『千日の瑠璃』451日目——私は札束だ。(丸山健二小説連載)

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私は札束だ。

どちらかといえば貧しい境涯に生まれ、長年薄給に甘んじて生きてきた男、そんな男の度胆を抜く分厚い札束だ。丘の家の主は努めて冷静を装おうとしてはみたのだが、私が秘める威力に手もなく町き伏せられ、そして、病気の息子のように指の先から震えがはじまる。また、隣りに控えていた彼の妻は、私をひと目見ただけで肌が粟立つのを覚える。

私を鞄から無造作につかみ出してテーブルの上にどさっと置いた、よく似た顔つきのふたりの女は、これは内談だと前置きし、私について卑近な言葉で説明する。あくまで顔つなぎのための、挨拶代りの手みやげである、と言い、女の力では酒をここまで運べなかったので軽い物にしたのだ、と言う。ついで、相手が疑心を抱く前に、こう言う。「もちろん領収証なんて要らないんですよ」とひとりが言い、あとのひとりが「土地代はこれとは別に支払わせていただきますから、どうかご安心を」と言う。そして、土地代に比べたら私など端金であるとつけ加えることも忘れない。

もっと手強いはずだったとの家の主は、夢路を辿る心地のうちに、私をすんなりとおさめる。姉妹のように似ていても他人同士の女たちは、にっこりと笑い、その笑みを崩さずに丘の急坂を下って行く。雪で足を滑らせたらしく、悲鳴が届く。二階で飼われている鳥が「ざまあみろ」と鳴き、今度は私に向って「おまえなんかに舐められて堪るか」と鳴く。
(12・25・月)

丸山健二×ガジェット通信

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