自己啓発の歴史(4) エスリンとニューエイジ

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自己啓発の歴史(4) エスリンとニューエイジ

今回は橘玲さんのブログ『Stairway to Heaven』からご寄稿いただきました。

自己啓発の歴史(4) エスリンとニューエイジ

サンフランシスコからシリコンバレーを越え、太平洋沿いにハイウェイを南に下ると、風向明媚な観光地、モントレーへと至る。そこからさらに一時間ほどロサンゼルスに向けて車を走らせると、州立公園のなかの人里はなれた海岸に木造の角ばった建物がぽつんと建っている。この温泉リゾートは、かつてこのあたりに住んでいたネイティブアメリカンの部族にちなみ「エスリン」と名づけられた。

エスリンは1961年夏、マイケル・マーフィーとリチャード・プライスという、30歳になったばかりの2人の若者によって設立された。彼らの目的は、人生の意味と可能性についての新しい考え方を追求する宗教・哲学・心理学のための交流の場をつくることだった。W・T・アンダーソンの『エスリンとアメリカの覚醒*1』は、人間の可能性(ヒューマン・ポテンシャル)を開拓すべく苦闘した彼らの「冒険」の壮大な叙事詩だ。

*1:「エスリンとアメリカの覚醒―人間の可能性への挑戦」 ウォルター・トルーエット アンダーソン(著), 伊藤 博(翻訳) 『amazon』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4414302846/

エスリンはもともと、裕福な医師であったマーフィーの祖父が病院兼保養所としてつくった温泉場だった。孫のマイケルはスタンフォード大学時代に東洋思想の講義を受け、ヒンドゥー教の聖者ラマナ・マハリシに魅了され、卒業後はインドのアシュラム(修行場)でヨーガと瞑想の日々を過ごした。カリフォルニアに戻ってからもホテルボーイのアルバイトをしながら、郊外の瞑想センターで暮らしていた。そこに、大学時代の同級生だったリチャード・プライスが訪ねてきた。

プライスの置かれた境遇は、高等遊民のマーフィーよりずっと深刻だった。プライスは大学で心理学の学士号を得た後、ハーヴァードの大学院に進んだがそこで精神的に行きづまり、生活を立て直すために軍隊に入った。サンフランシスコ郊外の空軍基地で教職に就いた彼は、夜勤のスケジュールを利用して母校のスタンフォードを訪れ、そこで東洋思想と出会う。プライスを虜にしたのはアラン・ワッツというイギリス生まれの仏教研究者で、彼は日本人の仏教者から禅(Zen)を学び、それをアメリカで普及させようとしていた。

だがその一方でプライスのこころの病は悪化しており、幻聴に命じられて結婚したことが親に知られ、東部の精神病院に強制入院させられることになる。この監禁生活はきわめて過酷なもので、電気ショックやインシュリンのショック療法に怯える一年を過ごしたのち、プライスはうちひしがれてサンフランシスコに戻ってきた。

裕福な家系の出でエリートのマーフィーは、あてのない自分探しの旅をつづけていた。暗鬱な精神病院から帰還したばかりのプライスは、自分を社会につなぎとめてくれる新しい心理療法を必要としていた。同級生の二人は意気投合し、マーフィー家の財産である温泉場を改築し、そこに心理学者や神秘主義者や哲学者や芸術家や詩人たちを集め、新時代(ニューエイジ)のコミュニティをつくろうと考えたのだ。

1962年の夏、彼らにささやかな奇跡が起きた。

人間性心理学で名声を得たアブラハム・マズローは、夫人と休暇を過ごすためにカリフォルニアをドライブする途中で、たまたま見かけたコテージで一夜を過ごすことにした。受付にいた男は、宿帳の名前を見て、『完全なる人間』の著者なのかと訊いた。マズローがそうだと答えると、彼は「マズローだ! マズローだ!」と叫びながらプライスを呼びに走った。設立したばかりのエスリンは、全米でもっとも高名な心理学者を客に迎えたのだ。

プライスの話を聞いたマズローは、彼らの向こう見ずな計画をすっかり気に入った。マズローはつねづね、「完全な人間」を育成するには教育が必要だと考えており、エスリンがそのための最適な実験場になるかもしれないと思ったのだ。この「実験」は人間の潜在的な可能性を追求するヒューマン・ポテンシャル運動と名づけられ、やがてマズローは、エスリンを「この国のもっとも重要な教育機関」と絶賛するまでになる。

マズローのお墨付きを得て、エスリンは高名な学者を呼んでさまざまなセミナーを開催した。そのなかには、イギリスの作家で神秘主義者のオルダス・ハクスリー、文明史の研究で知られるアーノルド・トインビー、人類学者のグレゴリー・ベイトソン、ノーベル賞物理学者のリチャード・ファインマンなどがおり、フォーク歌手のジョーン・バエズはここを定宿にしてプールサイドで即席のコンサートを開いた。

だがエスリンの生んだ最大のスターは、60年代のもっとも著名な二人の心理療法家――ゲシュタルト療法のフレデリック(フリッツ)・パールズと、オープン・エンカウンターのウィリアム・シュッツだった。

フリッツ・パールズはドイツの生まれのユダヤ人で、精神分析の訓練を受けた後、ナチスドイツに追われて故国を離れ、オランダ、イギリス、南アフリカを転々としながら独自のセラピー技法を開発した。

パールズがフロイト理論と決別したのは、彼が43歳のときだった。南アフリカで精神療法家として成功したパールズは、当時80歳のフロイトに会うべく、ウィーンの国際精神分析学会に出席した。パールズが研究室を訪ねると、フロイト本人がドアを開け、2人は戸口に立って2、3分話をした。そしてフロイトは、さようならといって、ドアを閉めた。パールズはその虚しさから、フロイトを永久に許すことができなかった。

フロイトの精神分析が過去の出来事(あのとき、そこで)にこだわるのに対して、パールズのゲシュタルト療法はフロイト理論を転倒させ、あるがままの自分(いま、ここで)こそが重要だと考えた。過去は解釈次第でどのようにも変わり、過去の意味を決めるのは現在の自分だからだ。

パールズは、次のような例で説明する。

馬に乗って草原を駆けていたら、それが凍った湖だとわかって転倒してしまった。乗馬自体はなにも変わっていないのだから、落馬の理由は草原か凍った湖かという認識のちがいしかない。すなわち、考え方ひとつで運命は変わるのだ。

ゲシュタルトは身体や感情をともなった全人格的な統合のことで、ありのままの自分をまるごと受け入れることをパールズは気づき(覚知=アウェアネス)と呼んだ。エスリンの成功とともにパールズのゲシュタルト療法も有名になり、ハリウッドから映画監督やスターたちが“導師”のセラピーを受けに続々とやってときた。

ところで私は、ゲシュタルト療法がどういうものかじつはぜんぜんわからなかった。そしてあるとき、福本博文の『心をあやつる男たち*2』を読んでいて、「なるほど、そういうことか」と得心した。これは企業管理職の育成を目指し、高度成長期の日本にアメリカ流のカウンセリングやセラピーを持ち込んだ“セミナー屋”たちを描いたノンフィクションで、そのなかに“セミナーの鬼”と呼ばれたトレーナーがある中年女性を治療する場面が描かれている。その女性は清楚な身なりをした社長夫人だが、体重は35キロしかなく、緊張すると心臓が止まるといって医師から大量の薬を持たされていた。いわゆる自律神経失調症だ。

*2:「心をあやつる男たち」[文庫] 福本 博文(著) 『amazon』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167626012/

フロイト流の精神分析では、幼児期の体験にこころの病の原因を探ろうとする。事実女性は、警察署長にまで上りつめた父親によって厳格に育てられてきた。だがトレーナーは、セミナー参加者たちの前で、彼女にまったくちがう提案をする。福本はその治療場面を、次のように描く。

「いま、心臓を止めてみてください」

胸を押さえたまま、彼女はしきりに首をかしげた。

「緊張すると、心臓が止まるのでしょう? さあ早く止めなさいよ」

彼女は、堀田の顔を呆然とながめていた。

「……いくらやっても止まりません」

「おかしいですね。9年間も心臓が止まっていたんでしょう。いったい、どうしたのですか」

彼女は盛んに胸を触っている。

「どうしてかしら……」

堀田は、視線を合わせて言った。

「心臓は止まりませんね。それがあなたですね」

メンバーが、一様にうなずいた。

「だって、心臓が止まらないあなたが〈いま、ここ〉にいるじゃないですか」

堀田は黙って見ていた。彼女は、第三者に自分がどう映るのか、少しずつ見えてきたようだった。そして、堀田は言った。

「あなたは、自分が自律神経失調症だと思って、安心していたでしょう」

「え……!?」

「でも、〈いま、ここ〉で発作を起こそうと思っても、発作は起きない。それがあなたではありませんか?」

次の瞬間、彼女は呪縛されていた自己観念から解放されたようだった。

「私の思い込みだったようです……」

彼女は、晴々とした顔で泣いていた。

60年代のエスリンでも、こうしたセラピーが毎日のように行なわれ、いくつもの“奇跡”を起こしただろう。福本の本で描かれたゲシュタルト療法の治療は、そうした雰囲気をよく伝えている。

1週間のセミナーで女性は完治し、体重も56キロに増え、夫と山登りに行けるまでになった。もっとも福本が述べるように、劇的な治療体験はめったにあるものではなく、暴力すらいとわない過酷なセミナーでは自殺者すらも出たという。

執筆: この記事は橘玲さんのブログ『Stairway to Heaven』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年02月21日時点のものです。

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