはどうしたいの?え?こうしたいの?じゃあ、みんな、○○ちゃんはこうしたいらしいから、そうしましょうね、みたいな。

もしくは批判の集中砲火を浴びている時に、みんなが○○ちゃんを批判しちゃ可哀想でしょ、すこし手加減してあげなさい、とか言ってくれる先生がほしいのだろうか。

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でもどういうルールを作れば、そういう先生が登場してくれるのだろう。確かにむかしは火消し屋さんみたいなのが、どのコミュニティにいた。

コミュニティでバトルが起きると、ある程度まで静観していて、議論が煮詰まったな、という頃合いを見計らって、双方の主張をまとめ、整理し、突き詰めれば争点は○○ですね、でもそれは現時点ではこれ以上話し合っても結論はでないようですから、ひとまずこれで終わりにしましょう、と締めくくる。

タイミングが大事で、双方まだ言い足りないという段階で仲裁に入っても受け入れられない。双方とも言いたいことは語り尽くして、息切れしてきた時が火消しのタイミング。

議論している人間同士は、一応自分の主張が第3者(火消し屋)に理解されたことに満足し、クールダウンするわけだ。主張している人間が望むのは、問題の解決や決着ではなく、自分の主張が他人に理解されることなわけ。それでひとまず満足する。

というかそれで満足したフリをしないと、引っ込みがつかなくなる。まあ、そうやってせっかく引くタイミングを教えてもらっても引かない人はいるけどね。言うべきことがネタ切れしても議論を続けるから人格批判の応酬になる。

周囲はそういう人(火消し屋)を手本にして、主張の仕方とか、議論のまとめ方とかを学ぶわけだ。

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でも、いまの自称「弱者」は、このレベルにも到達してないと思うのだよね。火消し屋でも助け舟を出しようがない。だからホントにお行儀のいい議論が行われるような環境を作ったら、たぶん「弱者」はまったくネットで発言できなくなると思うんだけどね…。ホントにそんな世界でいいの?

強者に圧迫されて弱者は思うように自分の意見が言えないという。じゃあ強者のいない世界を想像してみよう。強者は紛いなりにも理屈(屁理屈かもしれないが)を組み立てて議論する。弱者はそれが上手くできないので感情に走ってしまう。

強者がいなくなるということは、自分の主張をうまく言葉にまとめられない人間ばかりが残った世界。そういう弱者同士で議論したら、よけい感情的な言い争いにしかならないと思うのだが。たぶん現在の世界よりも、もっと不愉快な思いをすると思うよ。

「相手も自分と同じレベル」という最低限の自尊心は確保できるかもしれないけど(笑)。でも結局そんな世界で議論するのは嫌になって、発言をしなくなるんじゃないの?つまり弱者が発言できないのは、強者が原因じゃない。

教育的指導を含めて強者は少し手加減しろ、というならわかるけど、そういう主張にも見えない。なんとなくジョジョのスタンドみたいに、自分の味方で代わりに戦ってくれる強者(「みんな否定してるようだけど○○くんの意見にも一理ありますよ」みたいなことを言ってくれる人)を自由に呼び出せる世界をイメージしているように思うんだけど、そんな世界、どうやったら構築できるんだろう。そもそもそれで勝って満足なのか。

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足の遅い子供は運動会でいつもビリになって可哀想。そこまでは分かるんだけど、そこから先、じゃあどうしたいの?と。予選をやってだいたい同じ速さの子供同士を競わせるとか。足の速い子供に手加減して走ってもらうとか。いっそのこと競争をやめてしまって手をつないで仲良くゴール?

でも、そもそもの主張が「弱者の言い分でも正しいことがある(かも)」だよね。つまりなにが正しいかの追求が目的。だからお手手つないでゴールというのは、なにが正しいかの探求を放棄することだから、だめだろう。強者が手加減するとか、予選をしてレベルを合わせるというのは、ひとつの方法ではある。

けれど最終的には「なにが真理か?」を追求することが目的である以上は、チャンピオンと決勝戦で対決しなければならない。最終的に負けるにしても、その過程として少しは勝利の味を味わいたいというなら、ま、検討の余地はあるかもしれない。

現状でも、弱者は弱者同士で対決すればいいとは思うんだけどね。でも弱者ほどなぜかいきなりチャンピオンクラスの強者に挑みかかる(苦笑)。

現状が我慢ならないとして、じゃあどういう世界にしたいのかを考えるべき。素人がチャンピオンに挑戦できる今のネットの世界って、そんなに悪い世界ではないと俺は思うんだけどね。少なくとも弱者にとっては有利なはず。ラッキーパンチが奇跡的に決まって勝てる可能性もゼロではない。宝くじが当たるぐらいの可能性はある。最初から挑戦権が与えられない世界よりはずっといいだろう。むしろ強者はうっとうしいかもしれないけど。なのに弱者が文句をいうのは解せない。

追記

さっそく弱者が(笑)

[Notice]問題は「その現実をどうするか」という姿勢にあるんだと思う。あと、「それが現実だから仕方ない」というのを非難の材料にしたらあかんよな、と。「現実は現実として、論としてはどうなの?」ってのが重要。

http://twitter.com/mAster_rAdio/status/301917326373158912

言いたいことを的確に表現できない典型的な文章のようだけど、ようするに「言ってることには反論できないけど、おまえの姿勢が気に入らない」って主張だよね。

で、どうして欲しいのか?おもちゃ屋さんの前で「ママー、あれ買ってー」と泣き喚きたいのか。それで気が済むなら、泣きわめくことぐらいはどんどんやっていい。うるさい気がするけど、それぐらいは我慢しよう。

だいたい「それが現実だ」と俺がいつ「非難」したのだろう?あなたのような人間の要望を叶える方法が「俺には見つけられない」とは言ったが。「どう変えれば満足なのか教えてほしい」と言ってるつもりなのだけどね。それを「非難された」と受け取る時点で、感情的になってると思うよ?

たとえば「あなたの意見はとても重要で、今後の課題として、みんなで考えていくべきですね」とか言えば満足なのだろうか?でもこれって、おもちゃ屋さんの前で「また、今度(来た時に買ってあげる)ね」と、子供をあしらってる母親と同じだよね?そうしてあげれば満足なの?

俺に言わせればそういう姿勢こそ、相手を馬鹿にした態度なんだけどね。だって全然本気で考えてない。とりあえず相手のご機嫌が取れればOK。こうやって反論してるってのは、少なくとも駄々っ子よりは、考える能力があると思うから、反論して”あげている”わけだ。でもそういう姿勢が気に入らないというのであれば、もう駄々っ子扱いするしかないと思うんだけどねぇ。

結局、弱者ってのは何か主張をするのに、「自分の気持・気分」しか根拠が見つけられない人間。そりゃ本人が「そう思った・そう感じた」ってのは事実だろうから、なんでも簡単に主張できて楽だよね。でもなんだって主張できるってことは、なにも主張していないのと同じ。それがわからない人たち。

ネットで議論なんかしてないで現実世界で人生充実させときゃいいのよ

いまだにこういう馬鹿の一つ覚えの事を言う人間が後を絶たない。ネットは現実世界の一部だってことを認識できていない馬鹿だと公言しているに等しいのだが、それに気づかないほどの馬鹿w

いわゆる強者が進んで、いわゆる弱者の発言を拾い上げる世の中になればいいのにね。

http://twitter.com/ngsw/status/302054632065220608

拾い上げる価値のある意見はちゃんと拾い上げられているはず。弱者の主張ってのは上述のように感情論でしかなく、拾い上げる価値がないから、相応の扱いをされてるわけで。しかもそれを逆恨みするのが弱者の弱者たる愚かさなんだけどね。感情論というのは、単純な主張になりやすい。だから珍しくもない凡庸な内容に陥りがち。あなたのこの意見も、ね(笑)。

ボクに有利なルールにしてください

馬鹿を賢くするようなルールって無理じゃね?柔道で初心者が有段者に勝てるようなルールって思いつかない。というかそれはもはや柔道じゃない。

だから「支離滅裂な主張をした方が勝ち」ってルールなら可能かも。おや?そのルールってすでにこの世界で施行されてるよね。なんだ、ちゃんと馬鹿に有利な世界になってたじゃん。なんの問題もなかった。

執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年02月26日時点のものです。

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